サガ・フロンティア~アセルス編~回顧録・その1
「ラジカル・ドリーマーズ」に続きまして、
今回は「サガ・フロンティア」の「アセルス編」について
昔語りをさせていただこうと思います。
アセルス編については思い入れも深く、
長くなりそうなので、三回に分けて書かせていただきます。
(1)憧れの地へ
サガフロは1997年7月に発売されました。
「ロマンシング・サガ・シリーズ」の後継シリーズです。
私にとっては、二本目に携わった作品となります。
実は私はロマサガの大ファンでした。
スクウェアの面接時に、
「感動したゲームはロマサガです!」と言ったほどです。
ロマサガのなにに感動したのかとの理由を、
当時面接にあたってくださった方々に尋ねられ、
「自分が世界の中心じゃないからです」という説明をしました。
自分を置いて世界はどんどん進んでしまう。
現実は、いつも自分を待ってなどくれない。
それが、このロマサガにはある。
フリーシナリオへの感動を、
つたない言葉ではありましたが、熱く語りました。
どこまで伝わったのかはわかりませんでしたが、
「ああ、この子は完全にサガ系だなあ」と
言われたのを覚えています。
そんなわけで、ラジカルを終えて、
サガ班に配属されたときの喜びは格別でした。
しかし、その一方で、
自分が大好きだったロマサガをサガフロという
まったく別なゲームにしていく仕事には、
「これでいいのかな?」という不安がいつも
つきまとったものでした。
(2)開発二部の教え
そんな喜びいっぱい不安いっぱいな新人の私を
「ゲーム作りは、
毎回新しいものに挑戦するものなんだから、
シリーズ物なんて枠は気にしないでいいよ」
と、暖かく迎えてくれたのが、
サガ班の企画チームの先輩方でした。
サガ班は当時、開発二部と呼ばれていました。
その印象は――誇り高い職人軍団!、でした。
当時のサガチームは二十名程度だったでしょうか。
スクウェア黄金期を支えたRPG三本柱の
あのサガシリーズが、こんなにコンパクトな開発で
行われていることに驚愕したものでした。
まさに、少数精鋭です。
人数が少ないということは、
ひとりひとりの責任が重いということでもあります。
当時、他のタイトルでは分業が進み、
ゲームのバトルやイベントをバラバラの部品に分けて、
それだけをやっていれば後のことは出来なくて良い――
というような風潮もあったのですが、
サガフロの開発には、
参加するなら全てに関わり、いろんな部署をまたいで、
なんでも引き受けて、どんなに苦しくとも
最後の最後まで面白いものを詰め込んで行け!、
という風土がありました。
バトルしか出来なくなるな、マップしか出来なくなるな、
バトルもマップもイベントも、面白さは至る所に宿る、
だから、すべてを触れるプランナーになれ!
というのです。
私はイベント班に配属されましたが、
そうした先輩方の教えに従って、
マップ班もお手伝いさせていただきました。
妖魔の世界ファシナトゥールの、
あの薔薇のほわんとした光や棺の輝きは、
容量的になんのアニメもつけられないと言われた
針の城に、どうしても動きを出したくて、
私があれこれ考えて、
慣れないPhotoshopでつけたものです。
マップ作業は良い経験でした。
誰よりも早く、新しい世界を冒険できるような気がして、
とにかく楽しかったです。
RPGゲームの物語は、台詞だけではなく、
世界や設定にこそ宿るものです。
台詞はなくても、世界が歌い出す瞬間がある――。
RPGシナリオへの理解が、
マップに触れることでより深まった気がします。
その他にもイベントを動かすための
簡易プログラムのテストを任せていただいたり、
手付かずのダンジョンが突然降ってきて、
半日で世界観を仕上げたりと、
企画屋としてひととおりの修行をさせていただきました。
自分が組んだプログラムのとおりにキャラが動き、
自分が書いたメッセージのとおりにキャラが喋り、
自分がつけたアニメでマップがキラキラ光りだす。
憧れていたとおり、RPGの開発現場は感動の連続です。
触れるもの全てが輝いていた――
そんな新人時代でした。
サガ・フロンティア~アセルス編~回顧録・その2につづく
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