今年の五月頃、Twitter上でアセルス編について
気ままにお喋りさせていただきましたところ、
他の作品についても話を聞きたい、
とのご意見をいただきましたので、仕事の手を休めて、
少しずつ振り返ってみたいと思っています。
第一回は、
『ラジカル・ドリーマーズ~盗めない宝石~』です。
ラジカルは1996年にスクウェアから配信(!)された
テキストアドベンチャーの作品です。
配信って、すごいですよね。
当時はスーパーファミコンに「サテラビュー」という
ゲームを配信するサービスがあったのです。
思い出深い、私のデビュー作になります。
この頃の開発現場は、
まだ「師匠の背中を見て技を盗め!」的な
職人気質が支配しておりました。
今の開発現場では常識となっている、
プロジェクトごとの社内サイトを立ち上げ、
そこにすべての情報を集積させるとか、
そんな発想はありません。
新人で、しかも途中参加だった私は、
チームの皆さんが今まで培ってきたプロジェクトの歴史、
その結果、今では常識となっている様々な情報を
無数の紙資料から追いかけ、理解するのに必死でした。
なにを聞いても「そんなこともわからんのか!」という
オーラ満載の先輩たちを相手に、なんとか食らいついて、
仕事に必要な情報を聞きだしたものでした。
なにせ社会人一年生の新人でしたので、
必要以上に先輩方を怖がっていた、という面も
多分にあったと思います。
ですが、当時の私としてはミスをするたび、
「こんなことも出来ないのか! 私のバカ~!」
と心の中で絶叫しているような感じでした。
バトルもマップもイベントも一通り触らせていただき、
キャラ絵まで描かせていただいたのですが、
中でもバトルがとても大変でした。
先輩方の作ったバトルシーンを
自分なりに解析しては、わからない場所を書き出して、
先輩の手を煩わせないタイミングで聞き込みに行きました。
結局、普通のプランナーさんが一日ですむような
バトルシーンを、何日もかけてしまって、
やっと終わった頃には、「いや、大変だったなあ」と
皆さんに慰められる(?)ほどでした。
その代わり、普通のテキストシーンの執筆は早く、
内容についても「なんだ生田さん、書ける人じゃん」と
好評で、「これやっといて」と言われたところは
バリバリと書かせていただきました。
ラジカルの中で私が一番思い入れ深いのは、
ある場所で出てくる『鏡の精』です。
それは、はじめ鏡台があるというだけの、
ただのマップでした。
でも、私はその鏡にキャラクターを宿らせたいと思いました。
私がそう思った背景には当時の開発状況があります。
当時は、容量的に豊富なキャラクターが用意できず、
マップを移動しても無人の部屋が続く状況でした。
せっかくマップを探索するのだから、
ひとつでも新しい出会いを置きたい――。
その思いが、私に
『鏡の精』というキャラクターを生み出させたのです。
鏡の精は、顔グラも存在しない、
台詞と、マップに描かれた背景としての鏡だけで
見せるキャラクターです。
顔グラがないのですから、
普通なら、キャラになんかならないものです。
ですが私はそうした
人間にはなんでもないと思えるもの、
人間の目には見えないものの中にも、
心を宿らせ、生き生きと存在させることは
出来るのではないかと思っていました。
そんな思いを背負って生まれた『鏡の精』の彼女は、
鏡の精なので、いつもあべこべのことを言うのですが、
主人公を助けるために一度だけ本当のことをいい、
儚く砕け散って行ってしまいます。
このシーンを見た時、あるグラフィッカ-さんが、
「こんなことなら顔グラ描いてあげればよかったなあ」
と言ってくださいました。
また、ある雑誌のライターさんに
「あれはせつない話だった」とコメントをいただきました。
『鏡の精』は少なくともふたりの方の心を
動かすことが出来たのです。
振り返ってみれば、この『鏡の妖精』が
アセルス編の妖魔たちや、宝石泥棒編の珠魅たちに続く、
切なさの宿る種族の原点でした。
そんなわけで、開発が終わる頃には、
「生田はバトルには向かない」
「完全にイベント班の人だ。あと話が書ける人だぞ」
という的確な評価をいただき、私はその後、
念願だったサガ班に引き取られていくことになりました。
ラジカル・ドリーマーズという作品は、
私に現場の厳しさと、社会人として必要な社会性と、
自分も気づかなかった自分の適性と、
なにより、制限のある中でも
ユーザーを楽しませるためにはどうすべきかという、
創意と工夫のやり方を教えてくれました。
手取り足取りという親切な現場では
決してありませんでしたが、
私はそのことで悩んだことはあっても、
嫌だと思ったことは一度もなかったです。
一日も早く、
その職人さんたちに肩を並べられるようになりたいと、
頼られるような開発者になりたいと、いつも思っていました。
簡単には近寄ることの出来ない、
背伸びしても絶対に手なんか届かない、
自分が何者かということを言葉ではなく、
作ったもので示していかねばならない、
そんな憧れの現場が、そこにはありました。
私にとって、ラジカルは
いつもキラキラした思い出なのです。
……
子供時代ゲームを楽しんでくださった方々が
今、大人になって、大人としての意識や興味を持って
昔のゲームを思ってくださるのは、
とても嬉しく、ありがたいことだと感じています。
ゲームはその人が遊ぼうと思って
ボタンを押さない限り始まりません。
そんなゲームだからこそ、
いつまでも心に残るものなのでしょう。
私の回想が皆さんの思い出の片隅にでも引っかかって、
楽しんでいただければ幸いです。