2012年4月10日 (火)

ロスト・ガーデン

春は、卒業と入学の季節。
街のそこここで、出会いと別れがあるのだろう。

舞い散る桜の下、
新入生らしいちびっ子たちが遊んでいるのを見て、
ふと思った。

この子たちは、友人をロストすることがあるのだろうか?、と。

私の子供時代は、携帯電話もなかった。
だからなのか、転校は絶対的な別れだったし、
進学で学校が違えば、友情も途切れがちとなった。

一度見失った友だちは、なかなか見出すことが出来なかった。
結婚によって姓が変わったり、旦那様の生家へ嫁いでいく
可能性がある、女性ならばなおさらだ。

でも今は、ネットというものがある。
学校や住んでいる場所、そういうカテゴリーを超えて、
個人と個人が結びつくことが出来る。

情報のやり取りもずっと簡単で、
携帯電話、メール、掲示板、様々存在する。
遠距離友情を助ける手段が、いくつもあるわけだ。

さらに、親御さんから「自由に使って良いよ」と、
パソコンや端末を与えられる中高生あたりで、
Facebookやmixを駆使すれば、
わけあってロストした友だちでも、
探すことができるのではないだろうか。

今の大人たちも、
ロストした友人を探すことはあるのだろうけれど、
子供時代にネットがなかった世代にとって、
社会人になってから出会ったネットというのは、
匿名で守られたある種の異世界であった。

その現実とは異なる世界で、
趣味に羽を伸ばしたり、思いを吐露したり、
というような色合いが濃かったように思う。

でもネットは徐々に、現実世界に溶け込み、
リアルを助けるものとして、機能しつつある。

私自身、お腹に赤ちゃんがいた頃、
どれほどネット通販に助けられたかわからないし、
mixiやTwitter、Facebookを活用して、
バリバリと仕事をこなしている先輩方を見れば、
ネットが既に、家庭や仕事を補助するツールとして、
確固たる地位を確立していることがわかる。

ネットはとても恐ろしい一面もある。
間違った情報や悪意ある噂に、
いつまでもつきまとわれることもある。

でも、これからの子供たちが、
親御さんの転勤や、進学などに左右されず、
今まで培ってきた友情を続けられる手段を持っているのは、
いいことだなあと思う。

もしかしたら既に、転校も進学も結婚も、
友情の妨げではないのかもしれない。

友人のない人生は、花のない庭のようなものだという。
子供たちに、花咲き乱れる人生があることを願う。

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2012年3月26日 (月)

ひみつのなまえ

あるご夫人から、お手紙をいただいた。

20120326

この「和」の字ののぎへんは、まるで「才」のよう。
正直、自分の名前が、こんなに美しいものだとは思わなかった。
こんなふうに隠れていたらいいなあ、才能。

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2012年3月17日 (土)

文通

今日は雨ですが、郵便局まで足を伸ばしました。
大切なお手紙を届けるために。

今、お手紙をやりとりする方がいます。
90歳のご夫人です。


きっかけは、我が子の七五三の時でした。
実家に帰ると、小さな愛らしいお着物が飾ってありました。

早春の空気を思わせる淡いブルーと、薄く色づく桜のピンク。
一目見て、今の時代の物ではないだろうなとわかる、
繊細で可憐なお着物でした。

母に尋ねると、それは今から数十年前、
私の三歳の時、さるご夫人が手ずから縫い上げ、
染め上げて下さったものでした。

その方は、父の育ての親にゆかりの方で、
私から見れば、祖母の代に近い方でした。


すべてが、はじめて知る話ばかりでした。
私は急いで、自分の記憶と照らし合わせました。
お名前だけ、かろうじて覚えているご夫人が、
そのゆかりの方の娘さんだとわかりました。


手紙を書こう!、そう思いました。
私の元に、お母さまの縫って下さったお着物があること――。
それを、お知らせしたい。
いや、お知らせしなければならない。
そんな気がしたのです。


しかし、娘さんとはいえ、その方ももう90歳を越えられています。

返事はないものと思い、催促などしないこと。
目の負担にならないように、大きな文字で書くこと。
誰かに読んでもらうことになった場合に備え、
優しくて、わかりやすい内容にすること。

そんな助言を年配者からいくつもいただいて、
何度も書き直しての、ポスト投函でした。


ところが一週間後――。
期待しないよう努めていたお返事が、届いたのです!

流れるような美しい文字で、写真への感謝と、
そして、私の七五三のお着物を作って下さった
お母さまの思い出が綴られておりました。


お母さまは、とても社交的で魅力的な女性だったそうです。
新しいもの、楽しいものを見つけると、
有名な先生方に弟子入りしたり、有名な教室まで通い詰めて、
学んでいたそうです。

編み物、声楽、ダンスやモデル――。
真っ白な便せんの上には、様々なものにチャレンジする
お母さまの姿が、生き生きと描かれていました。


明治から大正時代と言いますと、
女性の自由が、今よりも制限されていた、との印象があります。

そんな中、好奇心に導かれ、
上流階級を、時代の流れを、古いしきたりを――、
軽やかに駆け抜け、鮮やかに飛び越えていく。
そんなお母様の姿は、まるで、ドラマの中のヒロインです。


時を越えて、エールを送られているようでした。

今日は、そのお返事を出しに行きました。
あまりうまくは書けなかったのですが、私の仕事のことなど綴りました。


人生は別れの連続だけれど、だからこそ、
間に合わせたいと思うのです。

その時に――。その言葉を、言いたいのです。
ありがとうと。

そうして、その言葉が届けば、確かに返ってくるのです。
ありがとうと。

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2012年2月19日 (日)

仕上げのとき

子供ができてから、残された時間を考えるようになった。

自分が子どもの頃は、どこか、
「死」というものはファンタジーだった。

私が、核家族で育ってきたこともあるのかもしれない。
祖父母がいるご家庭は、また違うものだろうと思う。

ついに、言葉が出なくなってきた。
ついに、足腰が立たなくなってきた。

歳を重ねていくこと。老いていくこと。
それは一日一日、何かを失っていくことにも思える。

そうしたものを家族の風景として、私は見たことがない。
だから、その先にある「死」というものが、まったく見えなかった。

今、少しずつ体力が落ちている自分と、
急速に老け込んだ父や母を見るにつけ、
大人はずっと大人のままだと思い込んでいた時間が、
如何に長かったかと思い知らされる。

たぶん私は、少し、
時というものに、無防備だったのだと思う。


時が経つのが楽しいのは、一体、いつまでなのだろうか?


そんなふうに時の加速に怯える私なのに、
一方で、我が子の成長には眼を細める。

もう、ここまで歩ける。
もう、こんなこともわかる。

一日一日が、新しいものを獲得する日々だ。

やがて去っていく私たちなのに、
生まれ来た我が子の成長は嬉しい。

同じ「時」が、奪いもし、与えもする。

奪われる時と、与えられる時。
正反対の時が、家族の枠で重なり、
ゆっくりと通う思いが生まれる。

去る者から、生まれ来た者への思い。
そこには裏心のない、純粋な愛情がある。

誰かの喜びを、自分の喜びとして感じる。
そんな心を、ゆっくりと育てていく。

時は私たちから、愛しいものたちを奪う。
人が生きられる時間というのに限りがある以上、
それは避けられない。

しかし若者や幼子を見る時。
そこに未来が見える。

彼、彼女らがやがて立ち向かう壁や、理不尽な仕打ち。
そこで手に入れる友情や、誇りある仕事や、大切な家族。

去っていく私たちは、そのすべてを想像できる。
自分の人生を通じて、こうであろうか、ああであろうかと、
思い描くことが出来る。


たぶん、これは、仕上げだ。


若い命を思う時、去っていく者たちは、
ゆっくりと自分の人生を振り返るのだろう。

過ぎ去った日々を思い、残された時間に立ち向かう。
次の若い命たちに、仕事を、家を、知恵を、思いを託すために。
それが、生きている者の勤めであると覚悟して。

未来を見つめ、過去を思う。
命を愛して、死を悟る。
我が子のために、自分を生きる。

思いはめぐる。
けれども、囚われはしない。

たとえ、この先、
誰かとの別れに心囚われる時があっても、
そこをくぐり、穏やかな気持ちで、この仕上げに望みたい。

この仕上げを終えて、
やっと私は、自分自身になれる気がする。

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2012年2月18日 (土)

な~にいってんだか♪

10年以上前、
吉岡秀隆さんが出演されている、果実酒のCMがあった。

それは一連のシリーズもののCMで、
地方を気ままに旅してる彼と、それを待っている彼女の物語。

はじめの映像は、自然に恵まれた風景。
そこで、地元の人と果実をもいでる爽やかな彼。

その映像の上に、彼氏の柔らかい声がゆったりと流れてくる。
内容は、旅先から彼女に宛てた手紙らしい。
地方での暮らしのことなど、軽く触れられている。

そして最後は決まって――。

  「君に似たお酒です」

彼氏の声がそうつぶやいたところで、映像は切り替わる。

そこは、都会のマンションの一室、陽の当たる部屋。
グラスを一人傾けてる、彼女が映る。

  「な~にいってんだか」

彼女は、ふふっと笑う。
たぶん彼が旅先から贈ってくれたお酒を飲みながら。


ちょっと記憶があやふやだけど、
大体、こんな感じだったように思う。

私は、このCMが好きだった。
離れ離れのふたりなのに、軽やかで明るい。
そこに広がりや、ドラマが感じられた。

驚くような刺激や目をひく変化あるような、
そんな類のCMじゃなかったけれど、
いつもでそこに流れているような、
ちょっといいなと思わせるような日常を切り取った、
自然なドラマだった。

たぶん、当時の私にとっては、
ちょうどいいドラマだったんだと思う。

だからこのCMのシリーズが終わった時、
少し寂しかった。

このさりげないドラマが終わってしまうなら、こうかな?
と、なんとなく思っていたものはあった。

私が勝手に考えて、期待していた最終回――。


映像は、いつもどおり地方のどこかを旅する彼。

いつもどおり、彼の柔らかい声が、彼女宛の手紙を読む。
でもそこには、いつもの決め台詞、「君に似たお酒です」がない。

彼の声が消えて、映像は、都会のマンションの一室。
彼女は、手紙を手に「どうしたのかな?」と不安げな顔をしてる。
テーブルには空っぽのグラス。
いつも彼氏が贈ってくれるお酒もない。

と、ピンポーンとチャイムが鳴る。
彼女がドアを開けると、お酒を持った彼がいる。

  「ただいま」

彼女は笑って。

  「おかえり」

最後のカットは、
いつも彼女がひとりで座っていた場所。
今は、ふたりがグラスをあわせて乾杯してる。


こんな風に終わればいいなあ、と思っていた。
そしてその最終回を見て、
「これから一緒に暮らすのかな?」とか、
「今度はふたりで旅に出るのかな?」なんて
あれこれ想像したかった。

物語は閉じて欲しい――。
私は、物語を書く職に就いてはいるけれど、
ついそう思ってしまう。
登場人物たちにも、穏やかな人生を願ってしまうから。

ともあれ、いつかまた、
あんな爽やかで軽やかなCMシリーズが、
見てみたいと思う。

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2011年5月28日 (土)

生きる覚悟

我が子の誕生日に、お義母さまが来てくださった。



「クラスの半分位の子は疎開していなくなったんだー」

「授業は体育館でやってる。入学式は廊下で……。
 入学式が出来なかった学校もあるよ」

「新しい学年にあがったのに、その実感がないんだって、
 子どもたちが、もらしていたよ」

「町はゴーストタウンみたいだー」

「町では笑わないようにしているって人もいるよ。
 家族も家も、何もかも失った人がいるんだもの。
 逃げたくても逃げようがない人がいるんだもの。
 どんな精神状態か……」

子どもがお昼寝して、おとなたちだけになったとき。
お義母さまから、その「声」が聞こえてくる。
現地の人々が発したという、その「声」が――。

悲しいばかり、悔しいばかりだ。

己の非力さに歯噛みしながらも、
なんでもお話ししてくださいね、と言うと、
お義母さまは首を振った。



「今は、なにも話したくない。自分のことは、なあんにも――。
 なあんにもだ――」

お義母さまの語り口調は、福島の方言だ。
いつも素朴で優しさに満ちていた。

その優しい声が、
ご自分の言葉で語れなくなる日が来るなんて――、
私は思いもしなかった。



「もう、みんな、いつ死ぬかわからないんだ。
 いつ、(命が)ダメになるかわからないんだ。

 でも、負けはしないぞ。
 私はな、大好きな場所で、あの家で、生きてくっから」

それがお義母さんから聞こえてきた、
お義母さんを語る、唯一の言葉だった。

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2011年5月21日 (土)

欲しい痛み

時々、思い立ったように自転車をこぎに行く。
公園の貸し出し自転車で、なんのてらいもないものだ。

運転免許を持たない私にとって、
自転車は唯一、自分の意志で自分を動かす乗り物だ。

子供を前カゴに乗せて、無心にペダルを踏み込む。
前へ、前へ、前へ――。

私の力で、私を連れて行け。
もっと遠くに。新しい景色の中に。

そうして即日、ひどい筋肉痛になる。
でも、この痛みがいい。

この痛みがある限り私は、なにかの助けを借りながらも、
自分の力で走ることをやめていない。
人生もこのようであれ、と思う。

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2011年5月19日 (木)

あたたかいもの

好きな曲を聞いているとき、ふと、
この曲を作った作曲家も歌い手の歌手も、
もうこの世にはいないのだと思う。

何十年、何百年の時をこえて、
作品の中にとどまり、今なお輝く先人たちの情熱。
それが、現代を生きる私の心を照らし、あたためてくれているのだ。

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2011年5月18日 (水)

机上の甘味

机の上がお菓子でいっぱいになってきました。

執筆が混んでくると、どこからかお菓子がやってきてくれます。
差し入れだったり、旅行土産だったり、おすそわけだったり。

私の机に、お菓子が増えてきたら、仕事が忙しいというわけです。
おいしい。でも忙しい。

末広製菓 パンの耳からうまれたお菓子

最近は、これにはまっています。
パン好きの私にはたまらないです。

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2011年5月17日 (火)

言葉に出来ないこと

ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」

NHKオンデマンドで購入しました。
この番組で触れられたことに、私がどんな言葉を添えるのも、
意味が無いように感じられました。

見ることが出来る方には、見ていただきたいものです。

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