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2011年4月 4日 (月)

去る者たちの思い、残る者たちの思い

福島第一原発から20~30キロ圏内は4月4日現在、
屋内退避指示区域だが、自主避難を勧められている。
そのことについて、見直しすることが検討されているという。

避難地域の見直しについて4月3日

危険ではない、屋内に居れば――。
と言われても、その言葉だけでは生活はできない。

治療が必要な人に、遊び盛りの子供たちに、
食べ物が飲み物が必要な生きている人たちに、
何週間もの間、家の中で暮らせというのは無理なことだ。

もっと早い段階で避難指示を出して欲しかった。
原発問題の収束の見込みがないならなおさらだ。


政府からの避難指示があるならば、
基本的に全員避難せざるを得ない。

避難指示が出た町がそうしているように、
町ごとの避難ができる。

多くの人たちが家を失い、仕事を失い、家族を失った。
それでも町ごとに避難できれば、地域の絆を持って行ける。
見知った顔の中で、ふるさとを思いながら
避難生活に共に取り組めるのだ。


屋内退避と自主避難推奨のあわせ技は、
各家庭に判断をゆだねることになる。

去る人も、残る人も出てくる。
町ごとの避難などできない。

自主避難したら、逃げ出したと言われるのではないか?
残れば、わがままと言われるのではないか?

一日も早く、故郷を復興させたい。
でも、家族のことも守ってやりたい。

逃げたい人が逃げられない。
逃げた人も残るべきだったかと自分を責める。

結果、自主避難する人たちは、
その居場所もその心もバラバラに離されてしまう。

自主避難は、たったひとつ持ち出すことのできる、
地域の絆さえ引き裂いてしまう。

屋内避難地域では、
今も国を信じて、屋内退避をしている人たちがいる。
現地に残り、地域の復興のために
危険を覚悟して働いている人たちがいる。

避難した人たちの中には、
故郷や仕事を捨てざるを得なかった人たちがいる。
その罪悪感に苛まれている人たちがいる。

彼らは、どんな思いでこのニュースを聞くのだろう。

屋内退避となっている南相馬や飯館などは、
そもそも原発誘致をしていないことを思えば、
なお辛いものがある。

避難地域を見直すなら見直すで、判断を急いで欲しい。

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