そうだ、イベントフラグを踏もう!
ある時を境に、イベントフラグを踏まなくなってしまった人がいる。
私に会うたびに、「とある事件」について話すその人は、
いつも決まった流れで話をし、決まった結論を口にする。
――私は過去、「とある事件」にあった。
――しかし、そのおかげで自分は真実を知った。
――人間は信頼できない生き物であり、人生は辛いものでしかない。
――真実を知った今、自分はとても幸せである。
まるで私など存在しないかのように、
その人はただ淡々とこの話を繰り返す。
よほど辛いできごとだったのだろうと耳を傾けながら、
私はひとつの疑問を持つ。
何故、この人は、自分を傷つけた人間のことを、
こんなに繰り返し話すのだろう?
それが昨日のことのように思い出されるのだと、
その人は言う。
私はその話を聞きながら、
この人の時が止まってしまったかのように感じることがある。
毎日毎日、同じイベントを思い返しては、
同じように傷つき、傷を深めているのではないか――、と。
私は、自分がスペシャルな存在だとは思っていない。
ゲームで言えば、町人AとかBとかいわれるような、
そんな、NPCであるとの自覚がある。
だからこそ、自分に降りかかる災難イベントは、
さしてスペシャルなイベントではなく、
なんとか対処しようがあるものだと思っている。
しかし、その一方で、
どんなにありふれたキャラのありふれたイベントであっても、
そのすべてが平凡なものだとは思っていない。
恋をして、結婚して、子供に恵まれ、親になってなんて――、
どこにでもある、ありふれたイベント群だが、
やはりそれは世界にひとつの特別なイベントで、
どれも、間違いなく、かけがえのないものなのだ。
辛い時はスペシャルじゃない、
だからこそ、乗り切り方もスペシャルでなくていいと思う。
不格好でも、逃げるコマンド連打でもいいやと思う。
嬉しい時はこんな嬉しいことスペシャルだ、
滅多にない、希有なことだ、ありがたい、と思う。
だからいっぱい人に話そう、他の人も面白いなあ、
楽しいなあ、と思えるように、楽しく笑って話そう。
そう思う。
過去の一点にあった、
その悲しい出来事ばかり繰り返し話すこの人が、
そんな風に思える日が来るのかわからない。
何年も何年も、同じイベントの中をぐるぐるとまわり、
その苦しみや悲しみの経験値ばかり増幅させてしまったのだとしたら、
簡単に、そこから離れることはできないんだろうと思う。
でも、いつかはその人も、新しいイベントに出会うかもしれない。
そして新しい経験値を――もっと楽しかったり、嬉しかったりする、
そんな、経験値をいっぱい稼ぐかもしれない。
その可能性を信じて、私はせっせとフラグを立てていく。
観光、スイーツ巡り、ショッピング、ゲームetc.
何かは、いつかは、引っかかることだろう。
ありふれたイベントでいい。ちょっとした奇跡を起こしてくれ。
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