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2012年3月 1日 (木)

声のあるゲーム、声のないゲーム(1)

以前、ある声優さんから

「ゲーム開発者として、
 ゲームに声優の声があるってどうなんですか?」

と尋ねられたことがありました。

「声があることで、イメージがそこで固定されるというか。
 ユーザーさんの想像力を削ってしまってるんじゃないかと。
 そんな気がするんですよ」

ゲームに声がなかった時代――。
その時代をユーザーとして遊んでいた方の、
偽らざるご意見でした。

声があるゲームと、声がないゲームについて。
この件について、三回に分けてさせて、
お話ししようと思っています。

 ※この記事は、
  ツイキャスで放送したもの(2012年2月29日放送分)を
  ベースに文章化したものになります。
  声で聞く方がよい方は、こちらをご利用下さい。
  ・2月のツイキャス(前編)
  ・2月のツイキャス(後編)



声優さんの声がない時代のゲームというのは、
音声以外の点でも、様々な部分で、
今よりもシンプルな表現をしていました。

グラフィックも2Dのドット絵でしたし、
カメラもそんなに複雑ではなかったのです。

そんな中で、
キャラの絵はドット絵として表現できるようにと、
デフォルメされていたわけですが、
そうしたデフォルメ技術は、グラフィックだけでなく、
実は、台詞にも当てはまっていました。

台詞のデフォルメです。

表示限界があったグラフィックはともかく、
「台詞のデフォルメ」と言われても、
あまりピンと来ない方も多いと思います。

特に、声があるゲームから入られた方は
わかりにくいかも知れませんので、
少し説明をしていきますね。

台詞のデフォルメを考える前に、
まず、キャラクターたちの話す言葉=メッセージ、
にまつわる、当時のゲーム開発の制限について、
話していきます。




(1)メッセージを取り巻くみっつの限界

台詞には、表示限界がある――。
これは、当時のプランナーを悩ませ、工夫を促すものでした。

まるで、色数の限界やドットのにじみを逆手にとって、
キャラ絵や背景マップを、より魅力的にしようという、
グラフィックさんのように、

当時のプランナーさんやプログラマーさんたちも、
台詞を含む、「文字の表示限界」に悩みつつ、
様々な工夫を凝らしていたのです。

まずはその悩み――表示限界について説明しましょう。
おおきくわけて、これは三つの問題でした。



 1、大きさの限界

 まずひとつめの限界。
 ゲーム画面でその文章を表示してみて、
 読み取れる文字の大きさというのがあります。

 これは当然今より、昔の方がだいぶ厳しいものでした。

 もし機会があれば、過去のゲームに触れて、
 そのメッセージの文字を見てみてください。

 文字がかなり潰れて見えることだと思います。
 これでも当時は綺麗な方だったのです。

 つまり、ひとつめは解像度の問題であり、
 言い換えると、文字の大きさの問題でした。



 2、量の限界

 次に、ふたつめの限界。
 こちらはさっきの、解像度=文字の大きさとは違い、
 少し複雑な事情があります。

 ゲーム画面に対し、
 どこまでメッセージウィンドウを大きくしていいか?
 ということになるのですが……。

 ここから、RPG開発者特有の概念が
 あれこれ出てきますので、
 ちょっとゆっくりめに解説していきますね。

 メッセージウィンドウとは主に、
 キャラクターの台詞を表示する領域で、
 作品ごとに、特別なデザインや色合いがありました。

 例えば、昔のFFシリーズは深いブルーでしたし、
 聖剣シリーズは森を思わせるグリーンでしたね。


 当時は、文字を沢山読んで情報を得るという、
 ユーザーさんに最も近いインターフェースだった
 メッセージウィンドウの色合いや形が、
 そのシリーズを現す、
 アイコンのひとつでもあったのです。

 このメッセージウィンドウの大きさについては、
 実は、キャラや背景の表示の仕方と、
 深い関係があります。


 まず、わかりやすくするため、
 現在のRPGで考えてみます。

 3Dモデルでカメラワークがつくようなゲームの場合、
 キャラのアップというのができるようになります。

 そうなってくると重要なイベントでは、
 画面全体に、主人公の顔が大きく表示されることがあるし、
 普段は、街に立ってる主人公の全身が
 映っていたりします。

 こうなると、メッセージウィンドウは、アップとひきとで、
 別々なサイズのウィンドウを持つのではなく、
 どちらの表示スタイルでも、
 安定して使えるサイズに落ち着きます。

 大体は、画面下で、文章は、
 2行~3行くらいとなっていると思います。


 これが、2キャラ以上での会話になると、
 画面上と画面下でウィンドウを出して、
 やりとりする場合もありますが、

 ユーザーさんに視線移動の負担を与えるので、
 他に利点がないと、積極採用はされません。


 「顔のアップ」と「引きの全身」のように、
 現在のゲーム映像には多用な表現方法があります。

 そんな中で、キャラクターの台詞というのは、
 映像と同じく、目を使って認知していくものです。
 つまり、目から入る、視覚情報です。

 映像面の表現が多用になってきたため、
 文字を追っていくメッセージウィンドウは固定してしまい、
 ユーザーさんの目への負担を軽減したい、
 となってくるわけです。


 こういった考えがあるので、
 比較的若いゲーマーの方、たとえば初めて触れたのが
 「声あり、ムービー当たり前のゲームでした」という方は、
 この「画面下メッセージウィンドウ」に、
 慣れ親しんでいると思います。


 一方、声がなかった時代のゲームを考えてみると、
 キャラも背景もドット絵で表現されていました。

 そして、当時遊んでいた方は思い出して欲しいのですが、
 TV画面に映るゲームの画面というのを、
 大きく、「何か」が占めていました。

 それは、なんだったでしょうか?




 正解は、床――。

 「そんな馬鹿な!」と思う若いユーザーさんは、
 昔のゲーム画面を、ぜひ調べてみてください。

 床面積がものすごく広くとってあって
 真上から見下ろしたかのようなマップも多いです。

 奥行きもさほど感じられず、
 「いたるところに町人が立ってるな」という、
 印象も受けると思います。


 これは、いわゆる、
 「空が見えない世界」といわれるもので、
 「床=歩ける場所=ユーザーさんが触れられる場所」が、
 多いという魅力はあるものの、

 グラフィッカーをはじめ開発者は、
 「この世界の空を見せたい!」という相反する思いを、
 心のどこかに持っていたものでした。


 キャラ絵が3Dでもなく、イラストでもなかった当時、
 背景となる画面の多くの面積は、
 実は、「床」が占めていました。

 そんな広大な大地の中、佇むキャラというのは、
 とても小さく、慎ましく見えたものです。

 声がなかったゲームのキャラのサイズ感というのは、
 世界に溶け込む、「風景と一体となったもの」
 だったのでした。


 今のゲームと比較すれば、だいぶ小さなキャラクターたち。

 そんな小さな彼らが言葉を発する場合、
 その台詞を表示するメッセージウィンドウは、
 どこに、どのくらいの大きさで表示するのがいいでしょう?

 もちろん画面下に、という場合もありましたが、
 漫画の「ふきだし」のようになっている場合も多かったです。

 これは、どういうことでしょうか?
 ここで、ふきだし式が採用されやすかった理由を、
 少し考えてみてください。

 漫画のふきだしにあって、画面下固定ウィンドウにないもの。
 それがヒントになります。
 



 正解は、ふきだしの尾(ひげ)――。

 床が大きく背景をしめるゲーム画面では、
 その画面内に複数のキャラが立っている可能性があります。

 そのため、「この台詞は誰が喋っているのか?」を、
 明確にする必要があったのです。


 特に2Dの背景というのは、平面的な絵なので、
 「マップの端=それ以上、マップ絵は描いてないよ」、
 という部分が存在します。


 3Dで作ってあるゲームだと、
 ここをうまく誤魔化して遠景として見せたりするのですが、
 2Dの場合、ユーザーさんに歩ける場所をめいっぱい取って、
 「いっぱい冒険して、調べまくって貰おう!」という
 サービス精神が企画側にはあります。

 時に、グラフィックさんが想定していないところまで、
 歩かせてしまうプランナーさんもいました。
 私も、ユーザーさんの歩ける場所をギリギリ広げようと、
 無茶なID張りをする方でした。


 そのため、マップとして描かれている絵の
 ギリギリ端っこまで歩けたりするのです。

 となると、常に画面の真ん中に主人公がいる、
 とも、言い切れなくなってきます。

 マップの端っこ、描かれている限界というのが、
 見えてしまうからです。

 こんな風に、主人公の居場所もわかりにくくなる場合は、
 なおさら、ふきだし式のメッセージウィンドウが
 重宝するのです。


 しかし、ふきだしメッセージウィンドウは、
 キャラ絵とのバランスもあって、画面下ウィンドウよりも、
 表示できる文字数がかなり少なくなってしまいます。

 つまり、ふたつめはメッセージウィンドウの問題であり、
 言い換えると、文字の量の問題です。



  3、漢字の限界

 そして、最後、みっつめの限界。
 漢字です。

 そこをお話しする前に、おさらいすると、
 ひとつめの問題は文字の大きさで、
 ふたつめの問題は文字の量でした。


 つまり……、
 今のゲームと比べ、声がなかった時代のゲームは
 表示できる文章量が少なかったのです。
 
 そこで頼りになるのが漢字なのですが……。


 この漢字も、ドラクエシリーズの初期から比べれば
 だいぶ進歩したといえ、容量による制限がありました。


 私が、聖剣伝説レジェンドオブマナ(1999年発売)で、
 使用漢字の登録管理を担当していた頃、

 プログラマーさんとの相談で、
 「ここまでしか入らない!」という漢字枠がありましたが、
 これは、想像していたより少ないものでした。

 技名の担当者や、アイテム名の担当者から、
 「この漢字を入れてください」と次々とオーダーが飛んで来て、
 それを全部聞いていたら、枠などあっという間に
 使い切ってしまいます。


 もちろん、私としては全部を登録したいのです。

 何せ、ものの名前というのは、その作品にとって、
 世界観を醸しだしてくれる、大切なキーワードです。

 名前というのは、
 その世界で、アイテムを拾ったり、技を覚えたり、
 誰かに会ったり、どこか新しい場所に着くたび、
 呼吸するように胸に入ってくるものです。

 そして、それらは、
 ユーザーさんの胸に降り積もって、
 見たこともない新しい世界を生み出してくれます。

 名前とは、魔法の一種です。


 そんなわけで、
 どんなオーダーも無碍にしたくないのですが、
 現実は厳しく、よく使う漢字から、または、
 あると効果的な漢字から、優先順位を決めていき、
 採用、不採用を決めていきました。

 つまり、文章を短くまとめられる漢字についても、
 容量の関係で、すべてが保証されている、
 というわけではなかったのでした。



(2)限界が産んだ台詞の美学

ひとつめ、解像度から来る文字の大きさの制限。
ふたつめ、メッセージウィンドウから来る文字数の制限。
そしてみっつめ、使える漢字の制限。

これによって、声のなかった時代のゲームでは、
あくまで今のゲームと比較してのことではありますが、
沢山の台詞を喋らせる環境ではなかったことが、
うかがえるかと思います。


今のゲームよりも、ずっと少ない言葉で、
キャラクターの心情を伝えなければならない。

その上、ゲームを進めるのに必要な情報も、
そこに混ぜ込んで、ユーザーさんに伝えなければならない。


こうなってくると、当然、
当時のイベントプランナーの書き下ろす台詞も、
今とはまったく違ったものになってくるのです。


例えば、おじいちゃんやおばあちゃん。
老人キャラの語尾は、「~じゃ」などと書くものでした。

例えば、女性キャラ。
主要キャラじゃない場合の語尾は、「~だわ」を
意識して使うことが多かったです。

例えば、商人。
「もうかりまっか?」というような関西弁を使わせて、
ささっとキャラ立てを済ませる場合もありました。


キャラ絵も今のゲームのものと比べて小さく、
台詞の表示されるスペースも今よりは小さなメッセージウィンドウ。
使える漢字にも限りがある。

そして台詞に声優さんの声がつくこともなくて、
台詞はすべて、目で読むだけ――。

そんな各種制限がある中では、
「このキャラはご老人です」「女性です」「商人です」と、
第一声ではっきりわかってしまう、
「素直さ」が求められていたのです。


年齢も、性別も、職業も――。
その表現の仕方は、
記号化されるのが当たり前だったのでした。


これが、「台詞のデフォルメ」です。


いかに少ない言葉で、そのシーンをイメージさせるかが、
RPGにおける台詞の美学であり、
イベントプランナーの腕の見せ所でした。


少し脱線するのですが、この、
「台詞がデフォルメされる」という状況が、
当時の開発現場に、
シナリオライターがいなかった理由でもあります。

この「台詞のデフォルメ」は、
RPGシナリオ独特の様式美で、ドラマやアニメや小説では、
これがベースとなる事は、まずありません。


この頃、まだRPGの主役は世界だったのです。
異論はあると思いますが、キャラに感情移入していたとはいえ、
「あの特別な空気をまとった、美しい幻想世界を歩きたい」、
という思いが、「キャラの、○○さんに逢いたい」という思いを、
大きく上回っていたと思います。


無名の、その他大勢の民衆を、
ユーザーが操作しないノンプレイヤーキャラクター=NPC
として配置し、世界の風景の一部として描き出す。

そんな、世界が主役ともいえるRPGにとって、
町人NPCの台詞とは、
老人である、女性である、商人であるという以外は、
没個性でいいと割り切ってしまうものでした。


NPCの台詞だけ切り出してしまえば、
「なんて無個性で平凡なんだろう?」と思われてしまうし、
しかも、それが大量にある……。

これは、他の文字で訴えるジャンルでは、
なかなかないことだと思います。


この大量のNPCの台詞の本当の意味は、
やはりゲームの開発者にしかわかりません。

そうした、一見して無味乾燥なものが、
降り積もって、世界を描き出し、
その世界を守らんとする、
主人公たちの物語を支えているのです。


こういうことは、
グラフィックさんが描いたマップを歩けるようにし、
グラフィックさんが作ったキャラを動き回らせ、
イベントを自らの手で打ち込んでいく、
イベントプランナーさんやスクリプターさんが、
一番よく、理解しています。

だから、町の人の台詞は、
膨大であっても手が抜けないものでした。
そこを丁寧に作れば世界観が醸し出せると、
みんなが知っていたわけですから、
担当者は、シンプルな中にも味わいを持たせることを、
必死に工夫していたものでした。


そして、これはとても大切なことですが、
無個性な町人メッセージを大量に書くという仕事は、
イベント業務に関わるプランナーにとっては、
世界を創造していくという、楽しい業務だったのです。


当時のRPGでは、
メッセージ回りの限界があったことも関係して、
文学的、小説的な表現方法が、
RPGとしては、必ずしもベストではありませんでした。

アドベンチャーゲームなどでは期待される、
読み応えのある文章力や技術が、
RPGでは、特には必要なかったのです。


そのため、
この頃はまだ、シナリオライターという役職も、
明確に設けられなかったのでした。




今回は、メッセージ回りの様々な制限の話から、
台詞のデフォルメと、そこに宿る美学に触れました。

次回は、「声によってゲームが得たもの」について、
お話しさせていただこうと思います。

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