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2011年5月 3日 (火)

すべりだいの不思議

先日、我が子を連れて公園にでかけました。
お天気だったので、たくさんのお子さんが遊んでいました。

こちらの公園は鉄棒やブランコなどの遊具が豊富で、
動きたいざかりの子どもたちは、歓声をあげて楽しんでいます。


「うーむ、すべーだい!(すごい、すべりだい!)」


と、我が子も大はしゃぎです。

滑り台というのは、不思議な遊具です。

滑り台は一見、シーソーなどの
一緒に遊ぶおともだちが必須の遊具と違って、
ひとりで遊べるように見えますが、
実はそうではないんです。

たとえば階段を登る、そのわずかな間にでも、
子どもたちは実に様々なやりとりをしています。

階段を登るというのは赤ちゃんや小さい子どもたちにとって、
非常に個人差が出るところです。

ある子はさっさと登れますし、
ある子はお母さんが支えないと危なっかしい。

うちの子は、人が大好きなのに、
とてもシャイなところがあるので、
後ろから誰かが登ってくると、嬉しいくせに恥ずかしくなって、
階段から降りようと、逆流してしまう時期がありました。

そんなわけで、この階段のところで、
子どもたちは自分の順番が来ても、
前の子がつっかえていたり、後ろの子にせっつかれたりと、
自分のペースで登れないことがあるわけです。

そして、滑るところにくると、また色んなことが起きます。

さーっと滑る子もいれば、
怖くてなかなか滑れない子がいます。

お母さんが見守ってくれないといやだなあということで、
関心を買おうと、しばらく籠城する子もいます。

周りの子に、自分はこんなすごいことが出来るんだよ、
と様々な滑り方を披露し始める子もいます。

また前の子と意気投合して、その子の気持ちはともかく、
とにかく一緒に滑りたくなっちゃう子もいます。

ここでも子どもたちひとりひとりの気持ちが、
素直に行動に現れてきて、色々なことが起きています。

でもここで注目すべき点が、
滑り台という場所が、お母さんたち保護者が
さっと駆けつけられる場所とは違うという点です。

もちろんお母さんたちも一緒に登ることもできますが、
滑り台が耐えられる重量の問題があるので、
基本的には滑り台の上は子どもたちだけの空間です。

つまり、滑り台は子どもたちだけの社会なのです。
滑り台という共有空間をみんなでどう使うのか?、
それを、子どもたちは子どもたちだけで考えているんです。


数ヶ月前までは、滑り台を怖がって、
私が滑り台に身を乗り出し、両手を広げて、
途中で受け止める用意があるよ、ということを示さないと、
まず滑ることができなかった我が子も、今月はガンガン滑っています。

そして我が子は、階段を譲りあい、
小さな子がなかなか滑り台を滑らなくても、
その子が頑張る姿をじっと見つめて、滑り終わるのを待ち、
自分も滑り終わると、にこにこしながら
前の子の後をついて行くようになりました。

いつの間にか、「どうぞ」とか、「ありがとー」
なんて言いながらです。

ここまで滑り台を共にしてくれた優しいお友達たち、
我が子が怖がっていた頃、
順番を待ってくれたり、譲ってくれたりした
少し年上のお姉ちゃんお兄ちゃんたち、
そして我が子が滑れたとき、
明るいお声で褒めてくださったお母様たち。

みなさんの気持ちがなければ、
我が子のこの成長はなかったと思います。
感謝、感謝です。

滑り台はいいものです。
みんなで仲良く使って、一緒におとなになってね、
と思います。

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