仕事で新宿、渋谷などを歩いていると、
オシャレな母子が手を繋いで、さっそうと歩いている姿が目に入る。
ちょっとした荷物を持って、ちょっとだけ華やかな格好をして。
おそらくこれから、ご実家に向かうのだろう。
たまにしか会えないから、きちっとした格好で。
心配させたくないから、明るい格好で。
そんな気持ちが、可愛い小物や綺麗な色選びから、
うかがえるようだった。
お子さんもいい子にしていて、
小さな背中にあった、小さなリュックを背負っている。
子育てをするようになって、こうした子供と親との風景に
自然と目が行くようになった。
私もいつかああなるのかな?
と思いながらも、いや、どうかなあ?、と首を傾げる。
実家までの移動というのは、
私にとっては、まだまだ大変な重労働だからだ。
私が、実家に移動する時、
ノートパソコン、洋服、化粧品、シナリオ資料、等々……
どうしても置いていけないものをまとめると、
手荷物はあわせてざっと、13キロほどになる。
もちろん、この重みの主な成分は、我が子だ。
実家に帰るとなれば、これら13キロを担いで、
歩いて電車のって、歩いて電車のって、歩いて電車のって……
の3セットを、しなければならない。
「ワンモアセット!」と嬉々として叫ぶ、
ビリーの姿が脳裏をかすめるほど、過酷な訓練。
ちなみに私は、三年前からブートキャンプ脱走兵だ。
そんな私が言っても説得力はないかもしれないが、
たぶん、週一で13キロ担いでうろちょろしてれば、
確実に痩せると思う。
この13キロの過酷な訓練を軽減するには、
重み主成分な我が子(推定10キロ前後)に、
歩いてもらうしかない。
我が子は活動的な子だ。
しかし、なにせ性格スペックがシャイ。
見慣れない風景、沢山の人、騒がしい音。
いつもと違うファクターに気づくと、途端に甘えメーターが上昇し、
「らっこ!(だっこ)」
と、なる。
未知のものを恐れる気持ちはあってもいい。
その時、同時に母を求める気持ちも、
幼い者たちにとっては危険回避能力の一種と思う。
納得がいく甘えだ。
でも、我が子が、歩くか?、歩かないか?
この手にかかる重みが、3キロか?、13キロか?
それは、この「我が子が甘えたくなるかどうか?」に、
言い換えれば、「我が子が未知に気圧されるかどうか?」
にかかっている。
「プラス10キロくらい、いいじゃない」
という考え方もあると思うけれど、なにせ帰省となると距離が長い。
ずっと抱えて移動するには、
この腕は――出産以来、だいぶ鍛えてきたけれど――
まだまだ頼りなさ過ぎる。
というか、たぶん私が鍛えるより、我が子の成長の方が早い。
体重増加に追いつかない私の筋力に、無闇に期待せず、
ここはやはり、歩かせる方向で努力したいと思う。
ただ「歩け」と言って歩くほどに子供は単純ではない。
そこは、「歩こうぜ!楽しいぜ!」という気分にさせる、
仕掛けを準備しなければならない。
どんな仕掛けか?
そこには各家庭なりの苦労と知恵とがあると思う。
たとえば我が家では、ある時は、おもちゃを持って、
それをふりふり先に立ち、「へい! かもーん!」と呼ぶ。
この時、子供が興味を持つ「恥ずかしいポーズ」を取る。
この時の「恥ずかしい」のイメージは、
子供のお遊戯で使われるような、へんてこポーズだ。
詳細は想像にゆだねたい。
恥ずかしいが、そんなこと言ってられない。
10キロ以上の米袋抱えて、階段登ったり降りたり、
人混みを抜けてホーム移動したり、
電車乗り換えたり、階段登ったり、また降りたり、
出来るかという……。
おもちゃと恥ずかしポーズで気を引くことができれば、
我が子との追いかけっこが成立する。
こうなれば、また、しばらく走ってくれる。
またある時は、歌を歌う。
歩くことを楽しくするような、軽快でリズムのはっきりした歌がいい。
もちろん、子供が知ってる歌で。
気に入ると、一緒に歌いながら歩いてくれるので、
その時、「いえーい!」とか「よいさ!」とか、
接待カラオケばりに気持ちの良い合いの手を、ぽんぽん入れる。
やっぱり恥ずかしいが、そんなこと言ってられない。
なにせ相手は、10キロ越えだ。盛り上げろ。
とにかく、子供相手に中途半端はいけないのだ。
ちょっと脱線するが、中途半端がダメということで、
たとえばこんな話がある。
お母さんがお仕事で、小さなお子さんを預ける時。
お子さんが、お母さんとなかなか離れられない、
というのはよくある。
お子さんも、大好きなお母さんと離れるのは、
寂しかったり、怖かったりするのだろう。
でも、預かる方もプロなので、
おもちゃやお友だちとの会話で、ちょっとずつ
母まっしぐらな気持ちをそらし、
お子さんを、お母さんから引き離していく。
この「子供の気持ちが離れた瞬間」を逃さず、
さっとお母さんがいなくなると、子供は母不在に気づいても、
意外に、「いないもんはしかたない」と、開き直って遊ぶらしい。
しかし、この時。
「最後にもうひと目、我が子の顔を見ようかな?」、
なんて、窓から顔を出したりすると、子供はめざとくソレを見つけ、
途端に気持ちを、お母さんに集中。
火がついたように泣き出してしまう。
母まっしぐらだ。
うまく気持ちを離していったのに、ちょこっと顔を見せてしまう。
この半端な感じが子供はダメらしい。
怒るなら怒る。去るなら去る。遊ぶなら遊ぶ。
徹底しないと行けないのだそうだ。
歩かない10キロに話を戻す。
だから、歩いて貰うには、恥は捨てる。
乙女心も捨てる。
いや、本当はソレは捨てちゃ行けないのかもだけど、
自分の子供相手に可愛さなんかはまだ、要らないだろう。
そんなの母親参観日に、子供が「うちのかーちゃん恥ずかしい」と
肩身の狭い思いをしない程度に嗜めばいい。
今必要なのはたぶん、
危ない時は「ダメ!」って怒る、怖い鬼教官キャラと、
一緒に時間を盛り上げる、おともだちキャラなのだ。
「鬼教官」と「おともだち」。
これを併せ持っての、母親なのだろう。
今の我が子の年齢や性格に対して限定的にだけど、
思っている。
ともあれ、
「恥ずかしいポーズ」と「恥ずかしい合いの手」。
これは、踊りと歌とも言えるかも知れない。
この方法で、私はそれなりには
我が子を歩かせることに成功してきた。
ところがこの前、帰省した時のこと。
我が子のノリが悪かった。
私が仕掛けた数々の魅惑トラップ、
「恥ずかしくも楽しげな歌や踊り」に引っかかりはする。
だけど、すぐに立ち止まってしまうのだ。
何故だろうと思う間もなく、
「この子、歩かされてることに勘づいてる!!」
ニュータイプのように、
キラリーンと頭にひらめきが走っていた。
そうか……。
気づいてしまったか……。
気づいてしまったからには、もう後には戻れない。
よし、大人の話し合いだ。
私は素直に、思いを打ち明けた。
「あのね、君が大きくなってお母さんとっても嬉しい」
「うん」
「でも、君ね、大きくなったから、ずいぶん重くなったんだ。
だから、もう少し、一緒に歩いてくれるとお母さん嬉し……」
「やだ」
おう! 一刀両断!
「じゃああの柱まで」とか、「あと十歩だけ」とか、
「お荷物少し持ってくれる?」など、なおも説得を続けると――、
「おかしゃん、ぼく、あたし、つかれちゃったんだよ~」
と、声を震わす。
なんだ、その迫真の演技は?
案の定、通りすがりのおじさんが、笑ってる。
「あっはっは!
ホラ、お母さん困ってるから歩こうよ」
知らないおじさん発見! 人見知りスイッチオン!
甘えんぼメータ急上昇!
「らっこ!」
ああ……。
でも、おじさん、ありがとう!
応援してくれる気持ちだけでも嬉しい。
そうして、おじさんの応援を背中に受けながら
10キロの温かい米袋と化した我が子を担いで、
電車の乗り換えに挑む。
ホームは昼間と言え、ひと、ひと、ひと、だ。
私は右利きなので、我が子を抱えるのも右側が多い。
すると、大きくなった我が子の体で、
視界の前方、右側が大きく遮られてしまう。
私から見て、右前から歩いてくる人が見えないのだ。
これはお子さんを抱っこしてるご婦人を見かけたら、
是非とも、まわりの方は注意して欲しいことなのだが、
子供を抱えてる側の視界はかなり悪い。
そんなわけで、ホームという場所はかなり緊張する。
なにせ人は、急いでる。早足だ。
移動時間なんて人生のロスとばかりに、せかせか歩く。
目指す電車、目指す車両、目指す空席に向け、
直線的に突き進む。
そんな時、どちらが悪いこともなく、
衝突してしまうこともある。
だから駅のホームでは、座れなくてもいいから、
まわりの人を避けるのではなく、避けて貰うようにする。
動く時は、焦らず、ゆっくり。
なんなら一本逃して、次の電車にしても構わない。
それくらい、おおらかに気持ちを持つ。
これが基本だ。
で、案の定。電車が来て、座れなかった。
まあ無事乗れただけいいやね、と思いながら、
パソコンの入った鞄を足下に置いて、我が子を抱っこしていると。
「どうぞ」
なんと、おじさまが席を譲って下さった。
「ありがとうございます!
ホラ、君も。ありがとは?」
「ありあとー!」
即座に我が子と一緒に頭を下げ、
ありがたく座席に座らせていただく。
前はこういうことに慣れがなく、
席を譲られたり、荷物を持ってくれたりするたびに
遠慮して、「大丈夫です」なんて言ってしまったこともあった。
でも今は、好意は素直に受け取るようにしている。
親切な方の心を無にしてはいけないし、
やっぱりどんなに頑張ってみても、
子供も私も、移動で疲れてしまうのだ。
その分、仕事などで私単体で動く時は、
席を譲ったり、声をかけたりするように気をつけている。
もらった親切は、どこか別な場所で返せばいい。
そうやって世界がまわるのは悪くないと思う。
親切なおじさまのおかげで、思いもかけず座ることが出来た。
だが、駅に着けば、また階段を上ったり降りたりだ。
休める時には休まねばならない。
階段を歩いていると、
「エレベータあちらですよ」と教えてくれる人もいる。
でも、エレベーターを使うことは、
すごく空いていない限り、ちょっと遠慮するようにしている。
やっぱりベビーカーと車椅子の方、そして、
おじいちゃんおばあちゃん優先だと思うから。
この日も、我が子を抱えて、階段をえっちらおっちら歩く。
そんなこんなで、「ワンモアセット!」と
心の中で叫びながら、3セットの電車を乗り継ぎ、
地元の駅へ到着する頃には、へとへとになる。
学生時代過ごした懐かしい駅を見渡して、
ここが最後の交渉の場になるのだな、としみじみ思う。
実家まであと数十分。
しかし、ここまで来れば、このひ弱な母にだって、
切り札はある――。
「ねえ、じーじさがしてみようか?」
「……」
うお! じーじダメ!?
「ばーばは?
ばーばにかっこよく歩いてるとこ見せよう!」
「う……」
じーじに続いて、ばーばの名前も効果がない。
なんということ!
じーじとばーばは、切り札中の切り札なのに!
召喚が難しい、レアキャラなのに!
これは、一体……?
我が子の様子を観察していると、
どうやらなにか、言い訳を考えているようだった。
だっこしてもらうための言い訳か。
それも、「つかれた」じゃない言葉を探してる。
(これは、見つからないな……)
もう一押しだ。
そう思った、その時だった。
冷たい風がぴゅーっと吹き抜けた。
と、我が子の頭にピキーンとひらめきが――。
「おかしゃん、かぜがつよくて、あるけないのー」
だー! そう来たか!
私たちが住んでる東京に比べれば、
実家のあるあたりは風が強い。
そんな言い訳を覚えられた日には、
「ずっと我が子のターン!らっこ、発動!」、
と、なってしまうではないか!
これは、なんとしても阻止せねば。
「え~っと……。風、そんなに強いかな~?」
「つよくて、あるけないよー」
ぺたんと座り込む我が子――またもや、迫真の演技と、
その我が子を見つめ、困っている私を見て、
通りがかりの自転車に乗ったおばさんが笑った。
「あらー! うまいこというわねー!
ホラ、お母さん困ってるから歩こうね!」
見知らぬおばさん発見! 人見知りスイッチオン!
甘えんぼメータ急上昇! ぎゅいいーん!
「らっこ!」
うう……。
苦い顔をする私に、おばさんが尋ねた。
「あら、ひょっとして人見知り?」
「ええ。人は好きなんですけど、照れ屋なんです」
「ま、可愛いこと。歩かないの?」
だめ押しで交渉してくれるおばさん。
でも、我が子は話かけられたのが嬉しくて、恥ずかしくて、
でも、やっぱり嬉しくて、ますます私にしがみつく。
「よおし、わかった! だっこだ!」
我が子を、よいしょっと担ぐ私。
おばさんは、
「お母さん、頑張り屋さんねえ。でも今のうちだけだからね!」
と、笑って去っていった。
実家につくと、
どれだけ歩いたのか、歩かなかったのか報告会だ。
当然、母からは厳しくチェックされる。
「美和、お前、甘やかしてるんじゃないの?」
でも怒ったって泣いてしがみついてだっこになるし、
泣いたら泣いたで電車の中では大変な迷惑だろう。
そうじゃなくたって泣いちゃうこと、ぐずることはあるんだから、
機嫌よく移動したいんだ、と私なりの考えを言うと、
「まあ美和ちゃんの子だからね。
美和お母さんが育てなさい」
と、母は渋々、苦笑する。
そんな母の苦い笑顔を見るたび、
私ってちょっと甘いのかなあ?と思いもするのだが、
おおらかに認めてくれる母に感謝する。
子供を連れてると、本当に、
恥ずかしいことも、情けないことも、もどかしいことも多い。
苦笑や微笑み、爆笑、泣き笑い。
自分にも周囲にも、色んな笑いが絶えないものだ。
でも、きっといつか、こんな、
大人の世界とはちょっとずれたちびっ子感覚はなくなって、
君はすっかり大人になってしまうんだろう。
おばちゃんが言ってくれたとおり、
こんな時期はすぐに過ぎてしまって、もう二度とこないのだろう。
だから、今しばらくは、甘えん坊で恥ずかしがり屋で、
ちょっとクレバーになった君を抱えて、
汗だくの帰省といこうじゃないか。