「新しい」を作ること
新しい作品に向き合う時、
それが新しい作品だと思っているのは開発者だけです。
ユーザーはまっ更な心で――
他のゲームも、アニメも、漫画も、ラノベも知らない、
まっ更な心で――、その作品に向かう訳ではないからです。
あれは見た、これは見た。
こんなのは知っている。あっちのほうがまとまってた。
そうなっていくわけです。
ゲームにおける「新しい」というものは、
まずはゲーム性で果たされるべきものなのかも知れません。
でも稀に、シナリオからも「新しいなにか」を考えて欲しい、
とわれる場合もあります。
そこで今回は、
「新しい」ということについて考えてみたいと思います。
シナリオで「新しいこと」、なんて言われてしまうと、
新しい物語をつくろうという気持ちになりがちです。
ですが、シナリオのパターンというのは、ほぼ決まっています。
これはシナリオ教本でも、よく言われていることですので、
詳しい説明はそちらに譲るとして、ここではとっても簡単に、
RPGの場合で説明をさせていただきます。
RPGでシナリオの新しさを考える場合。
奇をてらっていい、変わってさえいればいい、というのなら別ですが、
大衆娯楽として発売される作品には、望まれる形があります。
大抵の場合は、暴力表現は嫌われますし、
バトルにおいて人間を斬る場合は、
戦う意味がしっかりしていることが求められます。
そして全年齢対象であれば、
プレイし終えたユーザーの胸には感動が残ってほしい、
と言われるのです。
ここで言われる感動の形は、おおよそ決まっています。
欠損部分が補われること。
例えば、失われた絆や技術や価値観の回復。
できなかったことが、できるようになることもそうです。
もしくは、それができなくてもよかったのだと、
別な生き方に気づくことで心の傷が癒されることもあります。
あるいは、不幸が回避されること。
それによって、ささやかな幸せが取り戻されることなどです。
人間の根底にある価値観や幸福感、
誰かに喜ばれると嬉しいとか、好きな人と過ごしたいとか、
大切なモノを守りたいとか、そういったものが大きく変わらない限り、
新しい物語のパターンは生まれません。
だとすれば、物語だけでの「新しさ」は、ほぼないかも知れないわけです。
ゼロだとは思っていません。
物凄い天才が現れるかも知れないからです。
そこで、RPGのシナリオでの「新しさ」は物語ではない
他の要素で考えていくことになります。
シナリオライターが提案できそうな、他の要素とはなんでしょうか?
色々な開発現場があり、
またタイトルごとに方針も違うのでこれが絶対だとは言えませんが、
私は、「イベントシステム」「キャラクター」「世界観」の三つをあげたいと思います。
システムなんて持ちだしてしまうと、
とてもとてもシナリオライターが手を出していい領域ではない、
と言われてしまうかも知れません。
ですが、システムにあわせて
シナリオの書き方を変えていかねばならないように、
システムはシナリオとは切っても切れない関係にあるのです。
そして、ゲーム作りに携わる人ならば職種を問わず、
ゲームらしい考え方を身につけていて良いと思うのです。
そこで以下、順を追って、
「イベントシステム」「キャラクター」「世界観」の三つについて
説明していこうと思います。
(1)イベントシステムを新しくする
一番「新しさ」を追求できるのが、イベントシステムです。
イベントの起こり方、見せ方、
そしてゲーム内でのイベントの位置づけなどを
新しく考えていくことになります。
ここからは、私も大好きな育成ゲームの名作
「プリンセスメーカー2」を例に、お話を進めたいと思います。
「プリンセスメーカー2」は、簡単に言いますと、
天から授かった無垢な娘を、ユーザーが育てていくゲームです。
(詳しいことは調べてくださいね)
育成ゲームではあるのですが「プリンセスメーカー2」は、
RPGと良く似た作りになっています。
そしてこのプリメではイベントを
「主人公を育てる餌」として位置付けているのです。
イベントで、育成に優位なアイテムを発見したり、
新しく育成に役立つ人物と出会ったりするのはもちろん、
そのイベント自体でパラメーターが変化してしまうのです。
少し脱線します。
私は何故か感受性の高い娘を育てがちだったのですが、
感受性が高いと、「あちら側」にいる、
人ならざる者、見えてはならぬ者たちが、見えてきたりします。
お化けや妖精さんです。
学生時代、クラスきっての秀才君に、
妖精イベントの出し方をレクチャーしたのは良い思い出です。
話を戻します。
それで、プリメが秀逸なのは、このイベントひとつひとつが、
育成システムの一部であるため、
イベント自体に複数の意味があるということです。
例えば骸骨剣士というのがいて、
これは感受性が強い娘でも出会いますが、
腕っ節が強い娘でも出会ってしまいます。
骸骨剣士が娘の感受性(霊感)に反応して見えてしまうのか、
それとも、娘の腕っ節の強さに反応して出てくるのか、
その意味合いがまず違うわけです。
腕に自信がある娘なら戦うことができますが、
感受性が強いだけの娘なら逃げ出してしまいます。
こんなふうに、自分が育てた娘の性格や能力によって、
そのイベントが様々な味わいを見せてくれるのです。
今まで鍛えてきた経験値が、新しいドラマを呼び、
そのドラマにおける経験がまた、新しい経験値になっていく。
そこが今なお色あせぬ魅力であり、「新しい」ものでした。
イベントシステムからシナリオを新しく考えなおしていく方法は、
シナリオライターが提案するには大きな内容です。
ですがそういうことは常日頃から考えて、
口にしていかないと、チャンスも巡ってきませんし、
万が一よい運気に恵まれても、考えが追いつきません。
そんなわけで、RPGのシナリオでなにか新しくしたい、
という場合、イベントシステムのあり方から考える姿勢も、
忘れないで欲しいと思うのです。
(2)キャラクターを新しくする
シナリオライターから、キャラクターを提案するのは、
イベントシステムを提案するよりはだいぶハードルが低いように思えます。
しかし、実際はそうでもありません。
新しいキャラというのは、なにが新しいのでしょうか?
外見的なデザインもそうですが、
ゲームで新しいといえば、やはり遊び方になってきます。
つまりキャラクターも、システムとは切り離せないものなのです。
そのキャラクターを操作して体験できる遊び、
そのキャラクターと冒険を共にすることで味わえる遊び。
それが、今までにない切り口を持っていれば、
そのキャラクターは新しいキャラだと認識されるでしょう。
例として、ここではゲームを離れて漫画を例に出したいと思います。
「EAT-MAN(イートマン)」という漫画を、ご存知でしょうか?
吉富昭仁先生の傑作です。
主人公は冒険屋の大男なのですが、
彼は悪食で、いつもネジなど機械クズを食べています。
彼にはひとつだけ、ずば抜けた特殊能力があり、
食べきったもの(主に機械兵器)を体内で再構築し、
自在に召喚することが出来るのです。
大ピンチの、ここぞというときに、
ドンッと巨大メカが召喚されるシーンは胸が躍るものでした。
彼がRPGの主人公だったら、どんなゲームになるでしょう?
バトルの他にも、食事をシステムとして持ちたくなりますよね。
こんなふうに、「新しい」キャラクターというのは、
やはりゲームシステムにまで食い込んでいく、アクの強さを持っているのです。
しかし、ここがネックになります。
キャラはユーザーの分身であるべき、と考えるゲーム開発者にとっては、
そんなアクの強いキャラはユーザーに嫌われてしまうのではないか?、
そんな遊び方は既存のRPGにはなかったのでユーザーがついて来られないのではないか?、
となることがあるのです。
それで、無色透明のキャラクター。
平均的なバトル的要素を持ったキャラクター。
せいぜいやれて、武器が大きいとか、武器が沢山あるとか、
素早く動けるという感じの主人公になっていくのです。
このあたりは作品によるので、
作品としての新しさを取ることも、ユーザーとの一体感を取ることも、
どちらも大切で、どちらがあっているとは一概には言えません。
しかし、ファンタジーにやりつくされた感がある今、
今までにない「新しい」キャラクターがおりなすシナリオは、
ユーザーの皆さんには待たれているのではないかと、私は感じています。
(3)世界観を新しくする
イベントシステム、キャラクターと、
シナリオライターからの提案は望まれないこともあると書きました。
では、シナリオライターから新しい世界観を提案することはどうでしょうか?
こちらは前述のものと比較すると、望まれている部分ではあります。
剣と魔法のって謳い文句はもう飽きた、とか、
いつまで魔王倒さなくちゃいけないのかな、という話が
開発からも聞こえてくるぐらい、
ファンタジーにはやりつくされた感があるのです。
世界観を新しくすることは、
開発側からも求められているのではないかと、私は感じています。
しかし、新しい世界とはどんなものでしょうか?
では、具体的に、新しい世界はどんなものでしょうか?
ここではアニメーションを参考にして話をしたいと思います。
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」です。
説明の必要もないほど有名な作品かと思いますが、
簡単に、その世界観のみご紹介させていただきます。
はるか遠い未来。
かつて人類は高度な文明を誇っていた。
人類は自然を破壊し、資源を消費し、大量のゴミや有毒物質を海へと垂れ流していた。海に溜まった毒は長い年月を経て、生態系を狂わせ、巨大な蟲たちを生み出した。
そして、今や大地と大気はその毒の海と生態系に侵食され、人類は緩やかに滅びの時を待っていたのだった。
これはもう文句なく、新しい世界ですよね。
あの作品をゲームにしたらどうなるでしょうか?
蟲たちの気配を感じられる雰囲気、胞子が雪ように舞い上がる風情。
きっとそこには、グラフィックの美しさだけではない新しさが宿るでしょう。
胞子の流れから風の向きを感じ取り、
風に乗るちょっとしたアクションかも知れませんし、
腐海の多重構想を縦に移動するマップ構成や、
ユーザーがまさにあの世界を冒険していると感じられる、
色々なアイデアをマップに盛りこんでいくことになるでしょう。
アクションRPGのように本格的にするのか、
それともRPGとして触れるマップギミックを丁寧につくりこんでいくのか。
これは、もう新しい事だらけのはずです。
ゲーム開発者としてここまでメッセージの高く、
緻密な、生き生きとした世界を任されることがあったなら、
それは胸踊ることだと思います。
しかし問題は、これを文字だけで書き起こすということです。
イラストを描いて説明する、イメージとなる写真を集める、
など、イメージの手助けとなる資料を揃えることは出来るかも知れません。
マップギミックやマップ構成の説明には、イラストは有効ですし、
私もイラストを描いたり、写真を加工したりする方です。
しかし、これはあくまでイメージを補強するための手助けです。
これから描き出そうという世界が新しければ新しいほど、
そこは既存のグラフィックに頼るだけでは表現できないものになっていくのです。
となると、そこは文章での勝負になります。
そして世界観というのは読み手にとって、
キャラクターほどにはイメージが沸かないため、
新しい世界観を伝えるには、色々な言葉を尽くしていくことになります。
ナウシカの腐海に代表されるように、
ルールに縛られた世界、何かを成すには代価を求められる世界。
そんな世界観が新しい遊びを生む可能性がありますが、
それを長々と説明しても、読んでももらえないことが多いです。
ですので、読み手や聞き手が、ぱっと目にしたとき、あるいは耳にしたとき、
「これは気になる!」と思わせる、心が走り出すような言葉が必要になります。
この心が走るような言葉は、
映画のキャッチコピーや、舞台やドラマの宣伝文句が参考になります。
心が走るような世界の様子を伝える言葉。
そこから、逆に世界観を考えるという手もあるでしょう。
以上、ざっくりとしたものですが「シナリオでもなにか新しいことを」
と言われたときの、RPGらしい考え方を書きだしてみました。
キャラクターも、マップも、遊びから切り離されて、
デザインだけで考えていると絵としての完成度はあがるかもしれませんが、
ゲームとしての新しさは、なかなか盛り込めなくなってしまいます。
そしてこの、「絵が上がってから遊びを盛り込むのは難しい」という、
不可逆な流れが、途中参加の開発者やシナリオライターに
難しい決断を迫ることがあります。
シナリオライターが召喚されるのは、
ゲーム性も、マップも、キャラクターも決まった後かも知れません。
多くの場合はそうでしょう。
そして、「物語だけでも斬新に」なんて言われるかも知れません。
でも、新しいゲームを、新しいものとして作っていき、
ユーザーの目にも、「これは新しいなあ」と思わせるためには、
絵になる前、形になる前の準備段階が、とても大切なのです。
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