« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月30日 (土)

聴いていたい

我が子が、童謡の雪を歌い始めた。


 「♪ゆーきやこんこん、あられやこんこん、

  ふっては、ふっては、だいーじょーぶ♪

  さみしくないよー、だいじょーぶ♪」


オリジナルの歌詞に聞き入っていると、


 「いっしょに、うたって~」


だって一緒に歌うと、君のオリジナルの歌が消えちゃうんだもの。

|

2011年4月29日 (金)

やさしい視線

ディズニーのアニメを見ていると、「子供が居る!」と思います。

描かれているキャラクターたちが
子供であれ、大人であれ、人ではない存在であれ、

ちょっとしたことで怒ったり、
自分のことばかりで人に迷惑をかけたり、
みんなで決めたルールをズルしたりと、
あきらかに間違ったことをするのです。

でも、それがいいです。

キャラクターたちは事件を通し、そこを反省して、
次に繋げようという意気込みを見せます。

しかし、意気込みはあっても、
次回もまた同じような失敗や間違いをします。

そういうところがすごく子供らしくて、実際こんな子が周りにいたら、
ちょっとめんどうだなあ、なんて思うのですが、
やはりいないと寂しくて、愛おしいのです。


すべてのディズニー作品を見ているわけではないので、
例外はあるのかもしれませんが、
ディズニーの作品を見ていると、
作り手の方々の子供たちへの優しい視線を感じます。

子供たちを見て、子供たちに向けて、
作品が作られているのだなあ、と感じるのです。

|

2011年4月28日 (木)

今日ほど検索したことはない

南相馬市への宅配が再開したとの知らせを聞き、
我が家では、母の日プレゼント緊急会議が開かれた。

水より、食べ物より、なにより、
やはり初孫である我が子の写真が良いだろうとなり、
アルバムづくりが決定。

夜はフル稼働で写真の選別とプリントアウト、
そして、一枚一枚に手書きでコメントも書いた。

ヤマト運輸のカウンターで、
手作りアルバムの配送をお願いする。


 受付のお姉さん「2、3日かかるかもしれません」

 生田「大丈夫です」

 お姉さん「ご希望の時間帯に届けられないかもしれません」

 生田「全然、構いません」


届けてもらえることが、なによりだった。

母の日のプレゼント、どこまで届いているだろうか?
今日ほど、検索をかけたことはない。


Google特殊な検索機能


そして、さきほどお義母さまから喜びのメールが届いた。
まさか昨日出して、今日届けてくださるなんて!

メールでは毎日、我が子の写真を送っている。

でも、直接、私たちが手に触れたものが、
こうして届けていただけるというのは、暖かさが感じられるのだ。
繋がっている感じがするのだ。

本当に嬉しい、ありがたいことだった。

|

2011年4月27日 (水)

真珠姫とレディ・パールのこと

真珠姫とレディパールは白と黒、姫と騎士、
全て正反対のキャラにしたかったのです。

でもバトルキャラとしての設計はバトル班の担当なので
ダメ元で相談に。
結果「いいんじゃない生田さんらしくて」と一発OK。

それでバトルではしゃがむことしかできない真珠姫と、
鬼の強さのレディパールが誕生しました。


(つづく)


真珠姫とレディパールは、
ひとりのキャラクターを二倍の容量で描いています。

その裏にはイベント班とバトル班の協力で創り上げた
それぞれの真珠像、パール像があります。

バラバラの部署にいる開発者たちが一丸となってひとつの目標に向かう、
そんなことを具体化出来たキャラだったと思います。


(つづく)


おかげで真珠姫の使えなさ、
レディパールのチート的強さによる振り回され感も
半端なかったと思います。

それをバトルで体験できる分、
ふたりの間で揺れる瑠璃くんの大変さが垣間見えたと思います。

バトル班の強力なバックアップで実現できた
バトルを含めた三角関係(?)の演出は楽しかったです。

|

2011年4月26日 (火)

長く走るお手入れ

身体が食物をとって血肉とするように、
心も映画や小説や誰かとの会話などの情報を栄養にして、
心の血肉を作っています。

身体の疲れを取るため横になるように、
心にも休息の時間が必要です。

なにが、心の糧になるのか?
なにが、心の安らぎとなるのか?

自分の心を保つため、
心の手入れを忘れないように。

そして出来る限り余力を作って、
自分が大切に思う人たちの心を保つために、
その心のお手入れをお手伝いしたい……。

この長期戦を乗り切り、支えていくために、
長く走れる自分にしていきたいのです。

|

2011年4月25日 (月)

しあわせを運ぶ

  「ツバメちゃんが来てくれたんですよ」


主人のお義母さまからメールが来ました。

もう今年は来ないのではと、諦めていたそうです。
「なんかへんだぞ」と、引き返してしまうのではないかと。

それが、いつもと変わらずに来てくれたそうです。
お義母さまは、とっても喜んでいました。


いただいたメールを読みながら、
私の心は過去に戻っていきます――。

思い出すのです。
福島で見た、青々とした山の稜線を。
どこまでも広がっていく、緑の田畑を。

吹き渡る清々しい風の中、
ツバメたちがのびやかに飛ぶ姿を。


  「美和ちゃん、知ってる?
   ツバメは幸せを運んで来るんですって」


あの時、飛び回るツバメを見ながら、
お義母さんに聞いたお話を思い出しました。


私の心は、現在へと戻って――。
お義母さまの住む、福島へと思いを馳せます。

青空を飛ぶ、藍色のちいさな姿に
勇気づけられる人々がいるのでしょうか?
涙を零す人々がいるのでしょうか?

そうして彼の地を思いながら、私は思ってしまうのです。


 あなたがたのものでもある大気を、海を、
 こんなにも汚してしまって申し訳ありません。


この胸を締め付ける思いの正体が、なんなのか。
願いなのか、祈りなのか――。
怒りなのか、悲しみなのか――。
いろいろな感情が混じり合っています。

謝っても仕方がないのに、謝ったってなにも変わらないのに、
どうしても言ってしまうのです。


  「ごめんなさい。でも、ありがとう……」


その思いを、口にしたくなるのです。


  「きっと、美しい福島を取り戻すから、待ってて」――と。

|

2011年4月24日 (日)

通わせよう

「おねまーす」

(おねがいします)


「いたまして」

(どういたしまして)


「なったったっんだよ(涙)」

(怒られちゃったんだよ)


「ありあとー!」

(ありがとう!)


こんな言葉とか――。
ある時は声をひそめて、ひそひそと、


「こしょこしょこしょ……ですね?」


これは、ないしょ話のまねっこ。

またある時は、
マイクを持ってるみたいに、手を動かして、


「だーと、あーと、ですか?(と私にマイクを向けるようにして)」


これは、Jリーグのインタビューのまねっこ。


毎日、毎日、我が子は、いろんな言葉で、
私に話しかけてくれます。

もちろん初めからこんなことはなくて、
赤ちゃんの頃は「だー」とか「あー」とかでした。

我が子が初めて目を開けたとき、
その真っ黒な瞳を見て、吸い込まれそうだと思いました。

人という感じではなく、まるで風や光と同じ、
純粋な自然の姿の一部のようで、
なにを考えているか、計り知れないところがありました。

それが今は、いろんな言葉を使って、
表情や仕草をまじえて、一生懸命気持ちを伝えてくれます。


気持ちを伝え合うのは、楽しいことです。

自分の気持ちを話せたり。
誰かの気持ちに触れられたり。

お互いの気持ちをやりとりをできる、
そんな時間は心地良いです。

我が子と日々には、
そういった当たり前のことが、たくさん潜んでいて、
私をしあわせにしてくれています。

だから、


「一緒にお風呂にはいれて楽しいよ」とか、

「ご飯、一緒に食べたいんだけどなあ」とか、

「生まれてきてくれてありがとう」とか。


私の気持ちも、伝えるようにしています。
気持ちが通い合う家族で、いたいのです。

|

2011年4月23日 (土)

夫婦レベル15

主人とふたりで、テレビを見ていたときのこと。
養命酒のCMが流れてきた。

養命酒 男性は8の倍数、女性は7の倍数

男性は8の倍数、女性は7の倍数の年齢を
節目年齢といって、その時、体の変化などがあるという。


 生田「あなたは、40歳が近いんですね。
     気をつけましょうね」


と、私が言うと、


 主人「女性の倍数は7か。美和さんはいくつだ?


    49だな!(キッパリ) 」

あなた!

確かに私は姉さん女房だけど

50歳間近って、どんだけ!?



 生田「……」


固まっている私を見て、ハッと青ざめる主人。


 主人「ごめん、美和さん! 今の、素で間違えた!!!

     俺、今、トンデモないこと言った!!!

     ごめんよ~~~!!!!!」


平謝りに謝る主人。

私は、ぎり30代。
ひとまわり間違えられてえらく傷ついた夜でした。
お詫びに甘いの買ってもらう~。

|

2011年4月22日 (金)

前を向く

自分のためだけには、
もう、どうやっても頑張れないことがある。
そんなとき声をかけてくれる誰かがいる。

「すべて自分で解決しようとしなくていいんだよ」

そう言葉にして言ってもらえることがある。
頑張れとは言わない。ただ、暖かく背を押される。

そんな日が一日でもあれば、
私は前を向いていける。

|

2011年4月21日 (木)

ちいさくておおきなこと

先日公園に行ったときのこと。

我が子が、


「うーむ、これ~(これ、あそびたい)」


と、シーソーに乗りたがった。

主人がいるときは別だが、「子供+母親」だけだと、
ふたりでシーソーに乗って遊ぶことはできない。

そこで、「絶対に降りちゃダメだよ!」と念を押して、
我が子を座席に座らせ、私はシーソーの反対側へ回って、
傍らに立ち、その座席を押したり、引き上げたりして遊ぶことにした。
手押しポンプ式の井戸で水を汲み上げるみたいな感じだ。

「楽しい?」と聞くと、
「うーむ、たのしいねえ」とのどかな声で答える。

そうやってしばらく、
シーソーを上げたり、下げたりしていると……、

我が子と同じ年頃くらいの小さな女の子が、
てってってーと駆け寄ってきた。

女の子はシーソーを指さして、
遅れてやってきたお母様にアピールしている。

すると、「ご一緒してもよろしいですか?」と女の子のお母様。
「どうぞ」と私。

もう、この時点で人懐っこい我が子は
嬉しくてしょうがないらしく、でも恥ずかしがり屋さんなので、
借りてきた猫のように、ちょこんと座って目だけキラキラさせている。


「今日はお天気ですねえ」「ほんとですねえ」
なんて、女の子のお母様とのんびりした会話をしていると、
女の子は満足したらしく、シーソーを降りると仕草で示した。

「お世話になりました」「こちらこそ」と、ご挨拶してお別れすると、
我が子も足を上げて、シーソーを降りようとしていた。


「あら、もういいの?」

「うーむ、もういい」


素っ気無く言って、我が子はさっと駆け出していってしまう。


「おい、どこいくのよー」


我が子は鉄棒の前に来ていた。
さきほどシーソーを遊んだ女の子が来ている。

一番低い鉄棒で奮闘する女の子から離れて、
我が子は、わざわざどんなに頑張っても届きっこない、
一番高い鉄棒相手に、ジャンプを繰り返している。


(もしかして、女の子を追いかけてきたのかな?
 偶然かな?)


と思っていると、女の子のお母様の方から、
「こっちの低いほうの鉄棒、どうぞ」と
声をかけてくださった。

我が子の顔に、溢れるような笑みが浮かぶ。

その笑顔を見て、私はハッと息を飲んだ。

我が子は今、ともだちをつくろうとしているのだ!


邪魔しちゃいけないと思って
緊張しながら様子を見守っていると、
一番低い鉄棒に、女の子とふたりで飛びついている。

小さな子がならんでぶらーんとぶらさがっている姿は、
なんともいえず、微笑ましい。

隣同士ぶら下がっているうち、女の子と我が子の間には、
一緒に遊んでいるという感覚が生まれたようだった。

その後、ブランコでも遊び、ジャングルジムを素通りし、
さて、次は何で遊ぼうか?という時に、鳩がやって来た。


「はとだ!」


鳩がてけてけと歩いてきたのだった。

鳩はいい。
子どもたちが頑張って追いかけても、
追いつくか、追いつかないかくらいの、
ちょうどいい速度で走ってくれる。

その上、飽きっぽい子どもが興味を持っていられるように、
右に左に迷走したり、物陰に隠れたりする。

鳩の方に、子供への優しさがあるのかわからないけれど、
子供の遊び相手になってくれているのは事実だと思う。


我が子の「はと~」という叫びを聞いて、
女の子も「あっ!」となっていた。

ふたりは、どちらからともなく鳩を追い、走りだした。


「きゃっきゃっきゃ!」

「はと、まてー」


ちいさな追跡者たちは、笑いながら走っていく。

鳩がベンチの向こうへ隠れれば、
それぞれベンチの右側と左側から回りこみ、
はさみうちにしようとしたり、

鳩がテーブルの下に隠れれば、
一緒になって覗き込んだ。

言葉らしい言葉は交わしていないのに、
ふたりのコンビネーションは抜群だった。


「きゃーっ! きゃーっ!」

「たのしー!」


やがて、ふたりは隠れた鳩をすり抜けて、
ふたりで追いかけごっこを始めた。

楽しさが頂点に達しているのだろう。
私たち母親なんて忘れてしまって
きゃっきゃっ、きゃっきゃと走り回っている。


「あらあら。鳩、おいて行っちゃったわ」

「楽しくなっちゃったみたいですねえ」


歓声をあげて駆けまわる子どもたちの姿は、
見ているこちらにまで喜びがあふれてくるようだった。


興奮した我が子と女の子は、そのうち、
どちらがどちらを追いかけているかわからなくなり、
子供なりの全速力で、お互い相手めがけて
まっしぐらになってしまった。

完全に、正面衝突コースだった。


「危ない!」


慌てて飛び出そうとしたけれど、
その必要はなかった。

我が子と女の子は、私の目の前で、
ガシッと抱き合っていたのだ。

ちいさなその手は、
ちいさな相手の体に回りきらない、
それでもぎゅうっと抱きしめている。

その一連の動作が、とても愛らしかった。


「あらら」

「だっこしてる」


お母様と一緒に、思わず笑ってしまった。

ふたりはガシッと抱き合った身体をほどくと、
照れ笑いをしながら、ふたりで私たちの方を向いた。

母親を見上げるふたりは、なんだかちょっと誇らしげだった。


どう? おともだちできたのよ!


そう言っているみたいだった。

ふたりはまた走り始めた。
飽きもせず、ずっとずっと。
この追いかけっこが続いていくようだった。

楽しい時は瞬く間に過ぎていく。

少しお日様が陰って、寒くなる。
穏やかな音楽が流れはじめ、帰りの時間を告げる。


「それじゃあ、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、お世話になりました。またね」


お別れの挨拶を交わしていると、
我が子が火がついたように泣き出した。


「うーむ、うーむ、うーむ! いっしょ!!
 (ずっと、ずっと、ずっと! いっしょ!!)」


胸が張り裂ける様な叫びだった。
我が子は去っていくその女の子を指さし、


「あいたいー! あいたいー! あいたいー!」


と繰り返し叫び続けた。

覚えている僅かな単語で、
別れたくないことを必至に伝えようとしていた。


「うーむ、いっしょー!」


道行く人が振り返るほどの嘆きっぷりだった。

まだ、お互いの名前も言えないのに。
声の限りに別れを拒む。

明日には忘れてしまうかもしれないのに。
そこまでの思いを、誰かに向けることがある。

私は、すこし切なくなった。

我が子は家に帰り着く前に、眠りについた。
泣き疲れてしまったのだ。

怖い夢にうなされないかと心配しながらも、
私も我が子を抱きしめて横になった。

連絡先を聞いておけばよかったのだろうか、と少し悩んだ。
なかなか眠れない。
新米母親の悩みは尽きない。


起きたとき、
我が子は意外にもスッキリした顔をしていた。


「今日はいっぱい遊んだね」


と尋ねると、


「うん、たのしかったー」


と笑顔で言った。
少しあまえんぼさんに戻っていたけれど、元気いっぱいだ。

この日感じたいっぱいの喜びといっぱいの悲しみを、
我が子はちゃんと乗り越えようとしている。

悲しませないように、傷つかないように――。

そういう育て方もあるだろうけれど、
我が子の晴れやかな笑顔を見て、
我が子にはこれでよかったのかもしれないと思った。

私は、自分が我が子の人生に、
ずっと添い遂げることはできないと思っている。

だから、我が子が進む人生に散らばる無数の小石を、
いつまでも片付けて、助けてあげられるわけではないと思う。

そういうことがわかっているから、
我が子には、転んでも自力で立ち上がる、
そんなたくましさを身につけられないかと、
そう考えてしまう。

冷たいのかな。
厳しいのかな。
迷うことは沢山ある。

でも、悲しいことや辛いことを知っているからこそ、
好きな人との出会いを、楽しい時を、
大切と感じる心が育つのではないかと思う。

だから辛くても、切なくても、母親である自分が、
我が子の涙に引きずられるわけにはいかない。

そんな覚悟をしてるなんて、
母乳を飲ませられなくて泣いていた頃と比べたら、
私もちょっとは強くなったんだ。

我が子は、ご機嫌で積み木やお絵かきで遊んでいる。


「うーむ、おいでー。
 (はやく、おいで、いっしょにあそぼう)」

「はいはーい」


小さいながらもまたひとつ、大きく強くなろうとする、
その、我が子のこころと、未来を信じている。

|

2011年4月20日 (水)

つながっている

書けるヤツは筆を取れ! 歌えるヤツは歌ってくれ!
みっともなくてもいい。情けなくてもいい。
気持ちを吐き出せ。

声をあげられない人のために、言葉もない人のために、
前を向けない、もう頑張りようもない人たちのために。
動けるヤツが動かないでどうする!

この空も海も大地も、私たちは全て繋がっている。

|

2011年4月19日 (火)

夫婦の時

危険区域への一時帰宅のニュースを見ました。

荷物を持ち出すために、
各世帯ひとりの代表が向かうそうです。

これは、とても辛い話だと思います。

そのご家庭が介護や看病を必要とするご病気の方や、
手の離せない小さなお子さんがいるなどの
事情があるなら話は別だけれど、
夫婦で動けるのならば、夫婦で行きたいと思うでしょう。

どこのご夫婦であっても、
お父さんとお母さんという立場で、
あるいは夫と妻という立場で、
その家で暮らしたことのすべてを、
わけあって生きてきたはずです。

ふるさとでの家族の歴史――。
その幕を下ろすことを、
夫婦のどちらかひとりきりにさせるなんて。

もしかしたら、さいごとなるかもしれない、
大切な我が家とのお別れの時を、
ご夫婦で、分かち合わせてあげてほしかった。


ご夫婦ふたりが、手を取り合って、
共に生きようと思ったその土地、その家なのですから、
沢山の思いがあるはずです。


思い出深い家の前で、ご夫婦が家族の歴史を振り返り、
それぞれに気持ちを吐き出す。
子どもたちのいない場所で、ふたりきりで、泣く。

そして、もどってこようと。とりもどそうと。
また、あたらしい暮らしをふたりで一緒につくろうと。

自分たちは違う土地に行くけど、忘れないからね。
ありがとう、さようなら――。

そういう段階が必要だったのではないかと思うのです。


新しい歴史へ歩み出すためにも、
多くのご夫婦が望んでいたことではないかと思うのです。

|

2011年4月18日 (月)

いやなことはノリでやる

玩具をお片づけしている時、
子供の替え歌?が、聞こえてきました。

♪ドキドキさせるよ~、ドキンちゃん~のメロディで、


「しらしら、しらしら~、しらびとり~!

 しなしな、しろしろ~、しのびとり~!

 ひなひな、ひのひろ~、ひのぼちゃ~ん!」


普段は嫌がるお片づけも、
歌っている間はご機嫌でやっているようです。

こんな小さな子でも、
歌ってノリながら作業をすると楽しい、
というのがわかっているんですね。

|

2011年4月17日 (日)

もっと簡単な日記の書き方

今、感じていることを後々に読み返せるように、
みなさん日記を書き残してください――。
と、お願いしたことの続きです。

もっと簡単な日記の書き方をご紹介します。


<簡単な日記の書き方>

 (1)その日あったこと、感じたことを、箇条書きする
 (2)ポイント、その日に報道されたニュースを書く


これだけです。
例えば、私の場合。



<箇条書き日記の例>

 ・4月17日

 ・枝野官房長官、20キロ圏内入り、
 ・飯舘村にも赴き、避難について話し合ったという
 ・テレビ報道では真っ白な防護服を着てる姿も

 ・先輩方と食事会に行った
 ・とっても楽しかった
 ・自分だけで頑張らないこと

 ・子供とパンを焼いた
 ・卵を割れた!、強力粉を入れられた!

このようになります。



<箇条書きの日記のメリット>

 ・簡単に書ける
 ・よって長く続けられる
 ・記憶力が鍛えられる

シンプルなメモ書きのような感じになりますので、
読み返す時に、キーワードから
当時の状況を思い起こすことになり、
結果として、記憶力が鍛えられることになります。



<関連してニュースを書くことについて>

ポイントの「その日のニュースを書く」というのも、
その頃を振り返る手助けとなる情報だからです。

「社会はこうだった」「私はこうだった」という
ふたつの軸から、自分の人生について書き残せます。

また、当日報道されたニュースを書くことで、
この日記が日付の日に確かに書かれたものである、
という証拠になります。



<箇条書き日記のデメリット>

 ・シンプルな内容になるため、
  他人に読ませた場合、必要な情報が完全には
  伝わらない可能性がある

しかし、この箇条書き日記を見ながら、
当時の状況を誰かに話すことはできます。

むしろ、箇条書き日記は、
それ自体が目次のような役目を果たしてくれるので、
トークを助けるためのツールとしては
普通の日記よりも、格段に使いやすいと思います。

キーワードを連ねたメモであり、
過去の状況について誰かとお喋りするときの
手助けになるものとして、
気楽に書いていくのが向いています。

また、未来の自分に考えておいて欲しいこと、
後に誰かに話そうと思うようなことは、
項目の頭に、☆印や○印をつけておけば、
さらに見やすくなります。


あまり嬉しいことではありませんが、
私たちが感じる事は何から何まで「今起きていること」のせいで、
特別な価値を持ってしまっています。

後に振り返られる歴史の中に、
私たちは「当事者」として存在しているのです。

私たちはたぶん、
家族として、社会人として、地域のひとりとして、
自分にも分かり得ない役割と葛藤の中を生きています。

それを書き残しておいてください。

Twitterは素晴らしいツールですが、
自分の日々の気持ちをそこで流して発散してしまうだけでは、
勿体無いことになってしまいます。

書きとどめて、読み返せるようにしておいてください。
それが未来の助けになることがあります。

|

2011年4月16日 (土)

新作チェック!

ただいま新作のチェックをしています。

さまざまな方の手を経て、
また新しい作品がこの世に生まれます。

発売はまだまだずっと先なのですが、
発表になり次第、当サイトでもお知らせいたします。

|

2011年4月15日 (金)

ちゃんと心から

「フェイルセーフを忘れるな」

何かするとき、うまくいくことばかり考えるな。
考えられる限りの失敗をイメージして、それに備えろ。

どうせ人は失敗する。
失敗を乗り切る力が、そのまま生きる力だ。


「現場を死なせぬということだ」

なにかあったら、上に立つ者が矢面で叩かれる。
その隙に、優秀な現場の人材は、問題に集中できる。

優秀な現場を殺してはならない。萎縮させてはならない。
彼らに勇気を持たせ、誇りを持たせ、
労い、励まして、事に当たらせろ。

そのための盾になるのが、上の人間の唯一の仕事だ。


「共感をよぶ言葉をいうものだ」

ひとの上に立つ者は、共感をよぶ言葉をいうものだ。

人々の心を動かしてこその指導者であり、
そして心からの行動が伴わなければ、社会は崩壊する。

人を思う、その心からの言葉を搾り出せ。


我が師から学んだことを、
私なりに咀嚼していったものです。

師を思うたび、自分を振り返ります。
心からの言葉をつむぎたいのです。

|

2011年4月14日 (木)

うつくしいもの

美しいものを手にしたいと思った時、
その気持ちは何かを傷つけ、壊してしまうかも知れません。

何かを欲しいと願うだけでは奪うことと同じようなものです。

自分の持つものを分け与え、
それによって世界の何かが満たされて、
はじめて人は何かを傷つけず、
何かを手にすることができるのではないでしょうか。

|

2011年4月13日 (水)

胸がすく

屋内退避ってどういうことなの?

阪神大震災の時よりも
復興が遅い気がするどうして?

飛び回っていたヘリコプターから
物資をばらまけなかったの?

ニコ生特番!統一地方選挙2011!

もやもやしているものが、スッキリする。

当たり前のことを、
誰かに堂々と言ってもらうことが、
こんなにも励みになる。

もういい加減、
誰のためのでもない耳障りのいい言葉で
被災した方々が傷つけられるのは嫌だし、
発言者のためにすらならない言葉で
人々に憎悪や諦めを植えつける人物を見るのも嫌だ。

こんな時なのに、心無い言葉が溢れかえっている。
そこに、喝を入れる人たちがいる。

30分くらいから聴き応えがあります。

|

2011年4月12日 (火)

一ヶ月分のありがとう

3月11日から一ヶ月が経ちました。

必要な情報を必要な方に届ける、
その妨げにならぬよう、Twitterを控えておりましたが
今晩から、Twitterを通常運転に戻します。

この一ヶ月、Twitterとブログと掲示板で
避難経路、避難所の情報、放射線対策、
情報をくださった皆様に感謝しています。

また自衛隊の皆様、消防団の皆様、警察の皆様、
ボランティアの皆様をはじめ、
現地で働いてくださっているすべての皆様に、
心より感謝いたします。

ありがとうございました。

|

2011年4月11日 (月)

どっちなの?

避難区域が見直しになると聞き、少し期待していました。

屋内退避が解除されて、大手を振って復興できるのか?
避難指示が出され、国のお墨付きを貰って、
みんなで避難できるのか?

どちらかの結果を望んでいました。
ですが、この記事を読み、よくわからなくなりました。

政府が設定した計画的避難区域について

まず今までの避難区域は、私の理解ではざっくりとこうでした。

(A)20キロ圏内
 ……避難指示 「危ないから逃げなさい」
(B)20から30キロ圏内
 ……屋内退避と自主避難
 「危なくはないけど外出は気をつけてください」
 「逃げたければ是非どうぞ」


この避難区域の分け方で、
大きな問題がふたつあるのだと思っています。


(問題1)20から30キロ圏内でも、
放射線の積算量が高い地域がある

 屋内退避していたけれど、
 20キロ圏内(避難指示区域)に匹敵するほどの
 積算量になっている。
 もはや避難指示を適用すべきではないのか?


(問題2)以下の理由から屋内退避では生活に支障が出る。

  ・通学、通勤、買い物で外には出るため。
  ・危険区域とみなされ、外から物資や人が入ってこれないため。

  そこで、自主避難というのが曖昧なので、
  避難すべきなら避難指示を出すべきではないのか?
  そうでないのなら、屋内退避も解除して欲しい。

  つまり、安全か危険かハッキリしてほしいという
  意見があったのだと思っています。


上記の大きな問題ふたつを簡単に言うと、

(問題1)20から30キロ圏内でも危険な場所がある
(問題2)屋内退避と自主避難はやめて、避難指示に。
     あるいは屋内退避解除にして。


だいたいあっていますでしょうか?

そしてそれらを受けて、
11日に発表された「計画的避難区域」は
どうなったのかを見ていきますと、


(A)20キロ圏内
 ……避難指示、これは変わらず

(B)20から30キロ圏内

 (B‐1)計画的避難区域
 (B‐2)緊急時避難準備区域


となりました。
20から30キロ圏内への対応が細かくなったように見えます。


(B‐1)計画的避難区域とは、
20から30キロ圏内でも、放射線の積算量が
年間20ミリシーベルト以上に達すると予測される地域のこと。
この区域には、国が避難を呼びかける。

これは(問題1)の20から30キロ圏内で屋内退避していたけれど、
20キロ圏内(避難指示区域)に匹敵するほどの
積算量になっている区域への対応にあたると思われます。

避難のため準備期間が設けられるようですが、
避難指示に近い形に見受けられます。

福島県の葛尾村、浪江町、飯舘村、
川俣町の一部、南相馬市の一部が入るそうです。


一方、(B‐2)緊急時避難準備区域とは、
20から30キロ圏内で、「計画的避難区域」にならない
すべての地域だそうです。

福島県の広野町、楢葉町、川内村、田村市の一部、
南相馬市の一部が入るそうです。

この緊急時避難準備区域では、緊急事態が生じたときには、
原則的に自力での避難することが求められるのだそうです。

「自分の身は自分で守ってください」
「危険だと思うのなら自主避難して結構です」

と言われているように見えるので、
屋内退避とさして変わらない気がします。

しかし、ここからが違いました。


この緊急時避難準備区域では、


「自力での避難などが困難であると想定される人には、
 あらかじめ避難してもらうことが望ましい」

「特に、子どもや妊婦、要介護者、入院患者は、
 この区域に入らないようにすることが引き続き求められる」


だそうです。

この「緊急時避難準備区域」は、
どういう意味合いのものなのでしょうか。

妊娠の疑いがない成人女性と、
健康な大人たちしか入ってはならない区域なのでしょうか?

私には屋内退避より、危険度が増しているように思えました。

危険なのか安全なのか……。
混乱してきます。

|

2011年4月10日 (日)

別れてなんかいないはず

選挙に行った帰りに、家族でお散歩してきました。
投票会場のある静かな住宅街に、小さな公園がありました。

階段が四つくらいしかない、小さな滑り台を発見。
子供がきゃっきゃと飛びつきます。

ちょうちょを追いかけたり、忘れ物のボールを蹴って遊んだり。
通りがかりのご家族とお喋りしたり。

桜は満開。
空は青くて。
お日様は暖かかったです。

桜を見上げて、帰れる家があるんだなあと思うと、
どうしても泣けてきますね。
悔しいですよね、やっぱり。悔しい。悔しい。悔しいよ。

避難所の暮らしも一ヶ月が限度ではないかと思います。
もう、耐えられない人たちがいっぱいいると思うのです。

それは他人事じゃないです。
もう、みんなが当事者だと思うのです。

あの日から、被災者と非被災者に別れたんじゃないと思いたい。
帰る家がない人と、帰る家があるひととに別れたなんて
ぜったいに思いたくない。

もしどうしても、なにかとなにかに別れたというのなら、
せめて、支えられる側と、支える側だと思いたい。

それならば私は、
自分が支える側に属しているという自覚があります。
それさえおこがましいことかもしれませんが、
誰かを支えるために、そのために頑張りたいと思います。

|

2011年4月 9日 (土)

待っててね、待ってるよ

最近は子供がよく眠ってくれるので、ずいぶん楽になりました。

この前までは「まま~、まま~」と言って、
泣いて寝るのを拒んでいた我が子ですが、
ここ数日は、ふと気づくと
お気に入りのタオルをかぶってまるまって眠っています。

ピンクのときは桜餅、白のときは大福と呼んでます。
写真は昨日のずんだ餅。


20110409


子供の寝顔を見ているとき、命なんだなあと思います。
束の間、地震のことも原発のことも忘れてしまいます。

そして、そんな自分に気づいて、
もうあの頃とは世界が違ってしまったんだと、思い知らされます。


少し前まで、シナリオライターとしての私は、
喜んでいただけるものを作れただけで満足でした。

できればそれが時代を超えて人々の胸に届く、
普遍的な何かをはらんでいればと思っていました。


皆さんの心は、主人公たちの気持ちに寄り添って、
物語を追体験していくことになります。

だから今という時代を意識しながらも、
それとは別軸で、どんな時代になったとしても、
人々に課せられるであろう、生きることそれ自体の苦労を、
その中で、ささやかなしあわせに向かう人間の姿を、
ありのまま書き留めたいと思っていました。


でも、3.11、東日本大震災。
続く余震、原発の危機。
言葉で言い表せない激しい感情がありました。

そういうものをみんなで体験している今なのです。

これから私がお預かりしていく心は、そういう背景とは
けっして切り離されることのないものだと感じたのです。

今、私の手に委ねられるシナリオはすべて、
この時代を生きるみんなを元気にする心の糧であり、
それは人々の心をめぐりめぐって、
明日を生きて行くための一助になるかもしれない。
そういうことを強く念頭に置いているのです。

だから今までよりもっと、誰かの笑顔を思い浮かべて、
この時代を生き抜くために必要な心の力、
その下支えをお手伝いさせていただいているという気持ちで、
ひとつひとつの作品に向かいたいです。


そして、面白いもの、楽しいものでみんなの心を結びつけて、
たくさんたくさん共有させてしまいたいです。

悲しみが吹き飛ぶくらいの楽しさを。
辛さを忘れるくらいの喜びを。

たとえ一瞬だっていい。
その一瞬のために、心を込めて、工夫を凝らして、
良い作品をたくさん作りたいのです。
みなさんの心の栄養を補充するお手伝いがしたいのです。

きっと物づくりの人たちは、みんなそう思っています。
ゲームをはじめ大衆娯楽系のお仕事に従事されているならば、
ことさらその願いは強いものだと思います。

経営者のみなさんには、
長引く不況の傷も癒えぬことと思いますが、
私たち物づくりの人間をこき使うお仕事を、
ぜひとも増やして欲しいと思います。

身体と同じように、心にも休息と食事が必要です。
私たち物づくりのひとは、心の食べるごはんと水を作れます。
どうかその手助けを、我々物づくりの民にさせてください。


そんなことを考えながらも私は、今日も元気に仕事しております。
ワクワクするような企画が、いくつか動いております。
良いものにしますから、待っていてくださいね。

明日が来るのが楽しみになる――。
そんな毎日を、また必ず作りあげますから。

|

2011年4月 8日 (金)

一生の財産

女子会というほど大げさではないのですが、
先日、高校時代からの友人と横浜でご飯を食べてきました。

話すことは、やはり原発関係。
不安を拭えない現状の共有。
ついで、どうしてこうなった?的な、過去に遡るお話。
そして、これからどうする的な、未来に向けてのお話。

いずれも深刻な話ばかりです。

被災した方々のことを思うと、
泣いたってどうなるわけでもないのに、やはり涙が。

でも、私たちが打ちのめされている場合ではないと、
気持ちはすぐに前向きになります。

被災しなかった自分たちにできることは?

寄付することだろう。
経済を回すことだろう。
元気に生きることだろう。

失ったもの奪われたものに比べたら、
本当に些細な努力でしょうけれど、
なにごともやれることからと、そんな話をします。

東京でお花見が全面自粛になったのは
少し残念だけれど、私たちだけでもやりましょうと。
子どもたちとのんびり桜を見てお散歩しましょうと。

そんな話の合間合間に友人が、飼っているペットの話や、
おもしろ話を挟んでくるので、頬が緩んでしまいます。

家に帰って今になって、友人が
私のことを笑わせようとしてくれていたことに気づきます。
高校時代、彼女に出会えたことは私の幸せの一部です。


そんなことに気付かされて、
また子どもたちのことを思いました。

お子さんたち学生さんたちは、
そろそろ新学期を迎えたころだと思います。

被災した方々は避難先で、
あるいは踏みとどまって被災地の中で、

また、被災していない方々は、
少し明かりや電車の本数が少なくなった町で、

それぞれの不安や希望を胸に、
新しい学校生活をスタートさせたことでしょう。

住み慣れた土地を離れても、留まっても。
被災していても、普段どおりの日常でも。
自分たちがたとえどんな状況でも、
学校は友人を作るには絶好の場所です。

子どもたちや学生さんたちが、
めいっぱい楽しい学校生活を過ごせるように、
私たち大人は経済を回して、世の中を明るくしましょう。

あいにくの雨予報で、
土曜の花見は延期してしまったのですけれど、
またあらためて、お花見散歩やりたいと思ってます。

|

2011年4月 7日 (木)

読み返しやすい日記の書き方

昨日、「みんなも日記書いて!」というお話をしたので、
今日は日記の書き方をまとめてみようと思います。

いろんな日記の書き方があるのですが、
私は、「読み返すための日記」をお薦めしたいです。

「読み返すための日記」とは、
言い換えると、「自分の心を確認できる日記」です。

自分の気持を書いて整理することができるので、
自分がなにを考えているのか知ることができ、
不安や焦りが薄くなります。

そして、またその書き出すことでわかった
自分の考えに基づいて、アクションを組み立て易くなります。


■読み返しやすい日記の書き方・前半


(1)「気になる」を書く

 「日記に、なにを書けばいいの?」という方々は、
 「日記は、今、気になることを書くもの」だと考えるといいです。

 「感動的な」とか「文学的な」とかは思わないでいいです。

 気になることを箇条書きに書きだして、番号を振っておきます。
 これで「気になる項目」のずらっと並んだ、「もくじ」が完成します。


(2)各種「気になる項目」への感情を書く

 次に、「もくじ」に書いた各種「気になる項目」について、
 思ってることを箇条書きにします。

 その時、まず「感情」を短い言葉で書いてしまいます。
 「怖い」「うれしい」「不安だ」「楽しみ」とか、そういう感じです。

 それで、その後、その「感情」に「理由」をつけていきます。
 「〇〇だから怖いんだ」とか「バツバツだから楽しみだ」とかです。

 またその「理由」に対して、思ったことも書いておきます。
 このとき、頭を一文字下げると見返しやすいです。

 これを全部箇条書きにしておきます。
 


これで「読み返しやすい日記」の前半戦終わりです。
試しに、私も書いてみます。


■気になるもくじ

 (1)被曝
 (2)地元の状況


■(1)被曝

 ・とにかく怖い

 ・眼に見えない、だから怖い
  ・眼に見えないと今の危険度がわからない
  ・対処法がどれくらい有効かもわからない
  ・ホコリみたいに眼に見えてくれればなあ

 ・足し算だから怖い
  ・被曝は蓄積されていくものでリセットされない
  ・水、空気、食べ物などから影響があるという
  ・では今まで合計でどれだけ被爆してたのだろう?

 ・子どもが心配だから、怖い
  ・小さな子は大人よりも影響を受け易いという
  ・子どもを守ってやりたい


■(2)地元の状況

 ・心配だ

 ・残った人たちが心配だ
  ・物資は届き始めたというが足りているのか?
  ・仕事は大丈夫なのだろうか?
  ・子どもたちは大丈夫なのか?

 ・避難した人たちが心配だ
  ・南相馬市の市役所は避難せず残っている
  ・避難した人たちは市からのサポートを受けにくいのでは?

 ・南相馬市が今後どうなってしまうのか心配だ
  ・南相馬市は避難指示区域と屋内退避区域にまっぷたつに割れている
  ・住民の皆さんも避難する人たちと、残った人たちに別れてしまった
  ・南相馬市として、対策が取りにくいのではないか?


こんな感じで各種「気になる項目」について、
その内容も箇条書きにしておきます。
次は、読み返しの実践に入ります。


■読み返しやすい日記の書き方・後半


(3)感情チェック

 各種「気になる項目」に書いたことを読み返します。

 まずすべての「気になる項目」の「感情」を読むことで、
 自分の今の状態がわかります。

 今、怒ってるんだとか、悲しいんだとか、
 それらが混ざりあっているんだ、とかです。

 上の私の日記の例だと、
 私は「怖くて心配な状態」にあるということがわかります。


(4)はてなチェック

 つぎに「気になる項目」の「理由」を順に見ていきます。

 理由の中に、「?」がつく箇所とか「わからない」とか
 「~じゃないのか」「~だったらいいのに」「~したい」という
 書き方をしている箇所がいくつかあると思います。

 これは自分ではハッキリと「こうだ」「こうする」と
 言い切れない、割り切れない、踏ん切れない、
 というものなのです。

 現状、今の自分にとってはよくわからないことで、
 「はてな?」となって困惑してしまう「不透明な要素」です。

 この「不透明な要素」の見える箇所にマークをつけてください。
 紙に書いているのであれば赤ペンチェック、
 ブログなどなら、矢印や★マークがいいです。

 そしてその「不透明な要素」を、
 少しでも自分がわかるものや納得出来るものにするため、
 自分が考えつく「アクション」を書いてください。

 「アクション」は動詞です。
 「調べる」とか「やってみる」とか「行ってみる」とかです。
 見やすさのため、「びっくりマーク!」をつけることをお薦めします。

 上の私の日記の例ですと、


■(1)被曝

 ・とにかく怖い

 ・眼に見えない、だから怖い
  ・眼に見えないと今の危険度がわからない
  ・対処法がどれくらい有効かもわからない
  ・ホコリみたいに眼に見えてくれればなあ
    ★→計測してるサイトを探そう!
    全国放射線量マップ

 ・足し算だから怖い
  ・被曝は蓄積されていくものでリセットされない
  ・水、空気、食べ物などから影響があるという
  ・では今まで合計でどれだけ被爆してたのだろう?
    ★→被曝蓄積を計算できる資料を探そう!
    被爆量積算値

 ・子どもが心配だから、怖い
  ・小さな子は大人よりも影響を受け易いという
  ・子どもを守ってやりたい
    ★→今やってる子供への防御策を見直そう!


と、こんな風になります。
ブログはリンクを貼ることで、外部知識を簡単に
取り入れられるれるところがいいですね。

上の例ですと、★の数が増えるほど
自分の悩みや思いに対して、
自分から何かをすることができるようになります。


これで「読み返しやすい日記の書き方」の説明は終わりです。

日記を書いた後は、心の内容物を吐き出した状態になるので、
少し心が軽くなります。

その少し軽くなった心で思ったことも、
さいごに書き添えておくことも忘れずに。

そこには、日記を書き終え、自分の心を確認した
今の自分が現れています。

思いついたアクションの数や結果よりも、
今の自分が現れる、その一文を大切にしてください。

こういうときに、こう行動して、そしてこう思う。
その「思い」の積み重ねが、次の「行動」を引き出します。
「思い」が、自分というひとの根っこにあるのです。

日記を書くのはいいことです。
自分の心の状態がわかったり、
次の行動のためのヒントが見つかったりします。

自分の思いがはっきりしてくれば、
社会との関わり方を自分がどうしていきたいのか、
自分がどのように生きていきたいのか、
そういうことも確認でき、行動しやすくなります。

日記は、自分の人生を前向きに進めていくためには、
使いやすい身近なアイテムなのです。


この日記の書き方は、
私がゲーム関係のアイデアを整理するときの
書き方を元にしています。
ですのでネタ帳などにも向いているかと思います。

特徴は「もくじ」があることです。
「もくじ」があると、ひとつの「気になること」に対し、
自分の考えが時間と共にどう変わっていったのか、
その変化を遡ってたどることができるのです。

書きたい気持ちがあって、
でも、どうしていいのかわからない、
そんな方々の力になれればと思います。

|

2011年4月 6日 (水)

ペンをとろう!

みんなが思っていることのあれこれを、
書き残して欲しいと思っている。

被災しているひとも、そうではないひとも、
自分の気持ちを、自分の言葉として書いて欲しいと思う。

政府と東電がどう言ってるとか、
専門家の先生がどう言ってるとか、
そういうことではなく、
今を生きてる私たちの声を残したい。

今、Twitterや掲示板に散ってしまっている
みんなのそれぞれの思いを
後に読み返せる形で書きとどめておいて欲しいと思う。

日々の食卓とか、仕事のこととか、
ニュースを見て友だちとこんな話をしたとか、
そして、自分たちはどうなるんだろうとか、
こういうことをしたいとか。

悲しみも、不安も、怒りも、喜びも。
考えや気持ちが、二転三転したりすることも。
細やかに書いておいて欲しいと思う。


平たく言えば、みんなに日記を書いて欲しい。


文才がないから恥ずかしい、
という人もいるかもしれないけれど、
自分の日記を綴るのに、
(むろん、自分を含めた誰かを傷つけないような配慮はいるけれど)、
誰かに遠慮する必要はない。

自分たちがなにを思い、どう生きているのか?

自分の気持ちを吐き出すことで、心が楽になることがある。

心が疲れてしまうと、
なにか楽しい物を無理矢理でも外から心に入れて、
心を活性化させようとしてしまうこともあるのだけれど、
そればかりでも行き詰まってしまうことがある。

してもらうばかり、与えられるだけでは、
ひとは、すまないとか、申し訳ないという気持ちになってしまうからだ。

そして、どこかに書かれた誰かの気持ちに触れることで、
自分も同じだと思ったり、
自分とは違うものの受け止め方を知ったりすることもある。

人を知ることで、自分の中にその人を思う心が新しく生まれる。
人間、誰でも自分だけのためには踏ん張れない時というのがある。
日々の暮らしを続けることが、つらいことがある。

そんなとき、人との出会いは、
自分の中に、新しい心の力を生み出してくれる。


気持ちのやりとりの緩やかな流れが生まれることで、
私たちは「今」という時を、もっと共有できる。

今、私たちが抱えている思いは、
この時代を生きる人々の偽らざる気持ちだ。

自分の気持ちを知ることは、
このたいへんな時代を生きて行くためには、
とても大切なことだ。

幸いにも、私たちはネットを知っている。
ブログなど、気持ちを簡単に書き残せるツールもある。
そしてそれは、世界とも、未来とも繋がっている。

私たちは自分たちの思いを、
今を一緒に生きてる誰かへ、世界の人々へ、
そして、未来へも飛ばせる――。

世界とも未来とも繋がっている。
こんな時代はかつてなかったと思う。
だから、それを活用して欲しい。

2011年3月11日から始まったこの新しい時代が、
どんな時代だったのか?

将来、私たちの子孫たちが調べることがきっとある。

そして数年後、
今よりもう少しおとなになった私たち自身が、
この時代この時を振り返って、あらためて思うこともきっとある。

だから、一生懸命、今を生きている記録を、
今を生きているみんなで、残していきたい。

みんなにペンを持って欲しい。

|

2011年4月 5日 (火)

きざし

4月4日、東京電力は汚染水を
海へ意図的に排出してしまったと言います。

「東電は」という主語で私たちは受け止めるけれども、
世界から見れば、主語は「日本は」なのだと思います。

魚のこと。
漁師さんのこと。
生体濃縮のこと。
世界的サーフィン大会も行われる、
うつくしい福島の海のこと。

またひとつ絶望を、
みんなが抱えてしまったような気がします。

でも、まだ戦いは続くのです。
実験場のようになってしまった日本という箱庭で
不安に心を犯されながらも、
私たちは、日常を取り戻そうと、
少しでも明るい未来をつくろうと、足掻かねばなりません。

だからこういうニュースに胸が熱くなります。

アクアマリンふくしま電力復旧

現場でがんばっている人たちがいる。
瓦礫のようになってしまったふるさとで、
新しい家を、職場を、町を暮らしを、イメージしている人たちがいる。

そのイメージが人々を前に向かせて、つき動かしてる。

だから、どんなに奪われても、
絶望に心の全部を明け渡しちゃダメなんです。

自分の意思で、心を守る。
まわりのひとの心の重荷も分かち合う。
そして、この手で新しくできることはあるのだと信じて、
足掻きたいのです。

|

2011年4月 4日 (月)

去る者たちの思い、残る者たちの思い

福島第一原発から20~30キロ圏内は4月4日現在、
屋内退避指示区域だが、自主避難を勧められている。
そのことについて、見直しすることが検討されているという。

避難地域の見直しについて4月3日

危険ではない、屋内に居れば――。
と言われても、その言葉だけでは生活はできない。

治療が必要な人に、遊び盛りの子供たちに、
食べ物が飲み物が必要な生きている人たちに、
何週間もの間、家の中で暮らせというのは無理なことだ。

もっと早い段階で避難指示を出して欲しかった。
原発問題の収束の見込みがないならなおさらだ。


政府からの避難指示があるならば、
基本的に全員避難せざるを得ない。

避難指示が出た町がそうしているように、
町ごとの避難ができる。

多くの人たちが家を失い、仕事を失い、家族を失った。
それでも町ごとに避難できれば、地域の絆を持って行ける。
見知った顔の中で、ふるさとを思いながら
避難生活に共に取り組めるのだ。


屋内退避と自主避難推奨のあわせ技は、
各家庭に判断をゆだねることになる。

去る人も、残る人も出てくる。
町ごとの避難などできない。

自主避難したら、逃げ出したと言われるのではないか?
残れば、わがままと言われるのではないか?

一日も早く、故郷を復興させたい。
でも、家族のことも守ってやりたい。

逃げたい人が逃げられない。
逃げた人も残るべきだったかと自分を責める。

結果、自主避難する人たちは、
その居場所もその心もバラバラに離されてしまう。

自主避難は、たったひとつ持ち出すことのできる、
地域の絆さえ引き裂いてしまう。

屋内避難地域では、
今も国を信じて、屋内退避をしている人たちがいる。
現地に残り、地域の復興のために
危険を覚悟して働いている人たちがいる。

避難した人たちの中には、
故郷や仕事を捨てざるを得なかった人たちがいる。
その罪悪感に苛まれている人たちがいる。

彼らは、どんな思いでこのニュースを聞くのだろう。

屋内退避となっている南相馬や飯館などは、
そもそも原発誘致をしていないことを思えば、
なお辛いものがある。

避難地域を見直すなら見直すで、判断を急いで欲しい。

|

2011年4月 3日 (日)

パエトーン

原発について、はじめて考えたのは、
山岸凉子先生の「パエトーン」を読んだ時だった。

私は小学生だった。

当時の私は、少し怖いと思いながらも、
国が作ろうというものなのだから、きっと安全なんだろうと、
日本の技術力を信じていた。

今の子供たちは、きっとそうは思わない。


「今」という時も、「自分」という存在も、
切り離されてぽつんとそこにあるわけではない。

過去から未来へと連なる流れの中にしか、
「今」という時はなく、

親から子へ、子から孫へと、受け継がれる血の中にしか、
「自分」という存在はありえない。

未来からなにかを奪うことは、
「今」を生きる「自分」の利益だけを追求するから行える。

だが、そんな切り離された瞬間的な利益に、
何の意味があるというのか?

世界を豊かにすることで、世界のなにかが満たされて、
はじめて人は何かを得られるようになるのではないか?

自分の心というものは、他の誰かが心から喜んで、
はじめて満たされるのではないか?

自分ではない何かが満たされることが、
結局、めぐりめぐって自分を満たすのではないのか?

いかに奪うか?、というようなことではないのだ。
未来の世界や子供たちに何を残せるか?、なのだ。

「パエトーン」をもう一度読みたいと思っていたら、
無料公開されていた。

潮出版社無料WEBコミック特別公開「パエトーン」

読み返して、子供時代を鮮明に思い出した。

|

2011年4月 2日 (土)

母子文通

避難所の生活をお義母さんが時折メールしてくれる。

温かいものが食べられた。
買い物にいくことができた。
お風呂に入れた。

当たり前にできていたことが、
今はすべて、「ありがたいこと」だった。

大変なはずなのに、相変わらず
心配をかけるようなことは一切書かない。

「欲しい物はありますか?」と尋ねても、
みんなが良くしてくれるから大丈夫だという。

東北の方々は、ほんとうに人がいい。
自分より辛い人がいるからと、すぐ遠慮する。

「それでもなにか欲しい物は?」としつこく聞いていたら、
「なにか考えておきますね」と返事が変わった。


  主人「美和さんは俺にできないことをしてくれてる。
      ありがとう」

  生田「いえ、こういう時は娘の出番なんですよ、たぶん」


「遠慮させちゃならんぞ!」と心に言い聞かせる。
明日もメールするのだ。

|

2011年4月 1日 (金)

慣れたり慣れなかったり

午後、公園で子供と遊んだ後、足を伸ばして、
いつもとは違うスーパーに行ってきました。


「お客さまおひとつまで」や、
「一家族一本限り」の文字がここにもありました。

飲み物の棚はほとんどからっぽでした。

やはり飲み物の類は、
午前中でなければ買えなさそうです。

それでも、品薄感はだいぶ解消されました。

一時はトイレットペーパーやマスク、
カップ麺や水が売り切れ、
レジも長蛇の列の二時間待ちで、
どうなることかと思いましたが、
最近は普通に買い物ができます。
ありがたいことです。

東京でもなんとかやっていけそうだなあ、と、
そんなことを思いながら、
子供にりんごジュースを買ってあげると、
ちいさなどんぐりを六つくれました。

公園で、いつの間にか拾っていたようです。
どんぐりで買い物なんて、はじめてでした。


家に戻って、お風呂を沸かし、
家族で順番こに入っていきます。

さいごにあがると、居間から
先にあがった子供の呼び声がしました。


「まま、うーむ、かれー、なっちゃっちゃんだよー。
 (ママ、すごく、カレーに、なっちゃたんだよー)」


なにがカレーになったのかしら?、
と思って行ってみると、

お風呂上りで綺麗になったはずの我が子が、
なぜかレトルトカレーを開けて、その中身をかぶっていました。


「どこから見つけてきたの、コレ?」

「うーむ、なっちゃっちゃんだよー」


我が子はカレーのついた服を見て、
悲しそうにうつむいて言います。

カレー食べたかったのかなあ?
と思って、夜ご飯はカレーにしました。


購入制限も、節電も、
水道水を取っておくことも、すっかり慣れたけど、
我が子の取る行動には、
ちっとも慣れることがありません。

毎日、思わぬ驚きや、喜びがあります。
きっとこのドタバタ感が子育ての面白さなんですね。

|

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »