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2011年3月31日 (木)

ここから歩こう

原発があるということを私は知っていたし、
福島の原発が作ってくれる電気を毎日のように使っていた。

でも、自分たちの生きている時代に、
核の危険も、大地震の危険も、戦争の危険もないのではないか?

心の何処かで、そんな風に思っていた。


自分たちのいるこの世界が安全だなんて、
どうして、そんなことを信じていられたのだろう。


3.11の大地震は紛れもない天災で誰のせいでもない。
私が生まれたときには原発は既にあった。

だけどもう、そんなことは言い訳にはならないほど、
私たちは世界にひどいことをしてしまったのではないか?

どんなに手を、心を、知恵を尽くしたところで、
汚染との共存を受け入れなくてはならないことに
なんら変わりはない。

福島原発の近隣、数十キロは、立入禁止となってしまうだろう。

もう世界は、元には戻らない。

これからの命に、どう償えば良いのか。


本当は、次のページをめくりたくなる、
そんな、続きのある世界を私は作りたかった。

そしてその思いを「つづく」という字幕を入れて、
次の未来に、そのまた次の未来にと、
大切につなげていって欲しかったのだ。

自分は必ず死ぬのだから、
自分たちだけで世界を消費などしたくなかった。


子どもたちに言うべき言葉を、
「こんな世界にしてしまってごめんね」
にしたくない。

そんな世界のままで、いさせたくない。
いさせてはならない。

なんとかしたい。
絶対に、なんとかしたい――。

「今」を経験しているおとななら、
きっとそういう気持ちが沸き上がってくると思う。


でも、どんなに手を尽くしても、
奪われてしまったものが、元通りになることはない。

だからもう、目的地は元の世界ではないのだ。
新しい世界を作らねばならないのだ。
危険のない世界を、安心のある暮らしを。

これからの命に、これ以上、
何かを背負わせたり、奪ったりしないために。
心底、頑張らなくちゃならないのだと思う。


もう、悲しみから覚めねばならない。
今を見て、新しい未来を思い、歩くのだ。

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