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2010年5月29日 (土)

RPGゲームシナリオライターのつぶやき

twitterでゲームシナリオライターのお仕事について、
多くの方が興味を持っていらっしゃることがわかりました。

そこでこの機会に、
私が長年携わっているRPGゲームシナリオライターというお仕事を
私が経験した開発体制の歴史と絡めながら
お話してみようと思います。

ちなみに、ここからお話するのは
RPGゲームシナリオライターについてのみです。
ビジュアルノベルを筆頭とした
ADV、恋愛SLG、RPG要素の無いACT、
その他様々なジャンルのゲームシナリオは
RPGゲームとは全く別のスキルが要求されると考えておりますので、
ここでは分けて読んでいただければ幸いです。


(1)RPGゲームにシナリオライターなんて必要ない!

FCやSFCの時代、RPG開発現場には、
シナリオライターなんて存在していませんでした。
そこには、プランナー、グラフィッカ-、プログラマー、サウンド、
という大ざっぱに四つ職種があるだけだったのです。

ではその後、シナリオライターが担うことになる、
シナリオ要素とはどこにあったのでしょうか?

それを語るには、RPGゲームのルーツを知る必要があります。


(2)RPGゲームのシナリオ要素ってなんだろう?

RPGゲームは、
テーブルトークRPG(詳しくはWikipediaで)を原初としています。
テーブルトークRPGでのシナリオには、二種類あります。

ひとつめは、
「いま目の前に神秘的な湖が広がっている」
「君たちの食料はわずか田舎パンひとかけだけになってしまった」
「可愛い町娘が伏し目がちに話しかけてきた。どうする?」
などなど、ゲームマスターが語る『世界の様子の実況中継』です。

この実況中継は、小説の「地の文」のように、
プレイヤー達が見たり聞いたりしている、全ての情報を描き出し、
その中に次に向かうためのヒントや謎の伏線を混ぜこんだものです。

ふたつめは、
ゲームマスターの実況中継を受けて、
「じゃあ湖に行ってみようか?」とか「狩りで食料調達だ」とか
「町娘、一回スルーして反応を見よう」
などなど、遊びに参加している『プレイヤー同士のトーク』です。

これは小説で言うところの「セリフ」ですね。

つまり、テーブルトークRPGでは、
ゲームマスターが語る『世界』と『人々』に対し、
プレイヤー達が起こす『行動』があり、その両者の会話によって
『行動』の結果、『世界』や『人々』が変化していき、
そのことが物語を感じさせるのです。

この『世界の様子の実況中継』と『主人公パーティーのトーク』を、
人間ではなくコンピューターが担っているのがRPGゲームです。
RPGゲームでは、コンピューターが担うゲームマスター機能を受け、
プレイヤーは自分の意志で、
『世界の様子』を判断し、自キャラを操作し、
『世界』と『人々』に向けて、『行動』をおこすことができます。

プレイヤーがそうしておこした『行動』の結果として、
『世界』と『人々』の状態の変化がもたらされます。
それらの情報変化から、
「自分がこの世界や人々に関わっている」という実感と、
「何かを変えたことに対する満足感や責任や困惑」等々を
プレイヤーは感じ取ります。

プレイヤーの選択による『行動』の結果、
ゲーム世界が変わってしまう――、
その変化の中で、何を感じ取るのか?
これこそがRPGゲームのシナリオの原点であり、
後にRPGゲームシナリオライターが担うことになる
シナリオ要素の一つなのです。


(3)プランナー、それは魂を燃やす何でも屋!

こうしたRPGゲームのシナリオ要素を最初に担ったのは、
プランナーでした。
しかし、それはプランナーの請け負っている
多彩な仕事のほんの一部分です。

プランナーの仕事は多岐にわたります。

グラフィッカーが魅力的なキャラや美しいマップを描き、
プログラマーがストレスのない動作をするプログラムを組み、
サウンドが魂を揺さぶる音を作るとすれば、
プランナーはそれ以外の全部をこなす、
ゲーム開発現場の何でも屋でした。

プランナーのお仕事には、垣根なんか無いのです。
ゲームがこうすれば面白くなりそうだと思えば、
どこにでも首を突っ込み、なんにでもチャレンジしていく。

アイデアを思いついたら、即実行。
プログラマーに頭を下げ、グラフィッカーを説き伏せ、
あちこちに迷惑かけても、とにかく新しいゲーム性を模索する。

遊びを待ってるプレイヤーのために、
どんな泥でもかぶるし、馬鹿にでもなる。
それがプランナーに引き継がれてきたアツイ魂、
企画屋魂というものでした。

ですからプランナーは、みんながみんな、
ゲームを面白くするために、お仕事の垣根なんか関係なく、
魅力的なキャラの設定を考え、
ストレスの無いプログラムの要素について考え、
魂を揺さぶる音をどこで鳴らすか考え、
バトルを考え、マップを設計し、
グラフィッカーの絵とプログラマーのスクリプトとサウンドの音を武器に
イベントを組んでいきました。

バトルの面白さを確保するためにマップをこうするとか、
マップを楽しませるためにイベントはここで発動するべきとか、
それらの要素は切り離せるはずがない
ひと繋がりのものと考えていたのです。

こうした仕切りのない自由な開発現場の中では、
もちろんシナリオ要素も、
何かと切り離して考えられるものではありませんでした。

プレイヤーがどう思うのか?
何を憂い、何に喜び、何を決意し、
どこに向かい、どう振る舞うのか?

テーブルトークRPGと違い、プレイヤーの生の反応を見て、
ゲームマスターをやるわけではありません。

ですので、プランナー達は、
このゲームを遊んでいるプレイヤーの未来の姿を必死に想像し、
そこに向けて『世界』と『人々』の情報変化を詰め込んでいくのです。

そしてプレイヤーが、自分の『行動』の結果として、
それらの情報変化を体感し、
その変化に対して、プレイヤーが何かを思い、
その『行動と変化』と『変化への思い』の積み重ねが、
プレイヤーの心の中でなにがしかの物語を形作っていく、
そのようにするのが、
プランナーが担ったシナリオ要素の仕事でした。


(4)時代の変化、技術の進歩と職種の分化

しかし、ゲーム機の性能が上がり、
ゲームで表現出来ることがどんどん増えてくると、
プランナーの仕事は爆発的に増大し、プランナーは、
それぞれの専門に特化した職種に別れることとなりました。

バトルを専門に考えるバトル班、マップの面白さを追求するマップ班、
そしてイベントを組み上げるイベント班です。

これは、それまで何でも屋として、
広範囲で機能していたプランナーの力を、
それぞれの分野の中で一点集中させるものでした。

そのことで、ゲームが面白くなるためなら何でもやってやる!という、
広範囲にわたるアツイ企画屋魂は、イベント班が受け継ぎました。

なぜ、バトル班やマップ班ではなく、
イベント班が何でも屋を引き継いだのかというと、
イベントは元々、キャラやマップやバトルや音楽など、
様々な素材を組み合わせて作るものだったからです。

イベント班は、バトル班やマップ班、
グラフィッカーやプログラマーの島を飛び回り、
そこから上がってきた素材を組み合わせて、
より効果的な『世界』と『人々』の情報変化の波を作り出し、
それら情報ギャップによって、
プレイヤーの感情を揺さぶっていこうと務めました。
『プレイヤーの心の導線』の獲得です。

「このバトルをさらに面白く感じさせるには?」
「このマップにたどり着いた感激をより深く味わって貰うには?」
そこにはどんな情報出しをプレイヤーに行えば効果的か?
どのように『世界』と『人々』に織り込んでいくべきか?
その事を必死に考えるのがイベント班の仕事になったのです。

しかし、この段階でもまだ、
シナリオライターは開発現場に必要ではなかったのです。


(5)黒船襲来!グラフィック技術の革新!

プランナーが、バトル班、マップ班、イベント班に分かれ、
ゲーム開発のスタイルは、しばらくは安定していました。

ところがここで、グラフィック技術が飛躍的に向上し、
キャラクターやマップの表現方法が大きく変わりました。

ちょうどスーパーファミコンから、
プレイステーションへ移行した時期のことです。

2Dから3Dへ、デフォルメ路線からリアル路線へ。
絵素材の質の大きな変化は、
絵素材を用いてゲームを構築する役割の
プランナー達にも相応の変化を要求しました。

バトル班もマップ班も、今まで培った二次元の考え方を捨て、
立体的なキャラとマップを使った遊びを考えねばならなくなりました。


(6)イベント班、破滅の危機!

ここで、一番厳しい要求を突きつけられたのは、イベント班でした。

3Dキャラはリアルだったため、
モーションもリアルなものを詳細に指定して
発注する必要ができました。

2Dキャラでは出来ていたギャグ漫画的な動きのテクニック、
キャラ座標のY軸を上下させれば、
ジャンプして驚いているように見える、
ふたりのキャラを接触させれば
キスしているようにも見えるというような、
アイディア一発で乗り切れる
アバウトな動きでは通用しなくなったのです。

また3Dになったキャラやマップの魅力は大きく、
それらをしっかり伝えて、プレイヤーの体感度を上げるためには、
これらをうまく見せるカメラワークという概念が必要になってきました。

つまり、グラフィックに絡む仕事がとんでもなく増えました。

また、純粋にイベントプランナーが担当イベント内で執筆できていた
テキスト部分にも、大変な変更が押し寄せました。

リアルなマップやキャラには、やはり
その絵の質感に見合った、リアルな存在感を求められます。
キャラには、よりリアルな思考や行動を求められ、
マップには、より深い世界観を醸し出すための文化や歴史を求められました。

掘り下げた深いキャラクター達の心情や、踏み込んだ世界設定を、
プレイヤーに匂わせる事が必要になったのです。

しかし、掘り下げや踏み込みが効いた、
これら膨大な人物設定と世界設定のテキスト資料は
開発内部向けのもので、
各種デザインやマップや演出などによって表現されるものであり、
セリフだけで語るものではありません。

つまり、この資料は世界やキャラクターに
命を吹き込み存在感を醸し出すという、
非常に重要で重たい作業でありながら、
プレイヤーが直接読まないテキストなのです。

こうした部分に、人員や手間を大きくとられてしまうのは、
イベント班にとっては厳しい現実でした。

グラフィック回りの仕事の増大、新たな要素カメラワーク、
そして、リアルなキャラやマップの存在感を支えるための資料作り。
イベント班の仕事は多方面で爆発的に増えてしまったのです。
これはイベント班にとっては、
存在を揺るがしかねない大事件でした。

バトル班がバトルを組み上げ、マップ班がマップを作りきり、
グラフィッカ-がキャラやモーションを作らない限り、
イベント班は、イベント業務に着手することができません。
つまり、元々が開発終盤に業務が集中する部署であるというのに、
イベントを組む手間が増え、イベント制作にかかる時間自体も
大幅に増えてしまったのです。

今までのように、イベント班のみんなでシナリオ部分を考え、
同時に各部署の素材をチェックし、それらの組み合わせの妙を捜し、
よりよい『プレイヤーの心の導線』を確保するため、
考えながらイベントを組んで行くという、
職人芸に頼った制作方法では、
とてもとても突破できなくなったのです。


(6)イベント班の決断、シナリオライターのはじまり

イベントを作るための時間が足りない。
イベントを作るためのキャラクターや世界の掘り下げが足りない。

ならば、なにかを切り離し、分業するしかない。

そこで、まとまった要素として切り離されたのが、
バトルやマップやキャラやその他様々な要素にまたがって、
情報操作をし、『プレイヤーの心の導線を確保する』という
シナリオ要素だったのです。

これが、シナリオライターという職種の始まりです。

『世界』と『人々』の情報をプレイヤーの行動によって変化させ、
その変化のギャップによって、プレイヤーに何かを感じさせる。
その繰り返しが、心地よい波を作り、
プレイヤーをゲームクリアへ導く。
そんな『プレイヤーの心の導線』を確保する。

その仕事が丸々、シナリオライターという新職業に渡されたのです。

そしてこの時点でイベント班は初めて、
バトル班やマップ班と同じく、イベントを作るためだけの部署として、
専門性を帯びました。

イベント班がイベント業務に集中することにより、
シナリオライターは、イベント班が担ってきた、
イベントを作る以外の様々なものを受け継ぐことになりました。

それは、プランナーがバトルとマップとイベントに別れる前に
担っていた、面白くできそうなことがあれば、垣根を越え、
どこにでも首を突っ込んで、チャレンジする
アツイ企画屋魂の行動範囲が、そのまま引き継がれています。

RPGゲームシナリオライターは、こうした歴史から、
非常に多くの物事を、
各部署の開発に先行して取り扱うことになりました。

今作はどんなゲームになるのか?
そのゲーム性に即したテーマとは何かなのか?
テーマを際立たせる世界の有りようとは?
主人公とは? 仲間とは?
主人公のアンチテーゼたる敵の存在は?
主人公はどういう誤解と決意を繰り返し、
どこにたどり着くべきか?
このゲームを遊んだプレイヤーが、
心に持ち帰るものは何であるべきか?
今作のイベントスタイルに似合うシナリオのテイストやテンポは?
イベントシステムを使って出来そうなシナリオの遊びは?

RPGゲームのシナリオは、
テーブルトークRPGから引き継がれています。
キャラクターが演技する台本だけで
物語を感じさせるものではありません。
『世界』と『人々』のありようから、プレイヤーが感じ取る物語です。

RPGゲームシナリオライターは、
テーブルトークの語り部さながら、物語の材料を用意します。
しかし、それらの材料を組み合わせ、
出会いにどんなことを感じ、別れからなにを託されたと思い、
どんな答えを求めて旅していくのかは、
プレイヤーの心次第なのです。

RPGゲームの物語とは、プレイヤーの心が動いてはじめて、
紡ぎ出されていくものです。だからRPGゲームシナリオライターは、
面白いお話を書くだけでは仕事になっていません。

書いたお話を読んだプレイヤーがどう思うのか?
何を憂い、何に喜び、何を決意し、どこに向かい、どう振る舞うのか?
そこを必死に考え、面白くできそうなことがあれば、垣根を越え、
どこにでも首を突っ込んで、チャレンジするアツイ企画屋魂を持ち、ゲームを開発する。
それこそがRPGゲームシナリオライターのお仕事だと思います。



以上、RPGゲームシナリオライターが生まれた
その経緯について、私なりにまとめてお話させて頂きました。
ゲーム業界は広く、
そこには様々な開発現場やスタイルがありますので、
ここに書かれたことが全ての解ではありません。
しかし、私の経験から得た情報が、
ゲームシナリオまつわる謎の
その一角にでも答えられたらなあと思っています。
さいごに、興味を持って読んで下さった方々に感謝いたします。

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2010年5月24日 (月)

ここで会ったが百年目!

迷宮みたいな町で赤カブのケーキを発見!

20100524


ええ、食べてやりましたとも!(笑)

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2010年5月21日 (金)

twitterのいいところ

twitter、だいぶ慣れてきました!


20100521_2


イトケンさんに誘われてはじめたのがきっかけです。
イトケンさん、その節はありがとうございました^^

twitterで、いいなあと思ったところを書き出してみました。

(1)140文字という短さがいい
(2)オープンなやりとりというのがいい
(3)どんどん消えていくのがいい


以下、詳しい理由です。


(1)140文字という短さがいい

 140文字だと乗せられる情報が限られるので、
 他の人と共有したい時は、わかりやすく書こうとします。

 そして「わからなくていいや!」って個人的なことは
 感性のほとばしるまま、思いつくまま書いてしまうことができます。

 このふたつの発言、「人を意識したもの」と「個人的な心の叫び」が、
 そのひとらしさを醸し出して、相手を身近に感じられる気がします。


(2)オープンなやりとりというのがいい

 「誰が誰と、どんな会話をしているのか?」を、
 眺められるのがいいですね。

 twitterはパーティー会場、大きなチャットルーム、
 というたとえがありますが、まさにそんな感じです。

 その人が話している内容だけでなく、
 周辺の人々の意見も含めて、流れで追いかけられるので、
 人柄や交友関係が見えてきて楽しいです。


(3)どんどん消えていくのがいい

 twitterでは、新しい発言をすることで、
 前の発言がどんどん消えていってしまいます。
 (さかのぼって調べることはできます)

 発言が消えてしまうことが、
 かえって今という時を実感させてくれます。

 突然の雨や、今やってるドラマの話題、
 Jリーグの試合など、まさに今起きていることについて、
 離れた場所にいる人たちで、話ができます。


これはtwitterだけでなく、
すべてのツールに言えることかも知れませんが、
新しいコミュニケーションツールは
新しい出会いを運んできてくれます。

なんといっても、そこがいいです^^

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2010年5月18日 (火)

だいこんもともだち

こどもが大根をころころと転がした。


20100517


  「だいねー、あんねー、あいあい」


そして、ころころっと大根を転がして、また


  「あっし、だあー、おー! あいあーい!」


とおしゃべりしている。

人混みの中、だっこして歩いていると、
急に、なにか素敵なものを見つけたような
キラキラした目で微笑んで、


  ちゅ! ちゅ! ちゅ!


と、ほっぺたに三回キスをしてくれた。


ひとり遊びを終えて、静かになったなあ、とふと見たら、
とりこんだ洗濯ものの主人のパンツをはいて、
手には主人の靴下をはめて、すやすや眠っていた。

つまんない、なんかついていない、どうしようもない日も、
たちどころに晴れやかな気分にしてくれる。

きっと、あかちゃんを授かったご家庭なら、
こういうことは、よくある風景。

あかちゃんとは、みんな、こうしたものなのだ。

なんでもない日々を、
かけがえのないものに変えてくれる。
あかちゃんって、すごい!

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2010年5月17日 (月)

そんなパラメータ

人の持つ各種能力、HPやWisdomや魅力は無限じゃないと思う。

20100506

たぶんあるところまで成長させることはできるが、
上限があると思うのだ。

若い頃の苦労は買ってでもしろといわれるくらいだから、
おぎゃあと生まれた時から肉体が最も充実する二十代あたりまでには、
各種パラメータは、だいたいの上限が決まるのだと思う。

たとえば、ある日の体力(HP)は、


(ある日のHP)= 1 ~ (HPの上限値)


という感じで。
病気になればしばらくはじりじり低くなるし、
健康なら上限値に近い値をキープし続ける。

ある人のHPは、1~上限値までの間を
揺らいでいるのだと思う。

鍛えれば鍛えるほど天井知らずで
HPが上がっていくということは無いような気がする。

さらに、気力というパラメーターはくせ者で、
上限の他、使える期間も分量も決まっているように思える。


               どんなに気力が充実しても
(今日使える気力) = 一日一律10ポイントまで
               使わなかった分は消滅


運に関しては、もっと意地悪なんじゃないかと思う。


             無限の幸運が漂う海から
(今日使える運) = 好きなバケツですくうがいい
             だが全てのバケツに穴があいてる


それぞれ、こんな感じに思ったりする。

体力や才能は、せっかく開花させても、
磨き続けなければ錆びてしまうから、
上限が下がっていくこともあるかもしれない。

そもそも努力すれば誰もが世界に通用する
能力を得るわけではない上、
どこかで上限が決まってしまって、
それ以上の努力が上積みされないなんて
酷い話だなあと思われそうだけれども、
たぶんそこはたいした問題ではない。

ある程度基礎パラメータを鍛えた後は、
次の鍛錬ステージに移行するのだ。

そこでは単体の能力を磨くことだけではなく、
自分の能力をうまく引き出したり、能力同士を掛け合わせて
新しい効力を引き出していくことが目標になる。

大人になるほど自分をよく知り、
自分を攻略していくことが面白くなっていくし、
また自分と向き合う煩わしさや難しさが出てくるのだと思う。

でも、自分の能力でギリギリ踏めなさそうなイベントを、
何かのアイテムや時代の流れやパーティーの協力で、
踏めたときの嬉しさは、大人ならではの楽しみじゃないかと思う。

そんなわけで、パーティー仲間の協力で集めてきた
午後の紅茶の応募券だけれど、残念ながら一枚も当たらなかった。
すまぬ……。

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2010年5月11日 (火)

絶望して過ごすには人生は長すぎる

最近また、妖魔の君の夢を見た。

たぶんオルロワージュ様の元になった方だと思う。
いつも会話らしい会話はなく、無言の圧力というか、
押しつぶされそうな圧倒的な存在感でもって
私になにか悟らせようとなさってらっしゃる……。

そうはいっても全部夢なのだから、
私がそう思っているだけなのかもしれないけれど。

妖魔の世界に限らず、
私は執筆する時、執筆させてもらっているという気分になる。
そのキャラは架空のキャラではなく、
どこかの世界に存在している気がしてならないのだ。

それがたまたま私に描くチャンスがめぐってきている。
そういう風に感じてしまうのだ。

架空のキャラとはいえ、それはひとつの命であると思う。

そういう命を預かって、なにかを描き出す時、私はいつも考える。
今、彼らの人生を借りて、私はなにを描くべきなのか?――と。

世界観から任されることがあれば、
そうした今を生きる人々のためのメッセージを、
世界観に練り込んで、シナリオを構築していく。


今、ネット社会になって、
私たちは世界中の情報にさらされるようになってしまった。

自分が好きなものについて深く知り得る機会と、
それを広く人々と共有するチャンスを得ながらも、
失ったものも計り知れない。

個人では到底、解決できない世界中の問題を、
しかも緊急に手を打つ必要があると思われる
そんな恐ろしい難題の数々を、私たちは知っている。

知っていてなんら打つ手がない自分に歯がみし、絶望している。
心のどこかでは、こんがらがった現実を見事に解決してくれる、
ヒーローの出現を待ちわびながらだ。
そしてまた、そんなことを願う自分の身勝手さに嫌気がさす。

私たちがさらされ続けているのは、
世界の危機とその裏にある、個人の無力さだ。

私たちの持つ命は例外なく、親から子へ、子から孫へと、
過去から脈々と受け継がれてきたものだというのに、
私たちはその命をちゃんと生かせているのだろうか?

自分はなんのために生きているのだろう?
自分になにができるというのだろう?

はたして自分の一生は、それを終えるまでには、
なにか価値のあるものになっているのだろうか?

だから私は、その答えの見える世界を描きたかった。

ヴァルハラナイツ2にはそうした思いが詰まってる。
シナリオが薄い作品だが、世界設定は濃厚だ。

オープニングムービーを見ているだけでも、
前述の答えが見えてくると思う。

人生は短い。
こういったメッセージの強い作品が、
幾つ作れるかはわからないけれど、
信じることをやれるかぎりやりたいと思う。

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2010年5月10日 (月)

夫婦レベル11

ひどい風邪をひいてしまった。
病気になると心細くなる。
そして熱が出ると、言動がすこーしおかしくなってくる。

エネルギー切れを感じて、
夢遊病のように冷蔵庫に向かう。
冷蔵庫を開けて、中身をじっと見守る。


  生田「……」

  主人「な、なにしてるのかな?」

  生田「おみまいにもらったミルキーロール……」

  主人「あなた、さっきひとりで食べちゃったじゃない」


まさに、「飯はまだかのう?」
「やだわ、おじいちゃん、さっき食べたでしょう?」な状態。

駄目だこりゃ。

そんな私を甲斐甲斐しく看病してくれている主人に、
感謝の気持ちを伝えるより先に、申し訳ない気持ちが向いてしまった。


  生田「すみません、せっかくのお休みに……」

  主人「愛しい妻が倒れてるんですよ。
      喜んでお世話するってもんでしょう!」


嬉しさに、じわ~っと涙がこみあがってくる。
嬉しさと照れくささが、
熱で朦朧とする頭をさらにのぼせ上がらせたのか、


  生田「じゃあ、その愛を、

      携帯電話の充電具合で

      あらわすと?


ナゼ、携帯電話?>私


買ったばかりの携帯電話が充電されているのを見てしまったからだった。
こりゃ、相当、風邪にやられてるな~、と思っていると、
主人がうなりはじめた。


  主人「う~ん。

     98%くらいかな?


あなた!

その減った2%は、なに?

なんか、

すっごくリアルなんですけど!


あとで確認すると、
いつもゲーム作りのときに設定に力を入れる
私にあわせて『携帯電話の充電器』という設定に
忠実であろうとしたとかなんとか――
よくわからない奥深い配慮が。

それでも、ミルキーロールを買ってきてくれる
優しい主人です。

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2010年5月 8日 (土)

恋物語は突然に……

昨日は突然の雨でしたね。


20100508


六月生まれのくせに、雨は苦手です。
なんとなく心細くなります。

水属性のみなさんたちにはめぐみの雨でしょうか?
散歩中、でっかいカタツムリを見かけました。

カタツムリといえば思い出す――。

  「知ってるか、生田?
   カタツムリは歩きが遅いから、出会った時がロマンス時。
   だから連中は、オスメスどっちにでもなれるんだぞ!」

と聞いた時の衝撃――。
ぎゃ~!

もしや、南国少年パプワくんのお姉系巨大カタツムリの
イトウくんは、非常にリアルな擬人化なのでしょうか?

自然ってすごい。ラブってすごい。柴田亜美先生ってすごい。

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2010年5月 7日 (金)

ただいま翻訳中!

うちの子は電車が好きです。


20100507


電車が通ると――、


  生田「あ、電車いったね!」

  こども「あ、でんたった!」

  生田「ばいばーい! お気をつけて!」

  こども「ばっばーい! おてって~!」


と、まねをしておしゃべりします。
ほかにも、


  あと=鳩
  くぅり=きゅうり
  こり=氷
  たお=タオル
  ぼ=ボール


と、おとながしゃべる言葉をまねして、
単語を覚えているようです。

それで不思議なのが、これ。


  こども「で~だ~!」


状況としては、おとなと離れ、ぽつんとしている時、
私や主人に向けて、呼びかけるように使います。
たぶん、「こっちに来て!」という意味だと思うのですが。

なにをまねしてこうなったのかな?

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2010年5月 6日 (木)

微細旅行

ボートに乗れる公園、大好きです。


20100505


執筆の合間に、よくボートを漕ぎに行きます。

自動車免許を持っていないので、私にとってボートは、
自分で操縦できる貴重な乗り物のひとつです。
他は自転車くらいです。自転車、欲しいなあ。

自分でなにかを操っている!、というだけでもわくわくするのに、
写真のこの公園はなんと!、ボートで橋の下をくぐれます!
小さな橋ですが、わくわくしますよ。

乗り物っていいですよね。
あの、風景が流れていく感じがいいです。
歩いている速度とは違う、歩いている高さとは違う風景。
見慣れた町でも違って見える。
ちょっと旅行している気分になれる気がします。

そういえば新人時代、独立の話になって

「もし会社を持つとしたら、
 生田さんは、どんな会社にしたい?」

と聞かれて、

「船がいいなあ。
 ゲーム作りなんて籠もりがちだから、
 会社に動いてもらおうよ。
 みんなでドラクエみたいに旅しながらゲーム作ろう」

なんて話してたのを思い出します。

「ナイスアイデア! ぜひ実現しよう!」

と笑ってくれたデザイナーさん。今どうしてるかな。

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2010年5月 5日 (水)

乙女の夢

乙女の社交場のプロジェクト。

20100504

パルコみたいな商業施設のワンフロアをまるごと
「女の子たちの社交場にする!」というプロジェクトが発足。
ゴシック系のお洋服メーカーさんと協力して、
あーでもないこーでもないと会議三昧。

「どうせなら衣食住全部まるごとお嬢さま使用にしましょう!」

「十代だけじゃない、二十代三十代、四十代でも楽しめる、
 母娘で楽しめる、そんなラグジュアリーでエレガンスな空間ですよ」

「もうこうなったらお洋服買ってくださったお嬢さんたちには、
 その場で着替えてもらってカフェに行ってもらいましょう!
 彼女たちが主役であると同時に風景の一部です!」

「じゃあ、カフェはフロアの真ん中にして天井は星空ですね」

「仕立て屋とカフェと宝石店を結ぶ設定、世界観が必要ですね」

「お嬢さんたちがどんな役柄で、
 どういった経緯でこの町に迷い込んだのか?
 この町はどんな謎が隠されてるのか?
 支配者はやはりかっこいい妖魔の君なんでよね?」

「今の女の子たちは目が肥えてる。
 品質はもちろん、ドラマのような特別感が欲しいんです。
 アクセサリーやドレスの一点一点に物語が必要です」

「じゃあ、そのあたりもろもろ、よろしくまとめといて生田さん!」

みたいな、夢を見ました。やけにリアルでした。
大変そうでしたが楽しかったです。

男の子にはゲーセンという社交場があります。
そこは日常とは別の、ちょっと変わった空間で、
ふらっと立ち寄ってもいいし、いつ出て行っても構わない。

そしてなによりゲームは
「一緒に遊ぶ仲間が居ればもっと楽しいぞ!」と
他の人たちと競ったり協力したりするように作られている。
だから、好きなゲームを通じて色んな知り合いができたりする。

一方、女の子の社交場はカフェとか、洋服屋さんだとか、
あくまで自分ひとりを対象にした、個人で閉じてしまうものです。

仲間を誘っていくことはできても、
そこで新しい仲間を作るきっかけがありません。
イベントの力を借りないと、知り合いを作るのは難しいのです。

ゲーセンという「場」に向かう意識と、
洋服や鞄や靴といった「アイテム」に向かう意識の差。

趣味を遊びと割り切っていい男の子たちと、
「趣味=遊び」ではなく、「趣味=お稽古事」になりがちな女の子の差。

女の子にも、純粋に好きなアイテムに囲まれて、
ゆっくりと漂っていられるような、
なんとなくしばらく居着いておしゃべりしあえるような、
そんな特別な「場」があればいいのに。
あったら、きっと楽しいと思うのに。

こんな仕事こないかな~(笑)。

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2010年5月 3日 (月)

水上渋滞

今日は、水上も大混雑でした。

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風も強かったようで、ボート流されてました。
必死に漕いでるんだけど進まない。
こんな日は、蝶々も流されていきますよね。

スワンボートは屋根が開くので、子供連れでも乗りやすいです。
近くにボートが乗れる公園があるっていいですよね。

そういえば近所の空き地に、
三脚付きの大きなカメラを構えた人たちが来ていたんですけど、
急ぎの用事があったので、「なに撮ってるんですか?」って、
聞けなかったのが残念です。

珍しい野鳥でも来ていたのかな?

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2010年5月 2日 (日)

明日できることは明日やればいいのだ

公園の新緑が綺麗です。


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買い物に出かけたら、
途中立ち寄った公園で大道芸をやっていました。

おじいちゃんもカップルも、小さな子供たちも、
みんなで手拍子して、笑って、楽しかったです。

――こんなちいさなことでもニコニコできる人が増えたら、
――世界中、平和になるのにねえ~。

なんて、芸人さんの言葉に、強くうなずいてみたり。
気がついたら、日が暮れてしまいました。
予定が狂ってしまったけれど、買い物はまた今度。

人生なんて、思い通りに行くことなんかほとんど無いのだから、
変化していく状況を楽しめるような自分でいたいです。

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twitterはじめました!

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「一行ブログだよ~」なんて言われましたが、
なんだか不思議な感覚です。

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2010年5月 1日 (土)

くすぐられている!

あぐらを掻くと、どこからともなくやってくる……。

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あかちゃんだ!
あかちゃんが、こちらを確認。
「あぐらだ!」と思ってるらしい、にっこり笑顔。

くるくるっとまわって背中を向ける、あかちゃん。
にじり寄る背中、にじりよるお尻。
にじにじ、にじにじ……。

ちょこん!
と、あぐらの上に座ります。

あぐらの何かが、
あかちゃんの座りたい心をくすぐるらしいです。

今日もあぐらをすれば、にじにじと、
にこにこ笑顔で後ずさる。
我が家のいつもの風景です。

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