2013年11月13日 (水)

シナリオドリル、チュートリアル編(2)

シナリオドリル、チュートリアル編(1)」の続きです。

 前回は、例題のチュートリアルの文章の
おかしな点を、ひとつずつ指摘して、なぜおかしいのか?、
その考え方を、ゆっくりと解説していきました。

 例題はこちらです。



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【例題】

  「敵が出るから戦ってね!」

  「わあ、勝ったね! 次も敵が出るから戦ってね。
   勝ったら回復アイテムのご褒美よ!」

  「わあ、勝てたね! はい、回復アイテム!
   回復アイテムはHPを回復するよ!」


(問)
  上記、チュートリアルのテキストには、
 おかしな点があります。それはどこでしょうか?

  また、何故それはおかしいのでしょうか?
 おかしな点と、おかしな理由を書き出して下さい。

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 シナリオドリル後半戦となる今回は、
チュートリアルの基本的な考え方に触れていきます。

 前回ドリルにチャレンジしてくださった方は、
よろしければ、またノートと飲み物を片手に、
気になるポイントをメモしながら、読み進んで下さい。


 それでは、まずは、
これまでのまとめと対策から、解説していきますね。




(1)前回のまとめ

 前回までの流れをまとめます。

 このチュートリアルの問題は、

「ナビキャラが、ユーザーさんがアクションする前に、
 その行動の結果を言ってしまうこと――」

 これに尽きます。

 この、結果を先回りした要らないヒトコトのせいで、
ユーザーさんは、「プレイして試す」という、
ゲームならではの楽しみを奪われ、
わかりきったことを確認させられるだけになってしまいます。


 いわゆる作業です。


 推理小説を読む前に、犯人やトリックをばらされたら、
がっかりしてしまいますよね。

 情報の先取りは、あまり歓迎されるものではありません。
知るべきタイミングで知れば良いことを、前もって伝えるのは、
親切ではなく、意地悪です。


 では、このチュートリアルどう治せばいいのでしょうか?






(2)よいチュートリアルの書き方

 チュートリアルのおかしな部分はわかりました。
それでは、良いチュートリアルとはどういうものでしょう?


 ヒントは、ゲームを楽しむ遊び心がくれます。



 困ってるキャラを助けたり、
任務遂行のため無茶したり、したくありませんか?

 その過程で戦いに巻き込まれ、
仲間と絆が深まったりしたくありませんか?

 ふいに敵が落としていったアイテムに、
ワクワクしたくありませんか?


 小さな楽しみの連続がゲームの面白さのひとつです。
そこを、テキストで支えましょう。


 守るものや成すべきことがあるから、
「このモンスターを倒して目的を遂げるぞ!」と思います。

 そんな戦いの理由があるから、
「回復アイテムがあれば心強い!」と思います。


 いきなり答えを突きつけるのではなく、
その答えを欲するようにユーザーさんの心を導く、
それがチュートリアルに求められることです。


 このチュートリアルは、たった3つの台詞で、
ユーザーのワクワク感を削いでいます。


 これが言葉の怖さであり、強さでもあります。


 ボタン連打で飛ばされてしまうようなテキストは、
誰にとっても、幸せなものではありません。


 テキストも、ゲームの大切な一部です。


 ゲームの導入を預かるチュートリアルでは、
ゲームの良さを活かし、ユーザーのワクワク感を支える
テキストを心がけましょう。





(3)おかしなチュートリアルが出来るワケ

 チュートリアルを書く時は、ユーザーさんの
ワクワク感を支えるテキストを意識するとわかりました。

 でも、それはシナリオライターなら理解しているはずです。
なのに何故、おかしなチュートリアルを見かけるのでしょう?


 シナリオは誰でも書ける、シナリオは誰でも見れる――。
という、誤解があります。

 この誤解から、シナリオに適性のない人をライターにしたり、
シナリオに明るくない人を監修にしたりということがあります。


 でも一番の原因は、シナリオに対して、
「開発からのオーダーがない」ことです。


「開発からのオーダーがないなんて、ありえない!」
と、思う方も多いでしょう。たしかにそうです。

 実際、ゲーム開発者は、シナリオライターに対し
色々なオーダーをしているつもりです。


 例えば、こんなふうにです。



「チュートリアルのはじめにバトルを持ってきて、
 ユーザーにバトルを体験させたい。
 その中で回復アイテムを使わせ、新カードを入手させたい」

などです。


 業界の方はわかると思いますが、
よくあるシナリオへのオーダーですよね。


 それで、これを、シナリオへのオーダーとして、
まじめに受け止めると、「はい、バトルになりますよ」
「はい、回復アイテムをあげますね」「はい、ここで回復しましょう」
「はい、ご褒美の新カードです」と、開発の思惑を順に並べ、
それをキャラの口調に置き換えたシナリオができます。


 つまり、シナリオへのオーダーが、
「開発の思惑として、こういう流れで遊ばせたい」に
終始してしまうため、そこからシナリオが発展しないのです。


 開発者さんは、けして、
「開発の思惑を、ダイレクトにユーザーに伝えてくれ」
という意味で、話してはいません。


 ですが、どんなシナリオがいいだろう?と話しだすと、
また、「開発の思惑からくる遊びの流れ」に立ち戻ってしまい、
開発の思惑、遊びの流れ、各要素の意味などばかり話して、
そこから抜け出せなくなるのです。


 実はここで、シナリオ制作に向けた、視点の変更が必要なのです。






(5)知ったことか!の精神

 チュートリアルのシナリオについて考えたいのに、結局、
「開発の思惑からくる、ユーザーにとって遊びやすい最良の流れ」
から話が発展しない場合があります。

 そして、そのせいで、
開発の思惑を台詞に書き換えただけのシナリオが、
あがってきてしまいます。

 でも、あがってきたシナリオは、
開発のオーダー、「遊びの流れ」をちゃんと満たしているので、
「これでいいのだろうか?」と思いながらも、
「まあ、いいんだろうな」と、なってしまうわけです。


 いいわけありませんよね。しっかりしましょう。


 荒療治になりますが、困っている方は、
まず、こう考えてみて下さい。



・「戦い」は開発側が体験させたいことであり、
 主人公の目的でもなければ、ユーザーの目的でもない

・「アイテム」の入手やタイミングも開発側の都合であり、
 主人公の目的でもなければ、ユーザーの目的でもない

 つまり、主人公とユーザーにとって、
開発者の思惑なんて、どうでもいいことなのです。


「どうでもいい」というのは、強烈な言葉ですよね。
でも、あまりショックを受けないでください。


 裏事情を知ってしまえば世界は色褪せます。
そのゲーム世界で遊ぼうとしている最中だからこそ、
ユーザーさんは、開発サイドの意図を
知りたいとは思わないのです。


 ユーザーさんが、
開発者のことや開発秘話を知りたくなるのは、
そのゲーム世界から目覚めて、現実に戻ってからです。


 そんなわけで、シナリオ制作には、
主人公とユーザーの「開発の思惑なんてどうでもいい」
という視点を取り入れることが必要になります。

 誤解されると困るのですが、
これはシナリオライターが開発者の意見を軽んじる、
ということではありません。

 むしろ、重く受け止め、それをどうすれば、
「どうでもいい」という主人公やユーザーのところまで、
引っ張っていけるのか、考えます。


 ここまでくれば、道半ばです。
チュートリアルに求められるシナリオの姿を、
いっきに明らかにしてしまいしょう。



「開発サイドは、
 ユーザーが遊びやすいようにと、遊びの流れを決めた。

 しかし、ここでの開発の思惑、
 この順番で遊びの要素に触れて欲しいということは、
 主人公とユーザーの目的ではない」

         ↓

「そこで、この開発サイドの思惑を、
 主人公とユーザーに関わりのあるものに加工し、
 自然な話の流れの中で、ゲームが進むようにして欲しい」


 これが、開発側のシナリオへのオーダーです。


 次は、開発側の思惑というゴツゴツしたものを、
自然に、なめらかにする過程を見て行きましょう。





(5)なめらかに、自然に、そしてワクワク!

 開発が求めている、チュートリアルのテキストは、
開発の思惑を話し言葉に置き換えたようなものではなく、

 開発の思惑を取り入れながらも、それを、
主人公や、ユーザーの事情として噛み砕いて、
自然な話の流れにしたもの、ということが分かりました。


 では、自然な流れとはどんなものでしょうか?


 開発側がバトルを入れたい場合を例にすると、
例えば、こんな感じになります。



 <開発の思惑
  「ここでバトルをして欲しい」>

      ↓……主人公&キャラの目的を付加

 <主人公の目的
  「あのキャラに認められたい。
   だから、このバトルで力を示す!」>

      ↓……主人公&キャラの魅力を提示

 <ユーザーの目的
  「バトルで勝つと
   あのキャラと仲良くなれそう」>


 これはあくまで一例です。
わかりやすくするため、シンプルな形にしています。


 この流れで、
実際にシナリオライターに求められている仕事が、
情報の加工技術だということがわかると思います。




「開発の思惑をかみ砕き、
 キャラの目的にからめた言動として描くこと」

「開発の思惑をかみ砕き、
 ユーザーが先を見たいと思うような、
 キャラやあるいは世界の変化として描くこと」


 大きくわけてしまえば、このふたつです。
「現在の状況」と「未来の状況」を主人公に絡めて考えます。


 現在、主人公は認められていないとすれば、
主人公は「認められるために戦うのだ」と言いやすくなります。

 戦って認められた先に、
人間関係の変化があれば、そこが魅力になって、
「先に進みたい」とユーザーに思わせることが出来ます。


 「今を変えたい」のが主人公で、
「未来の変化をみたい」のがユーザーなのです。


「現在」と「未来」、「主人公」と「ユーザ」ー――
この4つの要素の組み合わせを足場にして、
ユーザーの興味を引き付けるように、
開発の思惑や、伝えねばならないことを加工します。

 (2)の「よいチュートリアルの書き方」で取り上げた、
ユーザーさんがワクワクを感じるところを支える姿勢で、
情報の加工をしていきましょう。

 遊び心を忘れずに、です。





(6)ゲームシナリオライターの仕事とは?

 関連して、ゲームシナリオライターの仕事について、
お話しておこうと思います。


 ゲームシナリオライターの仕事は、
開発の思惑や設計を、物語という形に翻訳し、
ユーザーさんの心をゴールに導くことです。


 もっと簡単に言えば、ゲームシナリオライターの役目は、
ユーザーに「○○したい!」と思わせることです。

 「○○したい!」という思いを繰り返させて、
ユーザーさんを、ゲームクリアへと導きます。


 ゲームシナリオは、ゲームではないと言う人がいます。
限定的には、そうだったシナリオもあるかもしれません。

 ですが、そうした思いが、テキストやシナリオを、
ゲームシステムから遠ざけてきた原因のひとつではないかと、
私は感じています。


 シナリオは、ゲームシステムを翻訳したものです。
そこには、ユーザーさんに伝える情報と、
ユーザーさんがとりうるアクションの設計図があります。

 主人公がどこで、何をし、誰と出会い、何に向かうのか?
それは、一見してドラマが決めることのようにも見えますが、
マップやバトルの計画が決めることでもあります。

 初めてのダンジョンは短めだとか、
中ボス戦あたりから、戦略が増えるとか、
ラスボスはパーティーふたつにわけて挑むとか、
ゲームシステムが、シナリオの骨格を作っているのです。

 ゲームシナリオも、ゲームデザインなのです。





(7)さいごに

 「シナリオドリル、チュートリアル編」いかがだったでしょうか?

 業界を目指す方や、シナリオを監修される方の
お役に立てれば幸いです。


 私自身は、ゲームシナリオは、ゲームシステムを、
人間に理解しやすい形に翻訳したものであり、
ゲームシナリオもゲームシステムの一部と考えています。

 ゲームシナリオは、私にとって、
ユーザーさんの心をどう冒険させるか、その設計図です。

 でもこれは、私の一意見に過ぎません。
沢山ある選択肢の中のひとつだと思ってください。


 様々なジャンルがあり、様々な作り方があり、
そして、様々な遊び方があるのがゲームの魅力です。
 その意見も、唯一の正解ということはないでしょう。


 長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
ゲームは遊ぶのも、作るのも、考えるのも楽しいですよね。
 これからも、楽しいゲームが沢山生まれますように。

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2013年11月12日 (火)

シナリオドリル、チュートリアル編(1)

 今日は、「チュートリアルのテキスト」について、
考えていきたいと思います。

 今回は「自分で考え、自分で解く」形になります。
 イメージは、算数ドリルのシナリオバージョン、
『ゲームシナリオのドリル』です。

 例題を元に
「チュートリアルのテキストをどう書くべきか?」を
ゆっくりと解説していきますので、
よろしければ、ノートと飲み物を片手に読み進めて下さい。

※こちらは、先日、
 Twitterでお話させていただいた内容をまとめたものです。



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【例題】

  「敵が出るから戦ってね!」

  「わあ、勝ったね! 次も敵が出るから戦ってね。
   勝ったら回復アイテムのご褒美よ!」

  「わあ、勝てたね! はい、回復アイテム!
   回復アイテムはHPを回復するよ!」


(問)
  上記、チュートリアルのテキストには、
 おかしな点があります。それはどこでしょうか?

  また、何故それはおかしいのでしょうか?
 おかしな点と、おかしな理由を書き出して下さい。

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 どうでしょう? おかしな点、見つかったでしょうか?

 もし答えがわからないようでも、
自分が感じたことを言葉にして書き出してみてください。

 例えば、このチュートリアルが自分にとって、
親切か?不親切か?、自然か?違和感があるか?、
楽しいものか?つまらないものか?、などです。

 自分の感覚は、考える手がかりをくれます。

 答えや感覚を、メモすることは出来たでしょうか?
それでは、解説していきますね。





(1)解説

 このチュートリアルで悪い点は、ひとつです。
それは「ユーザーさんのアクションに先回りして結果を伝える」
というところです。

 具体的には、
「敵が出る前から、敵が出ると伝える」
「戦って勝つ前から、勝てば回復アイテムが手に入ると伝える」
「回復アイテムを使う前から、HPが回復すると伝える」
の三箇所です。

 それでは、テキストをひとつずつ見ていきましょう。





(2)敵が出ることを、
    あらかじめ伝える必要があるケース

 まず、例題の文章の一行目「敵が出るから戦ってね」です。

 このテキストに違和感はありませんか?
違和感がない、よくわからないとおっしゃる方は、
こちらを考えてみてください。



「ユーザーさんに、あらかじめ
 敵が出ることを伝えねばならないケースとは?」

 このケースを、思いつく限り、書き出してみましょう。



・そのバトルにキャラの思惑がある場合
            →「腕試しのテストだ、復讐だ」等

・そのバトルに備えが必要な場合
            →「装備やスキル、仲間の入れ替え」等

・そのバトルに敗北しそうな場合
            →「セーブした方がいい、引き返せ」等

 ざっとこんなケースが考えられると思います。


 これらのケースを、もう少し詳しく解説します。

一番上のものが「シナリオから、バトルに目的を付加したもの」

二番目、三番目のものが
「システムから、遊び方をガイドしたもの」です。

 目的がある方が戦う理由が明確となりますし、
バトルに備えることができるなら、そこも遊びになるのです。

 では、このことを踏まえて、
チュートリアルに戻って考えてみましょう。





(3)その予言は誰のため?

 例題の文章の一行目、「敵が出るから戦ってね」。

 これは、前もってバトルがあることを伝える一文ですが、
主人公や周辺キャラに「目的を付加するもの」ではありません。

 また、チュートリアルでは、
初めてこのゲームに触れるユーザーさんに配慮して、
伝える情報をコンパクトに絞っています。

 なので、装備や、仲間キャラの使い方など、
複雑なシステムの説明は後回しになっていることが多く、
前もってバトルがあることを伝えて、
戦いに備えてもらおうというものでもないのです。

 つまり、「敵が出るから戦ってね」という台詞に、
ユーザーさんに伝えねばいけない情報は入っていません。

 それなのに、先の展開を言っているので、
「この先どうなるんだろう?」というユーザーさんの
ワクワク感を奪ってしまっているのです。


 遠い未来について言及するなら、
「そうなってしまうんだ」という驚きや、
「その未来を変えなくちゃ」という情報も持たせやすいでしょう。

 けれども、変えようのない数分先の未来を、
「あなたのアクションの結果は、こうなりますから」と
言われれば、興味が薄れてしまいます。


 以上のことから、例題の「敵が出るから戦ってね」は、
チュートリアルとしては、おかしな台詞だと言えます。

 同じ理由で、2つめの台詞の中にある
「次も敵が出るから戦ってね」も適切ではないのです。





(4)アイテムゲットすることを、
     あらかじめ伝える必要があるケース

 次は、2つめの台詞に進みます。
「勝ったら回復アイテムのご褒美よ!」です。
ここでも、逆から考えてみます。

「ユーザーさんに、あらかじめ、
 敵を倒せばアイテムが入手できると
 伝えねばならないケースとは?」


 思いつくケースを書き出してみましょう。



・その敵が落とすアイテムがレアな場合
          →「確実に仕留めろとの助言」等

・その敵が落とすアイテムが今まさに必要な場合
          →「このアイテムで呪いが解けるぞ」等


 たぶん、この2つのケースが、主なものだと思います。


 この一番目とニ番目は、ともに、
「システムから遊び方をガイドするもの」です。

 一番目は、アイテムの希少価値に着目した助言です。
二番目は、そのアイテムが必要な状況を背景に、
そのアイテムの入手を促す助言です。

 では、これらのケースを踏まえて、
もう一度、チュートリアルに戻りましょう。






(5)助言か、余計なヒトコトか?

 例題の「勝ったら回復アイテムのご褒美よ!」は、
バトルに勝った場合、回復アイテムが手に入ることを
伝える一文です。

 ですが、この台詞からは「そのアイテムの希少価値」も
「そのアイテムがなくて困っている状況」も感じ取れません。


 せめてバトルの後など、HPが減った状況であるなら、
「回復アイテムだ! ラッキー!」と、
回復アイテムが入手できることを喜べたでしょう。

 または、これがナビキャラや主人公が求める
「キーアイテム」なのだとの提示があれば、
その「キーアイテムを入手するため戦う!」という、
動機付けが出来たでしょう。


 しかし、この台詞には、
「回復アイテムを入手したい!」と思わせるような
理由が描かれていないのです。


 ですが、この台詞のせいで、ユーザーさんの感じる
アイテム入手への驚きや、ありがたみは半減しています。

 また「回復」と、アイテム効能まで言ってしまっているので
「これなんだろう?」とワクワクすることすらできません。


 バトルの楽しみというのは、大きくふたつあります。


 ひとつは、敵を倒すことや、狙った戦い方ができることなど
「うまくできた!」という、「戦いそのものの楽しみ」です。

 そしてもうひとつが、経験値やお金、アイテム入手など、
勝利の後に得る、「報酬の楽しみ」なのです。


 「勝ったら回復アイテムのご褒美よ!」という台詞は、
この、報酬へのワクワク感を損ねてしまうのです。





(6)ラッピング効果

 さいごに、3つめの台詞
「回復アイテムはHPを回復するよ!」です。


 これも、ユーザーにアイテム使用を促すだけでよく、
実際のアイテムの効能については、
ユーザーさんが試してから言及する、で充分です。



 例えば、
「この薬飲んでみて。なにその疑いの目。私を信じないの?」
などで、ユーザーにアイテム使用を促します。

ユーザーさんがアイテムを使うと「HPが回復した」とアナウンス。

 このアイテムの効能を、確実に伝えたいならば、
「今のが回復アイテムよ。覚えといてね」と念押し。

 このくらいの流れでいいでしょう。


 プレゼントにはラッピングがつきものです。
ラッピングがあることで、リボンを解き、包装紙を開ける間、
プレゼントの中身を想像するワクワクした時間が保たれます。

 アイテムを手にした時、
「どんな効果だろう?」とか「強そうな武器だな、さっそく装備だ」
とか、想像をふくらませる部分が大切なのです。


 この「回復アイテムはHPを回復するよ!」という台詞も、
伝えるべきことを伝えず、余計なヒトコトを言ってしまっている
文章となります。



 以上、例文のチュートリアルの文章の、
どこが、どのようにおかしいのか?の解説でした。

 長くなりましたので今回は、ここまでとしますね。
この続きは、「シナリオドリル、チュートリアル編(2)」で書きます。

 次回は、これまでのまとめと対策についてお話しようと思います。
 ありがとうございました。

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2012年6月13日 (水)

キャラクターの作り方(2)

前回、「キャラクターの作り方(1)」の続きになります。

 主人公の作り方を説明しましたので、
今回はその宿敵、ラスボスをはじめとする
敵サイドのキャラについてです。



 ゲームに出てくる、主人公の適役たち――、
残虐な性質を持つ異能力者や、
恐ろしい計画を進める悪の組織や、
人々を苦しめる魔物や怪物たち……。

 悪役の設定は、どれもインパクトのあるものです。

 ゲーム開発で、こうした、
敵サイドのキャラたちの設定を作る場合、
どのように考えればいいのでしょうか?



(1)敵は邪魔者

 実は敵キャラたちも、
主人公の時と同じように考えることができます。

 主人公がユーザーの分身で、
そのゲームシステムを遊ぶために、
生み出された存在だとすれば、

 ラスボスをはじめとする敵キャラたちは、
その主人公がゲームシステムで遊ぶところを
邪魔する形でデザインされているのです。

 前回とりあげました、
色々な剣を持ち換えてアクションするゲームであれば、

 敵キャラとは、色々な剣を持ち替え、
アクションしなければ倒すことができない――と、
そんなデザインをされているわけです。

 主人公とラスボスというのは、
物語の意味合い的にも、表裏一体のような部分がありますが、
まずゲームシステムとしても、表裏一体なのです。

 この主人公でもって、このラスボスを攻略する、
だから面白いと、そういうふうに作っていくんですね。

 なので主人公の遊びさえしっかりしていれば、
ラスボスや敵キャラの設定をどうするべきか?
ということも、自ずと見えてきます。

 主人公を邪魔するように、敵は存在します。

 敵キャラとは、主人公にとっての邪魔者であり、
ゲームを止めるような「障害」をもたらすものなのです。



(2)お約束を噛んでみる

 RPGではよくあるお約束があります。

 主人公は故郷を旅立ち、
様々な地をさすらって、戦っていく……。

 多数のマップを攻略しながら遊ぶゲームだから、
このようなお約束があるわけです。

 これを、もっと噛み砕いてみると、
「なんらかの障害」によって主人公は故郷にいられなくなった、
この「なんらかの障害」を取り除くため、
主人公は様々な地で戦う必要がある――と、
こういう風に言い換えることができます。

 つまり、主人公が旅に出る理由や戦う理由は、
ほぼ、ラスボスなど敵キャラの活躍によって
引き起こされているものなのです。

 キャラクターの作り方(1)で、とりあげた例なら、
王国が溶けない氷に覆われ、時が止まってしまう――。
 これを、ラスボスや敵の仕業とするわけですね。



(3)障害とスケール感について

 でも、となりの国に行くのに橋が堕ちていけない、
というような比較的わかりやすい「障害」まで、
すべてをラスボスの仕業にするかと問われると、
そこは、絶対というわけではありません。

 ここで、ちょっと関連して……。

 ゲーム上に現れるすべての「障害」を、
ラスボスのせいにするか、否かについてお話しします。
 これにはメリット、デメリットがあります。

 メリットは、ラスボスとの「因縁」が深まっていくこと。

 世界中のあちこちが、
ラスボスのせいで大変なことになっているので、
街のNPCの声もそれに準じた形になり、
「ラスボスを倒そう!」という一本道にしやすくなります。

 デメリットは、スケール感が失われる可能性があること。

 全ての「障害」が、
簡単にラスボスに結びついてしまうので、
「因縁」がわかりやすい反面、
なにか起きてもどうせラスボスの仕業でしょう?と、
先の展開を読みやすくなってしまうことです。

 こうなるとラスボスが小物っぽく感じられて、
スケール感が損なわれる可能性があるのです。



(4)実例で見るラスボスたち

 ここで、実際に私が開発に関わった
ゲーム例を上げて考えてみたいと思います。

 「サガ・フロンティア」のアセルス編では、
主人公アセルスと、
ラスボスとなる妖魔の君オルロワージュ様は、
ゲームの冒頭、運命的な出会いをしています。

 吸血妖魔の王である
オルロワージュ様の乗る馬車に、
アセルスが轢かれ、絶命。

 しかし、
オルロワージュ様の妖魔の血がアセルスに混じり、
アセルスは半分人間、半分妖魔の半妖として、
復活してしまった……となっています。

 つまりアセルスから見れば、オルロワージュ様は、
命を奪った相手であると同時に命を蘇らせた相手であり、
望みもしない半妖という宿命を背負わすと同時に、
そんな半端者のアセルスを養女として保護してもいる、
複雑な関係にある相手なのです。

 戦う理由が二重三重に重ねられることで、
オルロワージュ様とアセルスとは「因縁」を深めており、
そこからくる「障害」が多数存在します。

 また、「聖剣伝説レジェンド・オブ・マナ」の
宝石泥棒編=珠魅(じゅみ)編では、
主人公となる真珠姫と瑠璃くんは宝石を核とする、
珠魅という種族であり、
その宿敵として登場するのは、
サンドラという珠魅の核専門の宝石泥棒です。

 真珠姫と瑠璃くんと宝石泥棒サンドラの関係は、
種族として狩られる側と、狩る側という関係であり、
個人的な「因縁」が強いわけではありません。

 しかし、珠魅の仲間を探す旅の中、
「幾つかの事件=サンドラにより起こされる障害」を
経験し、目撃者として生き残ってしまう
真珠姫と瑠璃くんには、
サンドラへの「因縁」が深まっていくのです。

 チームの求めるカラーにもよりますが、
私自身はどちらかというと、ラスボスとの「因縁」が深く、
「障害」自体も、そこからもたらされるものが多くある、
というような、人間関係が濃厚なものを好みます。



 ゲームにデザインされた障害全体のうち、
どの程度ラスボスがらみにし、どの程度他のものにするかは、
ゲームの開発規模によります。

 開発規模が大きく、世界観もスケールを大きくしたい、
といった作品になればなるほど、
主人公の前に立ちふさがる組織や人物は、
増やさねばなりません。

 ラスボスに忠誠を誓う組織や、
ラスボス側でも主人公側でもない独自の思想を持つ、
第三の人物などなど、様々な人や組織を絡めて
大きな物語を描いていくことになります。

 一方、開発規模が小さく、
世界観を箱庭的にコンパクトにしたい作品は、
主人公の前に立ちふさがる組織や人物をしぼって、
限られたキャラクター数で、因縁が濃くなっていくよう、
物語を組み立てねばなりません。

 すべてが奴につながってる……というような感じです。



 前述の、アセルス編と宝石泥棒編は、
大規模開発にもかかわらず、
ややコンパクトにキャラクター配置をしています。

 これは、妖魔や珠魅の独特の世界を、
色濃くしたかったためです。

 大規模開発であったサガフロとレジェマナには、
妖魔や珠魅以外にもたくさんの魅力的な種族たちがいて、
それぞれに独特の世界を築きあげています。

 そのバックグラウンドの多様性の存在があるため、
妖魔と珠魅の物語は、コンパクトにまとまりつつも、
スケールの感じられる作品となっているのです。



(5)事件はすでに起きている!

 ここで、話を戻しまして……。

 開発規模や求められるテイストにかかわらず、
主人公が行動せざるを得ないという理由は、
ラスボスや敵組織の設定に絡めるものです。

 今まで行動しないですんでいたのに、
今まさに行動しなければならないのだ!
という状況の変化――。

 その変化の多くは、ラスボスを始めとする、
敵キャラクターたちの行動を原因としているわけです。

 つまり、ゲームシナリオでは、
多くの場合は、まず、事件は既に起こっています。

 犯人は先んじて動いており、
主人公はその全貌を知らぬまま状況に流され、
急き立てられるように旅立って行き、
少しずつヒントを集めて、真相に近づいていくわけです。



(6)主人公はなぜ、走り続けるのか?

 最後に、ラスボスや敵たちの目的――、
その設定の仕方についてお話しします。

 主人公より先んじて、
敵キャラやラスボスたちがアクションし、
障害となる事件を様々に
引き起こしていることがわかりました。

 では、彼らラスボスたちは、なにを目的に、
アクションを起こしているとすべきでしょうか?

 みなさんが真っ先に思い描く、
ラスボスの目的は、世界征服ではないでしょうか?
もしくは、人々の命を使って強大な魔力を得る、
というような、禁断の力。

 これらは、半分正解です。

 実は、世界制服とは誰にとっても困ることで、
ことさら主人公だけが手を上げて、
ラスボスと戦っていこうという理由にはならないのです。

 ラスボスを始めとする敵キャラの目的に、
一番当てはめたいものは、はっきりしています。

 それは、敵キャラの目的そのものが、
「主人公にとって」どうしても困る、というものです。

 なので敵キャラの目的をさらに掘り下げ、
「主人公だからこそ我慢がならない!」となるような、
主人公にとって着目せざるを得ない要素を足します。

 よくある形ですと、
世界征服のために犠牲になる人物が必要とし、
それを主人公の家族や友人にする手法です。

 「誰もが困る目的」へ、突き進むラスボス達。
そして、その「困る目的」へといたる手段の中に、
「主人公が個人的に徹底的に困る要素」
を足していくわけです。

 こういった設定にすれば、
「人間としての一般的な怒り」と「主人公の個人的な怒り」を
二重に重ねていくことができるのです。

 世界の命運を、儚げな少女が背負いやすいのは、
主人公の少年たちを、心ごと感情ごと動かし続けるための、
からくりのひとつなわけですね。

 基本的に、ラスボス側の目的の設定は、
「主人公が最後まで情熱や怒りを持って走り続けられる」、
そんな感情を揺さぶるものであるべきです。





 以上で、ゲームにおける
「キャラクターの作り方」のお話を終えたいと思います。

 非常に簡単にですが、今回は二回に分けて、
主人公とラスボスを始めとする敵の設定について
お話させていただきました。

 わかりやすくするため、単純な例を取りあげましたが、
実際のゲーム制作では、「こんな人間を描いて欲しい」とか、
「こんな驚きがある物語にして欲しい」などなど、
その作品ならではの様々なオーダーが乗っかってきます。

 しかし、どういった場合でも、
ゲームシステムを無視することは出来ません。

 ユーザーさんに、
どうやって遊んでもらいたいか?ということ。
遊びのアイデアを詰め込まれたのが主人公です。

 その遊びとマッチングした設定をつけ、
気持ちよく世界に入れるよう情報出しでリードしつつ、
次の冒険について、そのまた次の冒険について、
楽しく、自然に進められるようにしていく……。

 そんな設定作りが、求められています。

 遊んでこそのゲームです。
萌え要素や外見だけで、
キャラクターを作っているのではないのです。



 これからゲーム開発現場に入られる
若き開発者さんたちが、どんなキャラクターを、
生み出していくのか、楽しみにしています。

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2012年6月 5日 (火)

キャラクターの作り方(1)

 今回は、ゲームキャラクターの作り方について、
お話ししていこうと思います。

 こちらの内容は、
5月末日にツイキャスでお話させていただきました。
音声がよろしい方は、こちらをご視聴ください。
生田美和のCafe de Game「5月のツイキャス」

 ゲームには、
魅力的なキャラクターが数多く登場します。
特殊能力を持った仲間たちや敵たちは、
みな魅力にあふれています。

 そのキャラクターを考えるのも、
ゲームクリエータのお仕事のひとつです。

 今日は実際の開発現場ではどのようにして
ゲームのキャラクターたちを生み出しているのか?
というところにスポットを当てみようと思います。

 今回も私自身の経験から来る、
生田流の考え方ですので、「絶対これが正解!」
というものではありません。
あくまで一例として、参考にして下さいね。



(1)主人公の作り方

 ゲームシナリオを考える時に、
「主人公がどんな人物なのか?」ということは、
とても大切なことです。

 男性なのか、女性なのか。
子供なのか、大人なのか。
人間なのか、獣人やモンスターなのか。
はたまたアイテムなのか、などなど……。

 主人公は、いかなる人物か――?

 ここが確定しないことには、その主人公が、
生き生きと動き出すシーンをイメージできず、
シナリオを書くのも難しくなってきます。

 では、どうするのか?

 主人公の性別を決め、種族を決め、
金髪ツンツン頭などの外見特徴を決め、
性格や口調を決めれば、いいのでしょうか?

 実は、これではよくないのです。

 考えなくてはならないのはゲームの主人公。
ですので、年齢や外見や、物語として、
どういう役割を持たせるかという以前に、
どうしても決めねばならないことがあります。

 それは、遊びです。

 このゲームの主人公に、
どんなゲーム的な遊びを担わせているのか?

 ゲームでは、なにをおいてもこの部分が、
もっとも重要なポイントになってきます。

 つまり、主人公の遊びのデザイン――。
 主人公に、どんな遊び機能を搭載させるか?
という設計です。

 例えばですが……。
 アイテムを使うゲームとなれば、
その主人公はアイテムを駆使して、
ダンジョンの謎を解いたり、敵を倒したりという、
遊びを担うと予想できます。

 それならば、主人公は、
アイテムと関わりの持たせやすい
発明家とか、冒険家とかがいいかな?、と
おおよそのアタリがつけられるわけです。

 つまり、ゲームの主人公には必ず、
「ゲーム性からくる主人公の遊ばせ方」というものがあり、
そこに、後からキャラクター性を肉付けしていくわけです。

 では、ちょっと例題を出してみます。
主人公の設定をどう考えていくか?、という例題です。
ご自分が開発現場で新しいゲーム作りに携わっているのを
想像しながら、チャレンジしてみてくださいね。

 (例題)
  このゲームに相応しい主人公は、
  どんな主人公でしょうか?

  様々な剣を持ちかえ、
  多彩なアクションを楽しむゲームシステムです。
  舞台は、剣と魔法のファンタジーの世界です。

 いかがでしょうか?
ちょっとお時間有る方、チャレンジしてみてください。

 ファンタジー世界で、
剣を取っ替え引っ替えするアクションゲーム。
その主人公です。

 こういうゲームを作ろう!となった時に、
みなさんなら、どんな主人公を提案したいでしょうか?



 では、解答編に移りますね。

 非常にオーソドックスな例になりますが、
こんな主人公はどうでしょうか?



 (解答例)
   主人公は、騎士の王国の少年。
   ある日、何者かの悪意ある魔法により、
   王国全土が溶けない氷に閉じ込められる。

   凍りつく王国から逃げ出せたのは、
   騎士団にかばわれた、子供たちだけ。
   少年はその中の一人。

   凍りつき、時が停止した王国を救うには、
   なんでも斬れるという伝説の剣が必要。

   少年は、この伝説の剣を求めて、
   旅立っていくことになる。

 こちらが、オーソドックスな解答例です。

 少し補足しますが、この解答例は、
わかりやすくするため、説明を多めにしています。

 実際に書類をまとめていく時には、
開発現場で共有できていることもあるので、
三行くらいにおさまる設定かと思います。

 では、話を戻しまして……。

 例題の答えが、
なぜこのような解答になるのでしょう?

 実はこの解答例は、例題に盛り込まれた
「見えざるオーダー」に答えた形になっています。

 見えざるオーダー――。

 ここがゲームならではの考え方になります。

 では、この解答例を参考に、
どうしてこの設定にしなければならないのか、
説明していきたいと思います。



<なぜ、少年なのか?>

 まず、主人公を「少年」にした理由から説明します。
これは、「主人公=ユーザーさん」という部分に、
配慮した設定になっています。

 主人公を、
剣に長けた聖騎士や勇者に設定しても、
ユーザーさんは、
ゲームに慣れるまで時間がかかります。

 ですので、
すぐさまカッコイイアクションが出来るとは、
限らないものなのです。

 そこで……、
どこかに「新米」とか「子供」というような、
「剣を使って戦うのにはあまり慣れてないよ」
とわかる設定をいれておきます。

 そうすると、実際のユーザーさんのプレイと、
主人公の設定とが乖離しないですむのです。

 呪いで剣の使い方を忘れてしまっているとか、
怪我のため利き腕では剣を持てなくなったとか、
魔法は大得意だけど剣はからっきし……、
なんていう設定もよく使われますね。



<なぜ、伝説の剣を求めるのか?>

 次に、「伝説の剣を求め旅立つ」という設定です。
こちらは、ゲームシステムに合わせるための
設定になっています。

 ゲームシステムが、
「色んな剣を持ち換え、アクションを楽しむもの」
なので、主人公の目的もそこにかぶせているのです。

 主人公の目的自体が、
「伝説の剣探し」となっていれば、
色んな剣を、「もしかしたら伝説の剣かも?」
と探し求め、それらの剣を試し斬りし、
取っ替え引っ替えしては、遊んでいくことができます。

 主人公の目的の置き方で、
ゲームシステムとの相性を高めているわけですね。



<なぜ、王国が凍りつき、
  子供しか逃れられなかったのか?>

 最後に、
「王国が凍りついて停止した」という部分と、
「騎士に庇われた子供しか逃れられなかった」
という部分。

 このふたつの設定について、説明します。

 こちらは、わかりやすく言うと、
先に上げた主人公の設定を強化するためのものです。

 ちょっと考えてみてください。

 新米なり子供なりが、色んな剣を持ち換えて、
なにか大きな目的を果たそうとしている――。

 これは、少々奇妙な状況ですよね?

 その大きな目的が大切なものであればあるほど、
戦うことが出来る戦士や兵士、大人たちは、
一体何をしているのだろう?と思ってしまいます。

 そこで、こちらの設定――
「王国が凍りついて停止した」
「騎士にかばわれた子供しか逃れられなかった」
が必要になってくるわけです。

 「大人が動けない理由」を設定に組み込んでおくと、
ゲームの世界に、嘘がなくなります。

 つまり、主人公の状況を補強するための
設定の持ち方です。



 いかがでしょうか?

 先ほどのゲームシステムの説明からは、
ざっと、これくらいのオーダーが読み取れる、
ということなんです。

 もちろんこれはあくまで一例です。
正解パターンは無限にあると思います。
もっとすごい設定も、
もっと奇抜な設定も持ってこれます。

 ですが、大切なのは三点です。

 まずひとつ。
ゲームシステムから来る主人公の設定は、
活かすべきだということ。

 剣でのバトルが楽しいゲームなら、
剣士だとか、逆に剣は全く使えないとか、
「剣を使うこと」に着目した設定にします。

 ふたつめ。
主人公の最終目的の持たせ方です。
主人公の目的は、ゲームシステムの目的に
かぶせていくといいです。

 剣でアクションして遊ぶのだから、
「アクションするための剣を探す」
という目的にするわけです。

 さいごみっつめ。状況の設定です。
何故「主人公」なのか?何故「今」なのか?

 主人公しかいない、できないという状況、
今じゃないとダメだという状況を、考えておくこと。

 まとめますと……


(1)主人公の設定は、ゲームシステムを元に考える
(2)主人公の目的は、ゲーム自体の目的にかぶせる
(3)主人公しかいない、今しかない、その状況を作る

 ちょっとしたゲームシステムの情報だけでも、
これだけの要素に光を当てていくことができます。

 それくらいゲームというのは、
要素要素が関連し、それぞれが、
深く影響しあって、成り立っているのです。

 実際のキャラ作りでは、ここから更に進め、
年齢や性別や、衣装やイメージカラー、
喋り方や、性格設定などなど、
かなり突っ込んで考えていきます。

 新しいヒーローやヒロインを生み出すのは、
とても楽しく、やり甲斐のあるお仕事です。

 ここから先は、みなさんの個性を生かして、
さまざまなキャラを生み出していってくださいね。


 では、今回はここまでにします。
次回は、主人公と対をなす存在――
ラスボスや敵キャラクターの作り方について、
お話したいと思います。

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2012年5月18日 (金)

ゲーム開発者Twitterの心得(3)

 前回、「ゲーム開発者Twitterの心得(2)」の続きになります。

 今回は、自分が開発に関わったゲームが
発売された後のTwitterでの交流についてです。
 このシリーズは、これで最後になります。




(3)ユーザーのみなさんとの交流について

 Twitterは、とても交流がしやすく、
それゆえ、交流したくなるツールです。

 しかし、Twitter自体が現在も進化しており、
ユーザーさんのTwitterへの姿勢や、その使い方も、
日々変化しています。

 そんな中で、「これが間違いのない交流だ!」
というところまで確定していくのは難しいでしょう。

 そこで、2012年の現時点でのことですが、
私が気をつけているポイントをいくつかご紹介したいと思います。




①気分は天体観測

 自分が関わったゲームの感想について、
「面白かったですか?」とか「どこがよかったですか?」とか
ユーザーさんに、あれこれと質問したくなるものです。

 気合いの入った作品、大切な作品なら尚更でしょう。

 ですがユーザーさんに直接ご感想をうかがうことについては、
私は、気をつけるようにしています。

 ゲーム制作には大勢の人々が関わっているので、
関係者の方がそれぞれの言葉で「感想をください」、
と言い出したら、とんでもないことになります。

 リツイート狙いで開発者の気を引くような感想ばかり
になってしまっても、それは残念なことだと思うのです。

 それに、ゲームへの思いを綴るのに、
140文字という枠は足りないのではないでしょうか?

 やはり、詳しいご感想やご意見ご要望については、
開発会社さんへのアンケートハガキやファンメールなどで、
集めていくのが一番かと思います。

 なので、私の場合ですが
「開発者自ら感想を取りに行く」というような、
インタビュー方式ではなく、
「ふいに流れてくる流星のような感想を観測する」
という天体観測的なスタイルでいます。




②「記録」ではなく「記憶」に残す

 ユーザーさんがゲームのご感想をつぶやいている場合、
嬉しくて、ついリツイートしたくなることもあると思います。

 でも、自分にリプライされたものではない、@なしのつぶやき……
つまり、宛先のないユーザーさんの個人のつぶやきを
リツイートするのはどうでしょうか?

 これは、「どうしよう?」と迷われる部分だと思います。

 「開発者が喜んでいることを伝えたい」と言う気持ちは、
純粋な喜びと感謝から来るものだと、私は思います。

 Facebookの「いいね!」ボタンのような感じで、
Twitterのリツイートを使いたいこともあると思います。

 しかし、Twitterへの参加者が増え、
裾野が広がったことで、リツイートへの考え方も、
だいぶ事情が変わってきたようです。

 ユーザーさんの中には、
Twitterをメモがわりに使う方もおられますし、
複数のつぶやきをつなげていくことで、
独特な世界観とも言えるものをまとわせる方もおられます。

 開発者の中には、いわゆる「著名人」もいらっしゃって、
ユーザーさんのご感想を大量RTされる方もおられます。

 事実、それを喜んでらっしゃるファンの方も、
あのひとフォローしたらリツイートで埋まっちゃって大変!、
と思ってる方もいらっしゃるのです。

 こうしたTwitterの使い方や感じ方の違いから、
「公の場でつぶやいた」=「開発者がリツイートしていい?」
と、クエスチョンがついた感じになっているのが、
現状かと思うのです。

 Twitterは始めた時期やフォロワー数、
使い方や慣れ方によって、感じ方も考え方も様々です。

 色々な考えがある以上、自分の関わった作品だからと、
あれもこれもと片っ端からリツイートしてしまうのは、
少しですが心配な面もある……というのが私の考えです。

 そこで私自身は、ユーザーさんからのご意見ご感想は、
この胸に留め、次の作品に向かう力にしています。

 Twitter上で記録するのではなく、心に記憶したいのです。




③おとなな遠距離恋愛

 Twitterを長くやっていると、
自分が関わった作品のイベントや、その告知に
ばったりと遭遇することもあります。

 まずは、「うれしい!」という気持ちがあるでしょう。
そして、「参加したい」「広めたい」という気持ちも、
じわじわと出てくるものだと思います。

 ですが、ここはすぐにリツイートしたり、
イベントへの参加表明したりせず、状況をよく確認したいところです。

 例えばなのですが、
「あのイベントはリツイートしたのにこっちはしないのか?」
という不公平感が出てしまうのも困りますし、
「開発者が承認した」→「開発会社が承認」→「公式イベント!」
と、勘違いが加速していく場合もあるからです。

 ケースケースで確認するのがいいのですが、
開発内部にそうした担当者さんがいらっしゃらない場合もあります。

 そこで、基本的には、
ユーザーさん個人で行われるイベントについては、
そのユーザーさんたちの楽しみを邪魔しないためにも、
「うれしいなあ」という素直な気持ちを持って、
「その場に飛んでいきたい!」という情熱はグッと堪えて、
遠巻きにそっと見守りたい、というのが私の気持ちです。

 ちょっと遠距離恋愛の心持ちに似ていますね。




 私がTwitterで気をつけている立ち振る舞いについて、
三回に分けて、まとめてきました。

 ここで書いたことは私個人の現時点での解釈ですし、
時代が進み、ネット環境が進化していけば、
人々の考え方や好まれるルールも変わっていくのかもしれません。

 でも、きっと、考えの根っこは変わらなくって、
とても単純なことではないかと思っています。

 作品と開発チームを大切にすること――。

 ゲームは、それ単体では存在しません。
 大勢の開発者さんはもちろん、
営業さん宣伝さん、イラストレーターさんや背景さん、
声優さんや音響さんがいらして、生み出せるものです。

 そしてゲームというのは、
そのゲームを遊んでくださるユーザーさんがいて、
その方の体験を、冒険を、遊びを通して、
はじめて完成するのではないかと感じるのです。

 その作品を大切に思う気持ちで、
遊んで下さるユーザーのみなさんごと、まるっと、
大切にしていきたいですよね。

 ネットが発展した今は、Twitterを始め、
さまざまなところでユーザーさんの気持ちを知ることができます。
 ユーザーさんとの交流という点で、
こんなに恵まれた時代は、かつてなかったでしょう。

 この場を借りて、私の関わった作品について、
ご感想やご意見をつぶやいてくださるみなさまに、
深く感謝いたします。ありがとうございます。

 ゲームを好きなひとたちが、楽しい交流ができますように。

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2012年5月15日 (火)

ゲーム開発者Twitterの心得(2)

 前回、「ゲーム開発者Twitterの心得(1)」の続きです。



(2)発売後のマナーについて

 ゲーム発売後も、発売前と同様に「内容」「スケジュール」、
このふたつについては発言を控えます。

 まずゲームの内容についてですが、
「発売から半年経ったから、そろそろ内容に触れてもいい」
ということはありません。

 攻略速度というのは、ひとそれぞれですし、
口コミでゆっくりと売れていく場合もあります。

 主人公たちがどんな運命をたどるか――。
などという、物語の核心にせまる内容には、
開発者という立場では、触れないほうがいいでしょう。

 次に、スケジュールについてですが、こちらは
開発さんの開発状況を、過去のものとはいえ、
表に出してしまうことになるので、あまり感心されません。

 大雑把な話なら構いませんが、
「何月ごろ、これこれをしていた」というのを詳しく語るのは、
避けるようにしましょう。

 一方、発売前にはタブーだった「開発者情報」については、
スタッフロールなどで明らかにされているものについてですが、
言及することが出来るようになります。

 ただ、その場合でも、ご自分だけで判断せず、
いつからアナウンスしていいか、またそのスタイルについても、
担当者の方に確認を取るようにしてください。

 自分が関わったゲームが発売されると、
つい製作時のエピソードなどを話したくなってしまうものですが、
そこは開発さんと歩調を揃えていきましょう。

 ネタバレは引き続き厳重注意です。

 まだ、遊んでいない人たちもいる――。
 これから遊ぶ人たちもいるかもしれない――。

 自分にとっては既に終わってしまったお仕事でも、
そのキャラのその冒険は、ユーザーさんたちの胸の中で、
今なお生き続けいるかも知れません。

 未来のユーザーさんの楽しみを奪わないように、
そしてまた、旧ユーザーさんの思い出を壊さないように、
開発者として配慮しましょう。

 作品を愛し続ける気持ちが、大切だと思っています。




 次回は、Twitterを通じた交流について、
私なりの考えですが、まとめていきたいと思います。

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2012年5月14日 (月)

ゲーム開発者Twitterの心得(1)

 ご質問を頂いたので、私なりの
ゲーム開発者としてのTwitterでの振る舞いについて、
何回かに分けて、まとめていこうと思います。

 ですが、これは私の個人の考えです。
実際には、所属する開発さんやタイトルごとに、
守らねばならない約束事は違いますので、
個々のケースについては、担当の方と相談されてください。



(1)発売前のマナーについて

 ゲームの発売前、やってはいけないことは沢山あります。
まず第一に思いつくのは、「ネタバレを避ける事」だと思います。
 では、どんなことについて気をつけていくべきでしょうか?

  ・作品の内容

  ・開発者情報

  ・開発スケジュール

 以上が、ネタバレしてはいけない主な項目です。
開発に携わった方なら理解されていると思います。
 「守秘義務」という考え方ですね。

 しかし、開発関係者がTwitterを常用している場合、
なにげない発言から、情報がリークしてしまう可能性があるのです。
 例えば以下のようなつぶやきです。


 例1)「今やってる仕事はRPGなんですが、昔の同僚もいて楽しいです」

  →
    開発さんによっては、
    そのジャンルを開発することや関わっている開発者さんを、
    秘密にしたい場合もありますので、避けたほうがいいです。


 例2)「今、すごく大変なんです。でも半年後には発売しますので……」

  →
    開発さんによっては、
    開発スケジュールを伏せたい場合があるので、
    避けたほうがいいです。


 「この程度の発言で問題になるの?」と、
驚かれてしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 その発言が問題かどうかをチェックするのは、
発言している側ではなく、関わっている会社の方々です。

 特に未発表、未発売のタイトルには、
ユーザーのみなさんに知らせていく段取りとなる
「宣伝計画」や、それにより期待される「宣伝効果」
というものがあります。

 内容を部分的に伏せてミステリアスにしてみたり、
有名な開発者さんのお名前だけを前に出したりして、
情報を公開する順番があるわけですね。

 そんな中で、開発者がポロッと発言してしまうと、
宣伝計画が狂ってしまうこともあるのです。

 開発は、チームで挑む仕事です。

 スタンドプレイで、みんなの仕事を壊してしまうのは、
やってはいけないことですよね。
 情報の取り扱いには重々お気をつけ下さい。



 なによりゲームは、遊んで下さるユーザーさんのものです。

 楽しみに待っていらっしゃるユーザーさんのためにも、
作品を大切に届けるようにしましょう。

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2012年4月 8日 (日)

お仕事拝見!ゲーム開発の流れ(2)

前回、「お仕事拝見!ゲーム開発の流れ(1)」の続きです。

(4)チームはどうスタートするのか?

経営の側の人たちとの激しいバトルの結果、
企画書が通って、OKとなった場合。

ここでやっと開発スタート!となって、雲の上の話から、
下界に降りてきて、一介の開発者も参加できる……、
というわけではなかったりします。

すぐに開発がスタートするわけではないのです。
チームが、すぐには作れないことになっています。

これにも、様々な理由があるのですが、
一番大きい理由は人がいないということです。

「人がいないってどういうこと?」って、
そう思う方もいらっしゃるかと思います。

人がいないその理由……
みなさんは見当がつくでしょうか?




正解は、開発者のみなさんが他のタイトルを開発中だからです。

だいたいの開発会社は、
開発者を遊ばせないようにしています。
開発現場では常に、何かが作られています。

場合によっては、
複数のタイトルを掛け持ちする方もいます。

すると、新しい企画を立ち上げるその時期にも、
開発では、何か作っていたりします。
みんなが何か作ってるので、
すぐに大人数を揃えられないわけなんです。

人がいないのに新しいチームを立ち上げなければならない。
その場合どうなるかというと、少数精鋭で、ということになります。

企画を通した有名クリエータやベテランさんが、
チームにどうしても入れたいという人を召喚します。
2、3名という場合もあります。

ここで、少人数ながらチームが立ち上がります。
いわゆる、『小チーム』というものです。



(5)ゲームはどう作り始めるのか?

企画書が通り、小チームが出来ました。
さあ、いよいよゲーム作りです!

といいたいところなのですが……、
まだまだ道のりは遠いです。

すぐにゲーム作りに取りかかれないのは、
やはり人がいないためです。

RPGは大量のデータを必要としますので、
制作にはそれ相応の人数が必要になります。

会社の制作スタイルや、作る内容にもよりますが、
最低でも15名くらいは欲しいところではないかと思います。

そこで、小チームは、
いきなり本格的な制作に入るのではなく、
企画書を元にしたゲームの根幹作りに入ります。

本格的なゲーム制作に入る前の準備段階――、
これが『プリプロダクション』と呼ばれるものです。

小チームで挑むプリプロでは、
一番売りになるシステムや遊べる部分、
あるいは、どんな風に企画が転んでも使えるだろうという基本、
そういったどう転んでも無駄のない箇所に手をつけていきます。

ここで、第二の試練が来ます。
創り上げたゲームの一部分、ゲームの原型を発表し、
「本当にこのゲームを作るべきなのか?」を問われます。
判断するのは、経営側の方々です。

製品として、あるいは作品として、
勝機が見えない場合、ここで企画は潰れます。

つまり、本当の意味で、
この新企画はまだ通ってはいないのです。

これは、相当に厳しいチェックになります。

そこで、イメージ映像などを作って、
もう一度、経営陣のハートを掴みにいきます。

しかし、ゲーム性やイメージ映像が、どんなに面白くできていても、
それとは関係ないところで企画が流れてしまう場合もあります。

例えば、
他のタイトルの続編を作ることになったので人数を裂けない……。
例えば、
他のタイトルの開発が遅れているので、人数をそちらに割く……。

そんなことになってしまえば、小チームは即解散となります。
個人の努力や才能では、もはやどうしようもないです。
ゲーム開発には、そういうめぐり合わせがあります。


ちょっと脱線します。
実は、私も小チームに参加していました。

その企画を聞いて、
数分で魔法にかかったようになってしまいました。
新しい面白さに満ちた企画でした。

チームも本当に気持ちのよい、ゲーム好きな人たちが集まっていて、
ゲームと向き合う楽しさを取り戻してくれた、そんな場所でした。

残念ながら、企画内容とはまったく別な理由から、
チームの存続を認められなくなりました。

私は、あのワクワクするようなゲームを越えるものを、
他の企画書から感じたことはありません。

一言で言えば、挑戦。
挑戦的なゲームでしたね。
既存ゲームの何にも似ていない。

つまりゲーム性での勝負、純粋な面白さでの勝負でした。

こういうものが世に出て欲しいと思っています。
何かに似てるとか、何かの続編とかではなく……。
切にそう願っています。



(6)正式始動

話を戻しまして……。

企画書が通り、
小チームで作ったイメージ映像なり、遊べる部分なりも好評で、
たまたま他のタイトルとも人の取り合いにならず、
既存の発売タイトルも好調で、会社も傾かなかったとして……。

ここでようやく、「作ってよし!」と承認がおります。
いよいよ正式始動です。


「新しい企画が通り、チームが立ち上がったんだ」と、
みんなに知れ渡り、やっとここで一介の開発者さんも、
開発に参加するチャンスが巡ってきます。

そして、人の取り合い合戦が始まるわけです。

新チームに、はじめに声がかかる開発者というのは、
やはり優秀な人というイメージがあります。

しかし実際は優秀だとしても、
すぐにチームに呼ばれるかどうかはわからないのです。

まず、自分が組んだことのある人じゃないと、
評判通りの能力がある人なのかわからないから、
というのがあります。

開発者の能力というのは、
開発者同士ですら把握しにくいものなのです。
そのため、知っている人同士の方が組みやすく、
呼ばれやすくなります。

それから、これは意外かもしれませんが、
「この人はなにを作れる?」という職人的な技術よりも、
穏やかだったり、気立ての良さだったりという、
人柄が買われることがあります。

RPGは、大量の物量を
長い期間かけて作り込んで組み上げるものです。
二年間近く、もしくはもっと長い時間、
そのチームで戦っていくわけですから、仲間として、
気持ちいい人に入って欲しいものなんです。

もし、現在、開発者を目指している方で、
自分がこれという絵が描けないとか、
一流のプログラマーにはなれそうにないとか、
そういうところで、モヤモヤしている方がいるなら、
それは杞憂ではないかなと思います。

今はフリーで活躍する開発者さんや、あるいは、
部分部分を請け負って開発をしてらっしゃる
専門性の高い会社さんもあります。
専門性という部分が、外に出ているのです。

なので必ずしも、みんながみんな、
専門性が高い職人でなければならない、
というわけではありません。

職人さんたちの間を取り持ったり、
職人さんの出すものの品質や、職人さん自身のテンションを
コントロールしたりという、
編集やマネージャー能力が高いひとも大切になっています。

それと大量のデータを、さばく人たちも非常に重要です。
力技で、でも品質も維持して、ものすごい量を作り出す人がいます。
そういう人が、大きな戦力になります。

こういうタイプの方々を『データパンチャー』と言うこともありますが、
よく間違われているのが、こういうひとたちは手足だという考えです。

データを作る方々は、手足ではなく、頭脳です。
武器のデータひとつとっても、バランスというものがありますから、
大量に作っていくものはすべて、全体を見て、関連性を見て、
これぞというものを差し込んでいかねばなりません。

ゲームが理解できていて、視野が広く、
しかもその担当箇所について熟知していなければ、
そんな大量のデータを安心しては任せられません。

たくさんの要素が複雑に絡みあうRPG開発において、
「これやっといて」の一言で、
期待したもの以上のクオリティの成果物を、
納期に間に合わせられる人というのは、
やはり一種の天才です。

センスがある、論理がある。
しかも、同時並行して様々な物事を破綻なく進められる。
そういう器用でパワフルな方でなければ、
大量のデータを任せることなどできません。

そして、そういう人にアウトプットの末端を
コントロールしてもらわないことには、
作業の質も、作品の質も低下していく一方なのです。

職人ではない=管理職に向く、ではないように、
人を管理できる人、現場で物量を任せられる人、
そういうタイプの人々は、これこれこういう人……、
というのをゲームに関わる人は、
そろそろ明確にしないといけないと思います。

そんなわけで、開発チームが発足して、
人狩りやスカウトや、情け容赦ない人事異動が始まって、
ベテランさん、職人さん、人の管理に長けた人や、
大量の物量をさばける百人力のデータパンチャーさん、
などが召喚されてきます。

そうして、今度のゲームはなにするんだ?
なにが果たされればゴールなのか?、
それって面白いのか?、などなどを話しあい、
時にぶつかりあいながら、作品を叩き上げていくことになります。

ここから先の開発の流れは、
また機会があれば、お話ししたいと思います。





(7)さいごに、開発の矛盾と未来について

駆け足ですが、
ゲームの始まりの一歩からチーム発足まで、
お話してきました。

ゲーム開発と聞いて思い描いていたものと、
少し違う部分があるのではないかと思います。

特に、ゲームを作ってお金を頂いている会社なのに、
ゲームの面白さを純粋に追求できない、
そんな場面があるところなどが、
意外だったのではないかと思います。

ゲームなんだから、ゲームを面白く。
これではダメなのでしょうか?
なにか、モヤモヤとしたものがありますよね。

それで、最後にそのへんに触れておこうと思います。

ゲーム好きな方が思い描いているゲーム作りの開発現場というのは、
ゲームの面白さを追求していき、それに対して、
どこかがジャッジをして、よし、これでいこう!、
こんな流れではないかと思います。

なぜ、これができないのかというと、
「(1)ゲームは誰から始まるか?」でお話したとおり、
ゲームの始まりが「面白いゲームを作ろう!」ではないからです。
一定時期にゲームを作らなければ会社が維持できません。
そこが大きな問題なわけです。

会社である以上、それは当然といえば当然です。
でも少し、角度を変えて考えてみます。

ある食品メーカーさんのお話です。
とある新しい食品開発に数年を要し、
途中、何度も「この開発チームは終わりかも」、
と思ったこともあったそうです。

新商品開発というのは、何年もかけて取り組むことである。
しかし、その結果が必ず商品になる、というわけではない。

つまり、そちらのメーカーさんは、
無駄になるかも知れない研究時間を、
実に数年間も取っているのです。

新商品の開発には充分な研究が必要で、
その研究の末、やっと新しくやろうとしていることが、
新商品に相応しいかどうか見えてくるのです。

研究なくして、新しい物が作れないという姿勢ですね。

では、ゲーム開発の場合を振り返ってみます。

ゲーム開発では、開発チームが本格始動となった時点で、
それはもう、よほどのことがないかぎり商品化決定となります。

つまり、開発時間=研究時間、ではないのです。

ゲームの場合は、
開発時間=完成品となる製品版の制作時間、です。
研究時間というのは事実上、ほぼ計上されていません。

部分部分を研究はしますが、そのすぐ隣では、
製品版をノンストップで作っていってるようなものなのです。

そういった意味では、開発チームは、イコール、
即、完成品制作にとりかかる制作チームともいえます。

ここが一番、苦しいところだと思います。
矛盾がある所でもあります。
簡単に解決できないところです。

「研究は小チームの間にすればいい」という方もいますが、
期間は大変短く、バックアップ体制がありません。

開発室とは別に、
研究部門を抱えておられる会社さんもありますが、
まだ一般的ではないように見受けられます。

開発研究部門や開発研究機関が設けられないことで、
ゲーム作りの経験値が企業やチームに蓄積されず、
個人にしか貯まらない、そういう面もあります。

そして、充分な研究時間が取れないことが、
開発現場にめまぐるしいクラッシュ&ビルドをさせてしまいます。
結果、開発の混乱や遅延を生んでしまうこともあるのです。

研究しながら開発していること。
作るべきものを探り試しながらも、もう完成品を作らねばならない。
大いなる矛盾です。

かたわらで台本を書きながら、役者さんを探しているのに、
もうカメラは回っていて映画を撮影し始めてる……、
というような、そんな混乱があります。

この部分がもうちょっと、どうにかなってくれると、
良いなあと思っています。

たとえば、
研究して「これは面白い!」というものがあれば、
「こう作ればいい」というところまで探っておいて、
それをストックしておく。

そして、会社を維持するために売るものを作らねばならない
その時になって、ストックしていたものを再検討し、
今の時流のものに多少アレンジして、順に開発していく……。
とか、そういうことかなあ、なんて思っています。

また、今は開発会社のあり方も変わってきていて、
まるまる全てを自社開発する、というスタイルだけでは、
なくなりました。

多くの作品が、外部の企業や
フリーのスタッフと協力して作っています。

部分的に受注する会社は、任された部分の品質管理と、
それを納品するまでのスケジュール管理をします。
一時期、肥大化してしまった開発が、
コンパクトに切り分けられたような感じです。

企業体力は弱くなったかも知れませんが、
贅肉をそぎ落としたように、小回りがきくようになったとも言えます。
オールマイティーな開発者も姿を消しましたが、
その分、部分職人たちの専門性が強くなりました。

複数企業や組織の共同開発。
そうなると、絶え間ないクラッシュ&ビルドではなく、
はっきりと「これを創る!」というものに向けた
協力体制になっていきます。

もしかしたら、こういった面からも、
面白いと思われるゲーム性の検証やアイデアの具現化は、
必須になってくるかもしれません。

開発もナマモノです。
生きた人間が創り上げる場所ですから、日々変わります。
私がお話ししたようなことだけではなく、
もっともっと新しい変化が起きるかも知れません。

これからゲーム業界に入るみなさんや、
あるいは今、若手で頑張ってらっしゃる方々が、
面白いと思う方向に、少しずつ舵を切っていくのだと思います。
若い方の作られる新しい開発を、私は楽しみにしています。



色々お話ししましたが、
これは私の経験から来る、私の思いですので、
違う考え方、作り方、様々にあると思っています。

以上、新しいゲーム企画の始まりから、
企画書作り、小チーム、本チーム発足の流れでした。

最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。

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2012年4月 7日 (土)

お仕事拝見!ゲーム開発の流れ(1)

みなさんは、お父さまやお母さまの働く職場に
見学に行ったことはありますか?

私は、すごく行きたかったんです。
父が、宇宙開発の現場の人だったので、
その仕事を見てみたかったんです。

子供心に、宇宙は憧れであり恐怖でした。

見渡すかぎり、吸い込まれそうな夜の闇が
どこまでも続いていて、
足元もおぼつかない無重力の空間で、
遠く離れた地球と連携して様々な作業を
やっていくなんて。

なにもかもが未知の世界です。
そんな凄いことに、
一体どんなチームで、どうやって挑んでるのかな?って、
興味津々でした。

結局、職場見学の夢は叶わなかったのですが、
後にSFゲームのために、
宇宙開発関係の方々にお話を聞く機会をいただけました。
そのゲームは残念ながらゴーサインが出なかったんですが、
良い思い出になっています。

というわけで今回は、
ゲーム開発現場の見学会みたいなことが
出来たらと思ってます。

企画が立ち上がるゲーム開発の始まりから、
このメンバーで作っていくぞ!という、チームの発足まで。

大ざっぱではありますが、
会社としてのゲーム開発の流れがわかると思います。

RPG開発中心の話になりますので、偏りはあると思いますが、
「そういう開発もあるんだなあ」という気持ちで、
見学して頂ければと思います。

少々長くなってしまうかもしれませんが、
全二回に分けてまとめていこうと思います。

※この記事は、
  ツイキャスで放送したもの(2012年3月29日放送分)を
  ベースに文章化したものになります。
  音声がよい方は、こちらをご利用下さい。
  ・3月のツイキャス(前編)
  ・3月のツイキャス(後編)




(1)ゲームは誰からはじまるか?

みなさんは、ゲーム開発ってどう始まるか、わかりますか?

チームのボスみたいな有名クリエータさんとかベテランさんとかが、
「俺、ひらめいた!」みたいなことで、自由にはじめる感じがしませんか?

私は、てっきりそうだと思っていました。
天才肌の人が、急にアイデアを思いついて立ち上げるような。

もしくは、すでにあるシリーズを大切に守っていく。
そのために、ずっと定期的にそのシリーズを作り続けているような。

前者は、新しいゲーム。
後者は、既存のゲームの継続です。
閃きがない限りは、シリーズもので安定して作ってるのかな?
って思っていました。

いずれにせよ中心人物となる有名クリエータさんやベテランさんたちが、
自分達の裁量で企画を立ち上げてやっている、そんな感じです。

そういう場合もあるとは思います。
でも、厳密には、違う事の方が多いんです。

ゲームを作ろうと言い出すのは別なポジションの人です。
では、その言い出しっぺがどういう方かわかるでしょうか?




正解は、経営者さんです。
経営サイドの人たちですね。

意外かもしれませんが、開発者さんではないんです。

「そろそろ開発にかからないと、
 売る商品がないので来期が大変だぞ」

みたいな。
そういった流れで、
「さあ、ゲームの企画を立ち上げよう!」となるんです。

ゲームを商品として捉えています。
会社を維持していくものとしての、ゲーム開発です。
まさに経営からの目線ですよね。

これが新しい企画を、新しい商品を作ろうという、
その最初のアクションになります。

会社としてあるのですから、
当たり前と言えば当たり前なのですが……、

種を蒔いて、育てて、収穫して、収穫物を売ってお金にして、
そのお金で、また種を蒔いて育ててと、
そういうサイクルで、ゲーム会社も動いています。

一介の開発者からすると、ちょっと雲の上の話ですが、
ゲームの企画のはじめの一歩は、経営から始まるのです。




(2)ゲームは誰が考えるのか?

ゲームの第一歩は、「作って良し!」といような、
そんな天の声が経営サイドから
聞こえてくるところから始まりました。

そして、いよいよゲームの中味の話になります。
「どんなものを作ろう?」ということを決めていきます。

では、このゲームの中味って、誰が考えるのでしょうか?

ここから一般の開発者さんも参加して、
チームになって、色々アイデアを出していくような
そんなイメージもあります。

ですが、この段階ではチームは作られません。
なので、まだまだ雲の上の話になります。

「新しいゲームの企画を立ち上げよう!」という天の声。
まず、この声が聞こえる人と、聞こえない人とがいるのです。

ほとんどの場合、企画の募集は密かにされたりします。
もしくは企画書を書ける資格がある人というのが、限られています。

いずれにせよ新しいゲームの企画を、
全社員から平等に募る、ということはたいへん稀です。

その理由は様々でしょうが、
「そろそろ売る物がなくなるから、新しいゲームを作ろう」
という流れが、やはりあるのではないかと思います。

つまり、余裕があるわけではないのです。
いついつまでに売らないと、これくらいのお金にしないとと、
そういうハードルがあるんですね。

即商品となって即売れる、
つまりお金になって会社を維持できる、
そういう企画が欲しいということになってきます。

広く企画を募集しない理由のひとつは、
ここにあると思います。

それで、こうした、
新規ゲームを立ち上げていいとの情報をキャッチできる人、
またその情報をキャッチした上で、
企画発表の場所に応募する資格がある人は、
相当に限られます。

つまり、それが(1)で少しお話しした、
有名クリエータや、ベテラン開発者さんなわけです。
この人たちが中心人物となっていきます。

ゲームは誰が考えるか?
それは多くの場合、実績のある開発者に限られます。





(3)企画書ってどんなもの?

天の声が聞こえ、
ベテラン開発者さんたちがゲームを考えることになりました。

ここで書かれるのが、『企画書』というものです。
こういうゲームを作りたい、これを作らせて欲しい、って
アピールする資料です。

アピールする、ということ。
これがなかなか難しいことになります。

どう難しいのかお話する前に、
まずは、ざっくりと企画書の内容を説明しますね。

企画書の書き方は様々ですが、
大抵はじめの方のページで、ゲームの概要を伝えます。

どんなジャンルなのか?、ハードはなにか?、
ひとり用か、二人用か?、何人で遊ぶのか?、
ターゲット層はどこか?、などなどです。

次に、ゲームの一部分にズームします。
このゲームならではの遊び方、この作品でしか味わえない面白さ。
そういった「売り」の部分を、しっかり伝えます。

そして、今度は引いて、ゲームの全体像を見せます。
どういう流れで、ゲームが進んでいくのかを紹介します。

ユーザーがどんな情報を得て、
何を基準に決断し、そこでどういった違いが現れ、
その結果、どんな遊びが繰り返されて、
あるいは、積み重ねられていくのか?

そういうものがわかるように、フローなどをつけます。

また、説明図の他にも、ゲームの魅力となる、
キャラクターやマップ、アイテムのイラストも
挿入する場合もあります。

でもその他にも、社内で企画を通すためには、
重要な要素がひとつあります。
アピールしなければならない要素です。

この要素は、おそらく学生さんが
ゲーム業界に就職する時に作る企画書にはない要素です。

それがなんだかわかるでしょうか?

ヒントは、企画書をアピールする先の人たちです。
この企画書を判断するのは、会社のお金を管理してる人たち、
経営側の方々です。




正解は……。
「このタイトルが、どう宣伝できるか?」です。

「どう宣伝できるのか?」は、つまり「どう売っていけるのか?」です。
これをまったく気にしない企画書というのは、なかなかないです。

たとえばですが、開発内に有名な方がいて、
そのお名前だけで宣伝効果が期待できる、
などの宣伝材料が揃っていれば、
あえて宣伝について触れない場合もあるかも知れません。

でも、そうでない場合の企画書では、
宣伝の仕方、「どうユーザーさんに知って貰えるのか?」
というこの部分が、とても大切な要素になります。

なぜかというと、
今は、情報が溢れに溢れているからです。

個人が収集出来る情報、処理できる情報を、
はるかに越えた情報が毎秒飛び交っています。

そんな情報の大洪水の中で、
「新しいものをどう宣伝して行くのか?」ということは、
とても難しい課題です。

どんなに良いものを作って発売しても、
宣伝がうまく行かなければ、その存在を知り得ません。
購入するかどうか、その検討すらしてもらえないのです。

でもそれは逆に言うと、知って貰えさえすれば、
それだけで、買って貰うチャンスが増えるとも言えるのです。

だからでしょうけれど、
「ゲームの面白さは二の次だ!」「今は宣伝だ!」と、
はっきりおっしゃる方もいらっしゃいます。

それくらいに宣伝というものには、
クリエイティブなアイデアが必要とされています。
宣伝自体が、商品の魅力のひとつなのです。

そこで企画書も、そうした面をはっきりアピールします。

ゲームの良さが後回しにされてしまうことがある……。
それよりも宣伝計画、宣伝材料がはっきりしていることが、
重要になる場合もある。

ここが、学生さんが就職の為に作られる企画書と違う点です。
商業でのゲームの企画というのは、非情にシビアです。

しかし、ゲーム開発会社なのですから、
経営陣に、開発出身の方がいらっしゃることもあります。
そういう時には、ゲーム性で好感触となる場合もあります。

でも全員が全員、元開発者ということがあったとしても、
その立場は、お金を管理する経営者ですから、
開発者寄りの意見だけで物事を進めるわけにも行かないのです。

面白い=だから売れる、とは限らない。
この難しさがあります。
ゲームに限らず、新規商品の怖いところです。

宣伝以外にも、プロの企画書には書かれる要素があります。

開発期間、必要な開発者の人数などです。
つまり、開発にかかるコストを予想できるような資料です。

どういうことかというと、
「今の会社の状況で開発可能だ」と思わせるためのものです。
夢のようなことを言っても仕方ないので、
宣伝に続いて、ここも現実的なものとなります。

開発内部の企画書というのは、このように、
純粋にゲーム性やその楽しさだけでは判断されません。

他社のタイトルの売り上げを引き合いに出したりして、
あれの人気を取ってこれる、あれに乗っかれる、
そういうところをくすぐっていって、
「これだけ売れるんだ」とイメージさせる場合もあります。

最終的には、
「開発した方がお得なんだ」というところまで、
持っていきたいのです。

これが企画書に書かれる要素です。

面白いゲームだという説明があり、
さらに「作れるんだ、儲かるんだ、お得なんだ」と畳み掛けます。
企画書づくりは、経営サイドとのバトルとも言えます。
経営サイドの弱点をつくように企画書の攻撃力を高め、
企画を通していくことになります。


少し脱線します。

こういった商品目線で進んでしまう形が、
良いか悪いかは置いておいて……。

ゲームのアイデアだけでは突破できない時。
お財布を握る人たちに、どうやったら勝機ありと思わせられるか?
そこが肝心なとなってくると、どうなるかというと……。

「それなら、過去発売したあのタイトルにしちゃえば?」
って、そんなふうな、囁きがどこからか聞こえてくる場合もあるのです。
タイトルを冠してさえいれば、中味は多少変えてもいいよ、と。

こういうことが、「シリーズ物を乱発して!」なんて、
ユーザーさんに叱られちゃうことに繋がるのかもしれません。

けして開発者が、「なんでもかんでもシリーズ物でいいや」
と言っているわけではないと思います。

なんとなく、シリーズに頼ってしまうからくり。
タイトルのみ残して開発者は総取っ替えしちゃうようなからくり。
そういうものが、透けて見えてきたかと思います。

でも、会社の資産としては、シリーズを守るのは意味があります。
継続は力ですから、シリーズというのは、誇りでもあります。

面白さだけに賭けるような開発体制ではないことや、
シリーズ物を作りがちな環境には、賛否両論あるとは思います。

商品としてのゲーム、作品としてのゲーム。
それが、経営者開発者をまき込んで、せめぎ合っています。
ゲームの誕生、企画の立ち上げには、そんな背景があるんです。




今回は、経営サイドの一声から始まる開発の話から、
開発内で作られている企画書について触れました。

次回は、「開発チーム」について、その成り立ちなどを
お話しさせていただこうと思います。

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2012年3月 3日 (土)

声のあるゲーム、声のないゲーム(3)

前回、「声のあるゲーム、声のないゲーム(2)」の続きです。



ここまで、RPGに声が吹き込まれることによって、
開発者が得た利点と、ユーザーさんが得た利点を
順番に見てきました。

簡単にまとめると、
開発のメリットは人間ドラマが描けるようになったこと。
ユーザーさんのメリットは、キャラの共有とわかりやすさ。
こんな感じになるでしょうか。

いいことづくしにも見える、ゲームへの「声」の参入。
でも、そんな数々の利点を知りながらも、
やはり、ゲームから失われたものもあるのだ――と、
そう感じる人たちもいるのです。


「イメージが違う」
「声優人気に踊らされている」
「キャラがアニメアニメしていやだ」等々――。

そんな声は、私も耳にすることはありました。
でも、それらは好みの違いということもできます。


しかし、趣味の違いや、気のせいや、
懐古主義などという言葉で片付けてしまうには、
先の声優さんをはじめ、色々な方々が、
漠たる不安を抱えていたりもするのです。

その不安はどこから来るのでしょうか?
もしかして本当に、
声優さんの声がついたことで、何かが失われた、
ということがあるのでしょうか?

もし失われたものがあるとしたら、
一体、何が失われたのでしょうか――?


このシリーズの最後に、この点を考えて、
私なりの答えを出してみたいと思っています。




(5)失ったものを探して……遊び手編

声のあるゲームに抵抗を覚えるのは、おそらく、
ゲームに声がなかった時代を体験している世代ではないか?
そう、私は推理しています。


かくいう私も、はじめてさわったコンシューマーが、
セガさんのセガ・マークIII 。
声がない時代に、子供時代を過ごしたひとりです。

まずは、遊び手のひとりとして、
声のないゲームの時代を振り返ってみようと思います。



声がないゲームを、遊んでいた世代――。
その世代というのは、
とても特別な世代だと私は思っています。

その時代、ゲームというのは本当にまっさらなものでした。

インベーダーゲームで100円玉をつぎ込む若者を、
眉を寄せて批判し、ゲームセンターが不良の巣窟だと、
思い込んでいた、そんな親を持つ世代でもあります。

世に出たばかりの家庭用ゲームです。
大人に叩かれて当然、そんな土壌が各家庭にありました。



大人たちには、まるで把握できていないもの――。
なんだろうと恐れ、排除しようとさえするもの――。


でも、それゆえに家庭用ゲームには、
上の世代の手垢もひとつもついていませんでした。


それは、まるまる、子供である自分達のものだったのです。


今まで存在しなかったもの。
自分達が、世界中で一番はじめに触れていいもの。
そんな遊びが、かつてあったでしょうか?


だから私たちは、みんながみんな、
ゲームというものに耐性がありませんでした。

どんな楽しさをもたらしてくれるものなのか?
そんなこともよくわからないまま、
ただ、初めてづくしの経験に、ドキドキして、ワクワクして、
純粋にゲームを求めていたのです。

いわば、ノーガードで何でも来い!な感じでした。



本当に、当時を振り返ると、
走馬燈のように様々なゲームが心に浮かびます。



「シャーロックホームズ 伯爵令嬢誘拐事件」が、
まさか、あのようなゲームだったとは、
タイトルからはまったく想像出来ませんでしたし、
それでも、「ゲームってこうなんだな!こうなんだな!」
と、泣きながらやった覚えがあります。



ゲームというものの姿はまだまだ朧気で、
その立ち位置も確立されてはいませんでした。

声のないゲームを遊んでいた人々というのは――
ゲームのその誕生に立ち会い、
ゲームする自由を求めて大人たちと戦い、
混沌カオスな数々の珍品迷作を、皿ごと喰らってきた世代です。

ゲームと共に育ってきた世代なのです。
その思いは、格別深いものだと思います。



当時、子供だった人たちにとって、
ゲームは、間違いなく最先端の遊びでした。

だから私の中にも、遊び手として、
声がないゲームを、子供時代に遊んだゲームを、
懐かしむ気持ちがあります。

でもそれは、ドット絵を惜しむ気持ちや、
ムービー演出にちょっとやり過ぎかなと思う気持ちにも似て、
「これは趣味の範囲かな?」「これも進化のひとつの先だし」
と、前向きに考え直せるところでもあるのです。

つまり遊び手である私には、はっきりと、
「声がつくことによって、ゲームからこれが失われた」
と、言い切れるものがないのでした。



では、視点を変えて――。
開発者としてゲームを見てみましょう。




(6)失ったものを探して……作り手編

私がゲーム業界に入ったのは1995年。
その頃、まわりはまだ、声がないゲームだらけです。

当時のゲームは、
現実のどんな娯楽作品と比べても、
描こうとするもののスケールに比べ、
視覚情報や、聴覚情報が絞られているように見えました。

ファンタジー映画のような広がり、
小説のような奥行きがある独自世界を、
凄腕の職人さんが、全部ドット絵で描いている。

それがとにかく凄くて、圧倒されたものでした。



この「世界をドット絵で表現」というのが端的に表すように、
グラフィックに限らず、メッセージや音まわりにも、
様々な制限がありました。

しかし、それらの過酷で複雑な制限が、
開発者たちに、無駄をそぎ落とした機能美を追究させ、
美しくもシンプルな様式美を実現させていたようにも
感じるのです。



あの頃の開発で、私は「引き算の美学」を学びました。

最低限、これだけの素材でイベントが作れる――。
仕掛けが作れる、マップで遊べる。
そういう、ものの基本を叩き込みました。

使い方次第でいかようにも化ける、
そんなシンプルな公式のような概念が、
開発現場の至る所に転がっていたのでした。



僅かなもので最大の効果を――。
華麗に、大胆に――。
そこはまさに、職人の世界です。



でも、その一方で、
娯楽産業の中に地位を確立し始めたゲームが、
同じ子供向きの娯楽の漫画やアニメーションと比べると、
「人間の心情への踏み込みが足りない」と、
いわれたことは多々ありました。



私の場合は、そういった雰囲気を
ゲームをしない女性たちから感じていました。

「本や漫画はバトルがあっても、友情とか感じられるけど、
 ゲームは所詮、殺し合いでしょう?」

例えば、こんな意見は、わりと耳にするのです。



当時は女性開発者が珍しかったですし
「ゲーム=男の子文化のもの」という認識が根強く、
女性のゲームに対する理解は、
今ほどおおらかではありませんでした。

なので、この手の意見が出ると、
バトルシステムを搭載したRPGに関わる身としては、
ぐうの音も出ない気もしたものです。



それでも私は、RPGが子供時代の自分にとって、
かけがえのない宝物だったことを、
自分の体験として知っていました。

言葉足らずで多くを語らないRPGは、
文化の違う海外ファンタジー小説を読むのにも似て、
行間を読んでいく楽しさというものがあったのです。



足りない部分を補い、行間を読ませるゲーム。
名もない人々の思いを、様々に思い描くゲーム。

その時、ゲームの主役は間違いなく、世界そのものであり、
そして、その世界を旅する、私たちの心だったと思います。

ゲーム嫌いの女性たちでも、そんな話をすれば、
多少は批判と疑いに満ちた目が和らぐところはありました。

「なんか、すごいね」と、びっくりしてしまう人も、
「あなたの作るもの、見てみたいな」と、
笑ってくれる友だちもいました。



かつての知人友人たちが、子供を育てるお母さんになって、
ゲームに疑いを向けるようになった時――。

「これなら、子供に見せてもいい」ではなく、
「これなら、子供に遊ばせたい!」というものが欲しい。
できれば、この手で作りたい。

ゲーム嫌いな女の子たちの存在は、
そんな新しい思いも育ませてくれたように思います。



話を、声のあるゲーム、声のないゲームに、
戻しまして……。



そうした、経緯があるからかもしれませんが、
開発者としての私は、なんとなく勘づいていることは、
あるにはあるのです。

声によって、ゲームから「何」が失われたのか――。
その答えについて。



もし、声がつくことで、失ったものがあるとしたら。
それは、「開発側の姿勢」である、と私は思っています。



「失われた姿勢」があり、代わりに「得た姿勢」がある。

得た姿勢、それは――
「世界が主役ではなくていいんだ」という姿勢、
多くのアニメや漫画と同じように、
「キャラで押していくんだ」という姿勢です。



無論、これらの姿勢は間違いではありません。
新たな価値観であり、新たな可能性であり、新たな挑戦です。

しかし、新たに獲得したこれらの姿勢は、
以前の開発にあった姿勢とは相反するものです。



主人公たちを通じて、ユーザーさんの心が旅をしていく。
そのユーザーさんの心の中に物語を描こうとしていた、
古き良きRPGの姿勢――。

キャラ押しのものの考え方に、
特定のキャラの性格を前面に押し出していくものの中に、
そういった繊細なものは、宿りにくいのです。



そぎ落とされた美学を持つ大量のNPCメッセージや、
少ない文字数で紡いできた行間の空いたイベント。

それらの限られた文字情報を、
ユーザーさんの心がくぐっていく時――、
そこに、粉雪のように微かに、なにかが降り積もる。

そして、降り積もったなにかの断片は、
ユーザーさんの想像力を借りて、自由に羽ばたき、
やがて遊び手独自の、世界と物語を完成させる――。

そんなものの作り方と、
キャラ押しのものの作り方とは、かなり違うのです。



繰り返しますが、今の流れに乗って、
ゲームをキャラ押しで作っていこう!、というのは、
構わないことだと思います。
声優さん人気も後を押してくれることでしょう。



でも、世界を見せるということを、
そこをユーザーさんの心に旅してもらうのだということを、
そして、そういうものを作ろうという姿勢を、
誰も彼もが、根こそぎ捨ててはならないと思うのです。

でなければ、ゲームはその地位を、
アニメや漫画や小説など、
物語やキャラを見せることに長けた他の娯楽産業に、
簡単に奪われていくでしょう。

そうなれば開発現場では、
「世界を描き、体感させる」、その結果、
「ユーザーの心に、それぞれの物語を描かせる」などの
アイデアを出すことなど、不要になっていくのです。



そして、ここが一番肝心なのですが――。

もし、ゲームの主役を、ユーザーさんの心ではなく、
キャラ押しできるほどに完成された架空のキャラである、
と決めうちするのならば、それはもはや、
アニメや漫画や小説で、充分に体験できるものなのです。



ゲームにしなければ体験できない――。
ゲームだから表現できる――。

そんなものではなくて、
アニメの一部分をゲームにしました、
漫画の一部分をゲームにしました、
小説の一部分をゲームにしました、
になってしまうのです。

あんなに広がりのあったRPGの無限の大地が、
他の作品の中の、ほんの一部分になってしまう。

そんなことが、現実になってしまうかもしれないのです。



声ありゲームからの、キャラ押しRPGへの転換は、
RPGシナリオライター志願者の、つまづきの元にもなっています。


RPGシナリオに携わる者が持つべき第一の姿勢は、

「自分の産んだキャラの物語を、開発に作って貰うんだ!」

ではなく、どちらかと言えば、

「ユーザーさんの物語を、紡げる世界を準備するぞ!」でした。



もしも、自分の産んだキャラや世界を世に出したい!、
というのなら、ゲーム性を伴わないですむ、
漫画や小説を手がける方が、ずっと早いのです。

ユーザーさんが待っているのは、
「そのゲームならではの体験」であり、それは、
「他の作品で表現できたことの再現のみ」ではないのです。

ゲーム業界を志す一番の動機は、
「面白いゲームが作りたい!」であってほしいと思います。
本音がどうあれ、そういう気持ちも育ててほしいのです。



ゲームは、ユーザーさんが主役。
そのために我々開発は総力をあげて、
冒険できる舞台、遊べる世界を用意する。

いつの間にか、そんな心意気や概念が、
開発から失われつつあるのかもしれない。

それが、私が危惧している、
「声がついたことで、ゲームから失われつつあるもの」
の正体なのです。



子供時代、他の誰でもなく、
自分自身を主役として遊ばせてくれた、
そんなゲームの感動は、
いつまでも忘れられないものだと思います。

そして、そんな子供時代を経て、
声がないゲームの開発にぎりぎり飛び込めた私だから、
より一層、感じてしまうのかもしれませんが、

キャラ押し一色、キャラ萌え一色に染まっては、
かつてあったRPGの良さは、
かなりの部分が消えてしまうのではという不安が、
ぬぐえないでいます。




(7)さいごに、古き良きを知る人たちへ

「ゲーム開発者として、
 ゲームに声優の声があるってどうなんですか?」

今度、あの声優さんに出会ったら、
もっとはっきりと答えられます。



想像力が奪われたと思う人もいるが、
キャラのイメージが固定化されて、
大勢の人とすぐに一緒になって、
一層細かい想像ができるようになってきた。
それは、新しい楽しみ方だと思う。

そういう良さもあるので、
ユーザーがなくしたものは、おそらくまだない。

シナリオライターとして言わせてもらうならば、
表現の自由を手に入れ、
人間ドラマに踏み込めるようになった。

でも、開発の一部は、もしかしたら
ユーザー主役&世界主役のゲームの作り方を、
古いものとして封印しつつあるかもしれない。



そして、そうした流れが強くなれば、
RPGはキャラありきキャラ押しのものだけになって、
漫画やアニメや小説にさらに近づき、
「自分を主役として、自分の物語を冒険するもの」では、
なくなってしまう可能性がある。



開発の考え方によっては、
将来、大きなものが失われる可能性はある――。

そうした未来への予感が、漠たる不安となって、
「ゲームに声がつくのはどうなのだろう?」という、
言葉になって、出てきてしまうのではないでしょうか?

これはあくまで私の考え方ではありますが、
「もしかしたら、これがひとつの答えになるかも?」、
と思っております。



私は、世界が主役だった頃のRPGを忘れたくはありません。
自分が主役となって、旅した世界を捨てたくはありません。

振り子が揺れるように、人間の価値というのは、
同じところにとどまり続けるものではありません。
人間は、慣れて、飽き、そして、変化と刺激を求めるからです。

ですから、たとえ今、流行ではないとしても、
世界が主役で、ユーザーさんが主役で――、
そんなRPGの作り方が、その姿勢や技術が、
いつの日にかまた、必要になると信じています。

ですから、
RPGシナリオを書きたいと目指す人には、
キャラは弱くても、世界を中心に据え、
ユーザーの心の中に物語を構築していくやり方が
かつてはあったことを、
忘れずにいてほしいと思っています。



その時代を知ってるひとはそれぞれに奮闘し、
古き良きRPGの火を絶やすな、ということ――。

それが、「声があるのってどうなのかな?」という
不安の先にある、「声のないゲーム」を知る者としての、
ひとつの役目ではないかと思うのです。



読んでくださって、ありがとうございました。
それではまた、いつか。

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