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2011年5月20日 (金)

RPGシナリオライターの育て方について

「若いヤツがシナリオを書きたいというから書かせたが、
 どうしようもなかった」

ということを開発現場で聞くことがあります。
なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?


その若い開発者の方が、
ちゃんと現場で学んでこなかったからでしょうか?

私は、そうではないと思います。
問題はその若い開発者さんにあるのではありません。


今日はその話をしようかと思います。




(1)ものづくりの民は二種類

前述の若きシナリオライターの話の前に、
ゲーム開発に携わるひとたちの話をしたいと思います。


ゲームの開発現場には大きく分けて、二種類の人がいます。


ひとつめは、0から1をする人たちです。
この人たちは文字通り、無から有を生み出します。

このタイプの人たちは、たとえなんのヒントがなくても、
今描くべき事柄というのを常に持っており、
それを「作品」というひとまとまりの形に加工できます。
作家のようなひとたちです。


ふたつめは、1を10にも20にもしていくひとたちです。
このひとたちは生み出されたものを見て、
その良さをさらに伸ばしていきます。

今あるものの性質を見抜き、どのようにすれば効果的か、
作品の質を様々な部分で向上させていくことができます。
アレンジャーともいえるひとたちです。


開発現場に関わる人たちの殆どはこの、
アレンジャータイプです。

「今作は武器を取っ換え引っ換えするゲームらしいぞ」という方針に対して、
現場で培った技術を元に、「武器ごとに違った育成ができるかも?」
「技の習得システムを一新しよう」とか、
ネタをどんどん出して、それを実際に創っていく人たちです。


シナリオライターは、前者の作家タイプです。

これは、「今作は武器を取っ換え引っ換えするゲームらしいぞ」とか、
聞かないうちから、「戦うって、一体どういうことなんだろう?」とか
「武器を手にするって、どんな重みがあるんだろうか?」とか、
そこから発展して「命の重みとは」とかやりだして、
物事の本質や人間というものの姿をとらえようとする人たちです。


戦う遊びをつくるのが開発者たち。
そして、そこに生きるのは日夜現場で培った技術。

戦う意味を考えるのがシナリオライターたち。
そして、そこに使われるのはそのライターが、
日頃から悩んできた哲学です。




(2)シナリオへの誤解

最初の話に戻ります。

「若いヤツがシナリオを書きたいというから書かせたが、
 どうしようもなかった」

というお話です。

これはその若い開発者にだけ問題があるのではなく、
どちらかというと周囲の方の考え方に問題があります。

「シナリオなんて誰でも書ける」とか、
「ゲームを作ってれば誰だってシナリオが書ける」とか、
あるいは「作家性」を見抜く目がまったくない、
こういう事のほうがずっと問題です。

シナリオライターは前の項目で触れたように、
開発者とは違った観点で物事をとらえようとしているひとたちです。

どんなに開発現場で技術を積もうとも、
「武器の育成システムはこういう方向だと面白いかも」
という遊びの設計の感どころは養えても、
「戦うって、どういうことなんだろう?」なんてことに
ひらめきが宿る現場ではありません。

ひとつの物事を遊びの目で見るか、哲学の目で見るか、
ということは、まったく違います。

つまりRPGシナリオライターへの道は今のところ、
独学になります。




(3)どこで学ぶのか?

独学なんて孤独な道は厳しすぎます。

なにせ、RPGのシナリオライターは必要なくせに、
小説家などと違って登竜門となるコンテストもありません。

どこで力を測ったり、自分が学んでいることが
大丈夫かどうか判断したりすればいいのでしょうか?

そこで私がお薦めしたいのが、イベントプランナーになることです。
ただし前もってお断りしますが、イベント班に入っても、
シナリオライターとしての修練はほとんど期待できません。

それでもお勧めするのは、イベント班というのが、
どこからかやってきたシナリオをアレンジする部署だからです。

誰かが書いたシナリオを元に、必要な素材――
キャラ、モーション、音楽、マップ、エフェクトなどを割り出したり、
その素材を組み合わせて、より効果的なシーンを作ったり。

それはテレビや映画の監督に似た業務です。

そして、「演出」ということがあります。
ここがとても重要です。

役者さんがいないゲーム現場では、
キャラクターのモーションや表情を組み合わせて、
イベントプランナーが自身が、「泣く」とか「笑う」を作ります。

悲しいシーンであえて泣かさない。
その変わり、マップに雨を降らせたい。

悲しい人間が「俺は悲しいんだ」と台詞で言わないように、
多くの重要な感情はキャラの仕草や、マップの表情に委ねられます。
シナリオの指示にもよりますが、
イベントプランナーは、そういう判断ができるわけです。

まるで役者さんが演技をするように、
大道具さんが舞台装置を動かすように、
小道具さんが小物でシーンを引き立てるように、
そういうことが、自分で実現できる可能性があります。

そして自分自身もとなりの開発仲間たちも、
イベント部分だけは、一緒になって鑑賞できます。
つまりイベントだけはすでに、ユーザーの観るものと遜色ない形で
開発者もチェック出来、その感想がフィードバックされるのです。

 ※脱線しますが……
 ※鑑賞という言葉はゲームにおいては嫌われる言葉です。
 ※ただ観てるだけのイベントを軽んじる傾向さえあります。

 ※しかし、イベントで心を揺さぶることによって次のマップを、
 ※街へ向かうための通過点として軽い気持ちで行くのか、
 ※愛する人の仇を探しに復讐に燃えてするのか、全く違うのです。

このように、イベントプランナーほど、ユーザーに近い立場で
また開発者同士で、鑑賞まで出来るモノを作ってるひとたちはいません。

 ※ちなみに、自分たちはユーザーの味方である!という意識は
 ※すべてのプランナーが持つべきものです。
 ※そうした意識が欠けるとイベントは、俺様クリエータの
 ※自己陶酔発表会になりゲームを台無しにします。


イベントプランナーは、
監督であり演出家であり大道具小道具であり役者でもあります。
そこに脚本家である要素はあまり入っては来ません。

けれども、周辺技術の習得は、
シナリオを書けるようになったとき、大きな武器になるはずです。

またシナリオライターを外部に雇う現場ならば、
プロの文章に触れる機会が与えられます。
そこから学ぶことも多いでしょう。




(4)開発現場のできること

開発現場でシナリオライターが育成できないとしたら、
現場の人たちはどうすればいいのでしょうか?


私が所属していた開発現場では、イベントプランナーの現場から、
物語を書くことに才能がある人、見所がある人を育てて、
シナリオ寄りの仕事を振っていました。

私もそうして、鍛えられました。

私の場合は幸い、RPGでも大作が多かったために、
イベントやクエストに大量に触れる機会がありました。

そこで、「このダンジョンを何とかせよ」「このアイテムを何とかせよ」
などのお題が出され、面白い話を即興で考え、
しかも自分で組まねばなりませんでした。

新人にもイベントやクエストを丸ごと作らせる現場であれば、
小さなお話を面白く展開し、しかも他人に迷惑を掛けること無く、
自分の手で完結さる腕があるかどうかを、判断することができます。

つまり作家タイプでない人間を作家タイプに育てなおすことはできないが、
シナリオライターに向いた作家タイプを見抜く環境は作れる。

そして、見抜いたあとはその作家タイプに重点的に、
シナリオ寄りの仕事を任せていけば、
開発叩き上げのシナリオライターになる――ということです。


シナリオを誰でも書けると思っているような人が、
シナリオライターを選出していいものでしょうか?

ゲームなんて誰でも作れると思ってる人が、
ディレクターを選出していいものでしょうか?

ゲーム作りに打ち込む開発チームにとって、
それはほとんど内部テロみたいなものです。
それだけはやめてほしいと思います。




(5)さいごにRPGシナリオを書くために

さいごに、RPGシナリオライターを目指す方に向けて、
話を戻します。

イベント班でシナリオのアレンジを学びながら、
独学を進めてください。

見抜く目がある先輩方に恵まれれば、
自分が作家タイプであるかどうか?、判断していただけます。

そして、シナリオを書く力は開発現場では養えないので、
日頃からの思いを大切にしてください。

物の捉え方、ものの表現の仕方。
そういうものが、他人から見ても納得性の高い、
しかし「なるほど!」とか「おもしろいね」と思われる
新しい切り口のものであること。

自分というフィルターを通すことで、世界の見え方が違っていくこと。
そういうものを持っている人が、作家タイプになります。

RPGのシナリオを書きたい方は、
一度自分のものの捉え方、というのと向きあってください。
それは、自分という人間を知る面倒で、長い旅になります。

でも、そこにある人生観が、
新しい世界観を作り、新しい人物を生み出し、
ユーザーのみなさんに新しい物語を運ぶ力になるのです。

そして、努力して開発現場に入り、
作家タイプではないと言われたとしても、
そこで挫折を感じることはありません。

止め絵の漫画が優れたアニメーターや声優たちの手によって、
生き生きと動き出すように、
文字だけの小説が優れた監督と演出家と役者によって、
色鮮やかに生まれ変わるように、

イベントプランナーという仕事は作品に命を吹き込むものなのです。
世界には、あなたの力を待っている作品がたくさんあるのです。
その可能性は無限に広がっています。

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