去る者たちの思い、残る者たちの思い
福島第一原発から20~30キロ圏内は4月4日現在、
屋内退避指示区域だが、自主避難を勧められている。
そのことについて、見直しすることが検討されているという。
危険ではない、屋内に居れば――。
と言われても、その言葉だけでは生活はできない。
治療が必要な人に、遊び盛りの子供たちに、
食べ物が飲み物が必要な生きている人たちに、
何週間もの間、家の中で暮らせというのは無理なことだ。
もっと早い段階で避難指示を出して欲しかった。
原発問題の収束の見込みがないならなおさらだ。
政府からの避難指示があるならば、
基本的に全員避難せざるを得ない。
避難指示が出た町がそうしているように、
町ごとの避難ができる。
多くの人たちが家を失い、仕事を失い、家族を失った。
それでも町ごとに避難できれば、地域の絆を持って行ける。
見知った顔の中で、ふるさとを思いながら
避難生活に共に取り組めるのだ。
屋内退避と自主避難推奨のあわせ技は、
各家庭に判断をゆだねることになる。
去る人も、残る人も出てくる。
町ごとの避難などできない。
自主避難したら、逃げ出したと言われるのではないか?
残れば、わがままと言われるのではないか?
一日も早く、故郷を復興させたい。
でも、家族のことも守ってやりたい。
逃げたい人が逃げられない。
逃げた人も残るべきだったかと自分を責める。
結果、自主避難する人たちは、
その居場所もその心もバラバラに離されてしまう。
自主避難は、たったひとつ持ち出すことのできる、
地域の絆さえ引き裂いてしまう。
屋内避難地域では、
今も国を信じて、屋内退避をしている人たちがいる。
現地に残り、地域の復興のために
危険を覚悟して働いている人たちがいる。
避難した人たちの中には、
故郷や仕事を捨てざるを得なかった人たちがいる。
その罪悪感に苛まれている人たちがいる。
彼らは、どんな思いでこのニュースを聞くのだろう。
屋内退避となっている南相馬や飯館などは、
そもそも原発誘致をしていないことを思えば、
なお辛いものがある。
避難地域を見直すなら見直すで、判断を急いで欲しい。
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