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2011年4月21日 (木)

ちいさくておおきなこと

先日公園に行ったときのこと。

我が子が、


「うーむ、これ~(これ、あそびたい)」


と、シーソーに乗りたがった。

主人がいるときは別だが、「子供+母親」だけだと、
ふたりでシーソーに乗って遊ぶことはできない。

そこで、「絶対に降りちゃダメだよ!」と念を押して、
我が子を座席に座らせ、私はシーソーの反対側へ回って、
傍らに立ち、その座席を押したり、引き上げたりして遊ぶことにした。
手押しポンプ式の井戸で水を汲み上げるみたいな感じだ。

「楽しい?」と聞くと、
「うーむ、たのしいねえ」とのどかな声で答える。

そうやってしばらく、
シーソーを上げたり、下げたりしていると……、

我が子と同じ年頃くらいの小さな女の子が、
てってってーと駆け寄ってきた。

女の子はシーソーを指さして、
遅れてやってきたお母様にアピールしている。

すると、「ご一緒してもよろしいですか?」と女の子のお母様。
「どうぞ」と私。

もう、この時点で人懐っこい我が子は
嬉しくてしょうがないらしく、でも恥ずかしがり屋さんなので、
借りてきた猫のように、ちょこんと座って目だけキラキラさせている。


「今日はお天気ですねえ」「ほんとですねえ」
なんて、女の子のお母様とのんびりした会話をしていると、
女の子は満足したらしく、シーソーを降りると仕草で示した。

「お世話になりました」「こちらこそ」と、ご挨拶してお別れすると、
我が子も足を上げて、シーソーを降りようとしていた。


「あら、もういいの?」

「うーむ、もういい」


素っ気無く言って、我が子はさっと駆け出していってしまう。


「おい、どこいくのよー」


我が子は鉄棒の前に来ていた。
さきほどシーソーを遊んだ女の子が来ている。

一番低い鉄棒で奮闘する女の子から離れて、
我が子は、わざわざどんなに頑張っても届きっこない、
一番高い鉄棒相手に、ジャンプを繰り返している。


(もしかして、女の子を追いかけてきたのかな?
 偶然かな?)


と思っていると、女の子のお母様の方から、
「こっちの低いほうの鉄棒、どうぞ」と
声をかけてくださった。

我が子の顔に、溢れるような笑みが浮かぶ。

その笑顔を見て、私はハッと息を飲んだ。

我が子は今、ともだちをつくろうとしているのだ!


邪魔しちゃいけないと思って
緊張しながら様子を見守っていると、
一番低い鉄棒に、女の子とふたりで飛びついている。

小さな子がならんでぶらーんとぶらさがっている姿は、
なんともいえず、微笑ましい。

隣同士ぶら下がっているうち、女の子と我が子の間には、
一緒に遊んでいるという感覚が生まれたようだった。

その後、ブランコでも遊び、ジャングルジムを素通りし、
さて、次は何で遊ぼうか?という時に、鳩がやって来た。


「はとだ!」


鳩がてけてけと歩いてきたのだった。

鳩はいい。
子どもたちが頑張って追いかけても、
追いつくか、追いつかないかくらいの、
ちょうどいい速度で走ってくれる。

その上、飽きっぽい子どもが興味を持っていられるように、
右に左に迷走したり、物陰に隠れたりする。

鳩の方に、子供への優しさがあるのかわからないけれど、
子供の遊び相手になってくれているのは事実だと思う。


我が子の「はと~」という叫びを聞いて、
女の子も「あっ!」となっていた。

ふたりは、どちらからともなく鳩を追い、走りだした。


「きゃっきゃっきゃ!」

「はと、まてー」


ちいさな追跡者たちは、笑いながら走っていく。

鳩がベンチの向こうへ隠れれば、
それぞれベンチの右側と左側から回りこみ、
はさみうちにしようとしたり、

鳩がテーブルの下に隠れれば、
一緒になって覗き込んだ。

言葉らしい言葉は交わしていないのに、
ふたりのコンビネーションは抜群だった。


「きゃーっ! きゃーっ!」

「たのしー!」


やがて、ふたりは隠れた鳩をすり抜けて、
ふたりで追いかけごっこを始めた。

楽しさが頂点に達しているのだろう。
私たち母親なんて忘れてしまって
きゃっきゃっ、きゃっきゃと走り回っている。


「あらあら。鳩、おいて行っちゃったわ」

「楽しくなっちゃったみたいですねえ」


歓声をあげて駆けまわる子どもたちの姿は、
見ているこちらにまで喜びがあふれてくるようだった。


興奮した我が子と女の子は、そのうち、
どちらがどちらを追いかけているかわからなくなり、
子供なりの全速力で、お互い相手めがけて
まっしぐらになってしまった。

完全に、正面衝突コースだった。


「危ない!」


慌てて飛び出そうとしたけれど、
その必要はなかった。

我が子と女の子は、私の目の前で、
ガシッと抱き合っていたのだ。

ちいさなその手は、
ちいさな相手の体に回りきらない、
それでもぎゅうっと抱きしめている。

その一連の動作が、とても愛らしかった。


「あらら」

「だっこしてる」


お母様と一緒に、思わず笑ってしまった。

ふたりはガシッと抱き合った身体をほどくと、
照れ笑いをしながら、ふたりで私たちの方を向いた。

母親を見上げるふたりは、なんだかちょっと誇らしげだった。


どう? おともだちできたのよ!


そう言っているみたいだった。

ふたりはまた走り始めた。
飽きもせず、ずっとずっと。
この追いかけっこが続いていくようだった。

楽しい時は瞬く間に過ぎていく。

少しお日様が陰って、寒くなる。
穏やかな音楽が流れはじめ、帰りの時間を告げる。


「それじゃあ、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、お世話になりました。またね」


お別れの挨拶を交わしていると、
我が子が火がついたように泣き出した。


「うーむ、うーむ、うーむ! いっしょ!!
 (ずっと、ずっと、ずっと! いっしょ!!)」


胸が張り裂ける様な叫びだった。
我が子は去っていくその女の子を指さし、


「あいたいー! あいたいー! あいたいー!」


と繰り返し叫び続けた。

覚えている僅かな単語で、
別れたくないことを必至に伝えようとしていた。


「うーむ、いっしょー!」


道行く人が振り返るほどの嘆きっぷりだった。

まだ、お互いの名前も言えないのに。
声の限りに別れを拒む。

明日には忘れてしまうかもしれないのに。
そこまでの思いを、誰かに向けることがある。

私は、すこし切なくなった。

我が子は家に帰り着く前に、眠りについた。
泣き疲れてしまったのだ。

怖い夢にうなされないかと心配しながらも、
私も我が子を抱きしめて横になった。

連絡先を聞いておけばよかったのだろうか、と少し悩んだ。
なかなか眠れない。
新米母親の悩みは尽きない。


起きたとき、
我が子は意外にもスッキリした顔をしていた。


「今日はいっぱい遊んだね」


と尋ねると、


「うん、たのしかったー」


と笑顔で言った。
少しあまえんぼさんに戻っていたけれど、元気いっぱいだ。

この日感じたいっぱいの喜びといっぱいの悲しみを、
我が子はちゃんと乗り越えようとしている。

悲しませないように、傷つかないように――。

そういう育て方もあるだろうけれど、
我が子の晴れやかな笑顔を見て、
我が子にはこれでよかったのかもしれないと思った。

私は、自分が我が子の人生に、
ずっと添い遂げることはできないと思っている。

だから、我が子が進む人生に散らばる無数の小石を、
いつまでも片付けて、助けてあげられるわけではないと思う。

そういうことがわかっているから、
我が子には、転んでも自力で立ち上がる、
そんなたくましさを身につけられないかと、
そう考えてしまう。

冷たいのかな。
厳しいのかな。
迷うことは沢山ある。

でも、悲しいことや辛いことを知っているからこそ、
好きな人との出会いを、楽しい時を、
大切と感じる心が育つのではないかと思う。

だから辛くても、切なくても、母親である自分が、
我が子の涙に引きずられるわけにはいかない。

そんな覚悟をしてるなんて、
母乳を飲ませられなくて泣いていた頃と比べたら、
私もちょっとは強くなったんだ。

我が子は、ご機嫌で積み木やお絵かきで遊んでいる。


「うーむ、おいでー。
 (はやく、おいで、いっしょにあそぼう)」

「はいはーい」


小さいながらもまたひとつ、大きく強くなろうとする、
その、我が子のこころと、未来を信じている。

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