絶望して過ごすには人生は長すぎる
最近また、妖魔の君の夢を見た。
たぶんオルロワージュ様の元になった方だと思う。
いつも会話らしい会話はなく、無言の圧力というか、
押しつぶされそうな圧倒的な存在感でもって
私になにか悟らせようとなさってらっしゃる……。
そうはいっても全部夢なのだから、
私がそう思っているだけなのかもしれないけれど。
妖魔の世界に限らず、
私は執筆する時、執筆させてもらっているという気分になる。
そのキャラは架空のキャラではなく、
どこかの世界に存在している気がしてならないのだ。
それがたまたま私に描くチャンスがめぐってきている。
そういう風に感じてしまうのだ。
架空のキャラとはいえ、それはひとつの命であると思う。
そういう命を預かって、なにかを描き出す時、私はいつも考える。
今、彼らの人生を借りて、私はなにを描くべきなのか?――と。
世界観から任されることがあれば、
そうした今を生きる人々のためのメッセージを、
世界観に練り込んで、シナリオを構築していく。
今、ネット社会になって、
私たちは世界中の情報にさらされるようになってしまった。
自分が好きなものについて深く知り得る機会と、
それを広く人々と共有するチャンスを得ながらも、
失ったものも計り知れない。
個人では到底、解決できない世界中の問題を、
しかも緊急に手を打つ必要があると思われる
そんな恐ろしい難題の数々を、私たちは知っている。
知っていてなんら打つ手がない自分に歯がみし、絶望している。
心のどこかでは、こんがらがった現実を見事に解決してくれる、
ヒーローの出現を待ちわびながらだ。
そしてまた、そんなことを願う自分の身勝手さに嫌気がさす。
私たちがさらされ続けているのは、
世界の危機とその裏にある、個人の無力さだ。
私たちの持つ命は例外なく、親から子へ、子から孫へと、
過去から脈々と受け継がれてきたものだというのに、
私たちはその命をちゃんと生かせているのだろうか?
自分はなんのために生きているのだろう?
自分になにができるというのだろう?
はたして自分の一生は、それを終えるまでには、
なにか価値のあるものになっているのだろうか?
だから私は、その答えの見える世界を描きたかった。
ヴァルハラナイツ2にはそうした思いが詰まってる。
シナリオが薄い作品だが、世界設定は濃厚だ。
オープニングムービーを見ているだけでも、
前述の答えが見えてくると思う。
人生は短い。
こういったメッセージの強い作品が、
幾つ作れるかはわからないけれど、
信じることをやれるかぎりやりたいと思う。
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