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2010年4月30日 (金)

そうだ、イベントフラグを踏もう!

ある時を境に、イベントフラグを踏まなくなってしまった人がいる。

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私に会うたびに、「とある事件」について話すその人は、
いつも決まった流れで話をし、決まった結論を口にする。

――私は過去、「とある事件」にあった。
――しかし、そのおかげで自分は真実を知った。
――人間は信頼できない生き物であり、人生は辛いものでしかない。
――真実を知った今、自分はとても幸せである。

まるで私など存在しないかのように、
その人はただ淡々とこの話を繰り返す。

よほど辛いできごとだったのだろうと耳を傾けながら、
私はひとつの疑問を持つ。

何故、この人は、自分を傷つけた人間のことを、
こんなに繰り返し話すのだろう?

それが昨日のことのように思い出されるのだと、
その人は言う。

私はその話を聞きながら、
この人の時が止まってしまったかのように感じることがある。

毎日毎日、同じイベントを思い返しては、
同じように傷つき、傷を深めているのではないか――、と。

私は、自分がスペシャルな存在だとは思っていない。
ゲームで言えば、町人AとかBとかいわれるような、
そんな、NPCであるとの自覚がある。

だからこそ、自分に降りかかる災難イベントは、
さしてスペシャルなイベントではなく、
なんとか対処しようがあるものだと思っている。

しかし、その一方で、
どんなにありふれたキャラのありふれたイベントであっても、
そのすべてが平凡なものだとは思っていない。

恋をして、結婚して、子供に恵まれ、親になってなんて――、
どこにでもある、ありふれたイベント群だが、
やはりそれは世界にひとつの特別なイベントで、
どれも、間違いなく、かけがえのないものなのだ。

辛い時はスペシャルじゃない、
だからこそ、乗り切り方もスペシャルでなくていいと思う。
不格好でも、逃げるコマンド連打でもいいやと思う。

嬉しい時はこんな嬉しいことスペシャルだ、
滅多にない、希有なことだ、ありがたい、と思う。
だからいっぱい人に話そう、他の人も面白いなあ、
楽しいなあ、と思えるように、楽しく笑って話そう。
そう思う。

過去の一点にあった、
その悲しい出来事ばかり繰り返し話すこの人が、
そんな風に思える日が来るのかわからない。

何年も何年も、同じイベントの中をぐるぐるとまわり、
その苦しみや悲しみの経験値ばかり増幅させてしまったのだとしたら、
簡単に、そこから離れることはできないんだろうと思う。

でも、いつかはその人も、新しいイベントに出会うかもしれない。
そして新しい経験値を――もっと楽しかったり、嬉しかったりする、
そんな、経験値をいっぱい稼ぐかもしれない。

その可能性を信じて、私はせっせとフラグを立てていく。
観光、スイーツ巡り、ショッピング、ゲームetc.
何かは、いつかは、引っかかることだろう。
ありふれたイベントでいい。ちょっとした奇跡を起こしてくれ。

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2010年4月28日 (水)

遡る声があるなら

2007年の今日、結納式を挙げました。

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「もう三年も経つのだなあ」という気持ちと、
「まだ三年なのか」という気持ちと、半々です。

時の流れは不可逆と思いがちですが、
なにやら過去へと旅するタイムマシンならば
できやもしれぬという理論もあるそうで――。

もし、タイムマシンができて、

  「会うのは駄目ですが、
   一声お気持ち、お飛ばししますよ~。夢にまぎれて」

なーんてサービスができたなら、
一番伝えたい言葉は、やっぱり
「ありがとう」と「大丈夫」。

三年前の私たちにも、そのずっと前の私たちにも。
そして、あのころから私たちを支え、
今も変わらず、私たちを見守ってくださっている方々にも。
「ありがとう」と「大丈夫」を。

そして、今。
もし遠い未来の私からなにかしら声が届くとしたら、
それはやっぱり「幸せだから大丈夫だよ。ありがとう」
って言葉のような気がします。

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2010年4月26日 (月)

730日の解放

携帯電話が故障しました。


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数日前、ボタンが突然反応しなくなって、
メールも電話もできない状態に。

およそ二年ぶりに携帯電話がない生活です。

仕事のやりとりは会社電話とPCメールですし、
それほど困らないと思っていたのですが、
いざ、携帯電話がなくなってみると、やはり不安です。

ショックだったのが、
実家の電話番号がおぼつかなかったこと。
思い出せるのは、子供時代に住んでいた家の番号なんですよね。

パソコンや携帯電話を使うようになってから、
電話番号や住所を覚えることは少なくなりました。

こういう話になると思い出すのが友人の言葉――。

 「ファティマの知識は焼き付けだ、というだろう。
  我々が子供時代に仕入れた
  アニソン100曲くらいガツンと消去して、
  新たな記憶容量として確保出来れば、
  俺たちはもっと賢くなれるんじゃなかろうか?」

ああ~、なれるかも。
でも、やっぱり無駄知識仕入れこんでそう。

というか、生活に必要な知識の習得より、
無駄知識のために記憶容量を割きがちだから、
我々はこうした(?)大人になったわけではないだろうか?

やはり、本体性能に問題が……?

と、馬鹿話に花を咲かせたりしていたら、
ふと学生時代を思い出しました。

私が学生だった頃には携帯電話がなかったのです。
その頃は、人と人との距離がもう少し遠くて、
電話をかけるにも、その子のお母さんとまず話してから、
その子につないでもらうような、そんな手順がありました。

だからこそ時間をかけてゆっくり仲良くなっていった気がします。

携帯のない生活は、あの頃の雰囲気を
少しだけ思い出させてくれました。

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2010年4月22日 (木)

旅するパラメータたち

自分が死んでも魂だけは残るのかな――、
なんて思っていた時期もあった。


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子供を育てていて驚いたのが、
我が子が自分の子供時代にも、主人の子供時代にも
あまり似ていないことだった。

我が子はむしろ、今の自分に、もしくは今の主人に似ている。

そういえば、テレビで小籔千豊さんもそんなことを話していた。
自分の子供が子供時代の自分ではなく、今の自分に似ていて……
というようなことを。

ゲーム的に言うなら、
子供たちはどうやらレベル1から人生を始めるのでないらしい。

もちろん、両親が持つアイテム(財産)や、
家族が踏んだフラグ(状況)はなんらか引き継ぐだろうが、
それだけではなく、
両親のレベル=経験値(イベントで得た感情や成長)も
引き継いでいるようなのだ。

あくまでそう感じられる、という程度のことだけれども、
もしその感覚が正しいとするならば――、

私が私固有だと信じてきたパラメータのほとんどが、
両親や祖父母や、ご先祖様から、その人生経験分もまとめて
代々引き継いできたものかもしれないということで、

つまり、私たちが死んだ後も、
先祖代々一族でもって育ててきたこのパラメータのセットは、
一部欠損したり、婚姻によって新しい要素が増えたりしながらも、
子孫に引き継がれ、その血が続く限り、
この世界で成長し続けるということだ。

それは、その血の中に、
一族を形作っていたすべてが息づいているようなものだ。

人が死んでもその魂がどこかに残るのかもしれないと、
そんな風に思っていたのは、その人が生きた証が、
なにもかもなくなってしまうのが怖かったからだった。

死ばかり見つめれば、どうしてもそう思ってしまうのだが、
生を見つめると、なにもかもなくなるわけじゃないとわかる。

死を超えて、残されるものはある。
血の中に、あるいは同じ時を過ごした仲間たちに、
またあるいは、次代を担う後輩たちに、
たくさんのものが託されて、それらはまた誰かに託されて、
長い長い旅を続けていくのだ。

今は、それこそが魂というものなのかもしれないとも思う。
成長しながら、飛散していく、それこそが――。

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2010年4月18日 (日)

おはなしするよ?

あかちゃんが言葉をしゃべるようになってきた。


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公園で鳩を見ていると――、


   「あと!(はと!)」

   「そう、鳩さんね」


冷蔵庫の側に行って――


   「こり!(こおり!)」

   「氷欲しいのね? はいはい」


毎日、楽しそうにおしゃべりしてくれるのだけれど、
今朝は起きてすぐ、火が付いたように泣き出してしまった。


   「うぎゃ~!」

   「どうしたの? 悪い夢でもみたかな?」


と、あかちゃんは私を見て、きょとんとし、
きょろきょろと、あたりを見渡して、


   「たお、あた!(タオル、あった!)」

   「うん、タオルあったねえ」


タオルを受け取って、私がうなずくと、
にこにこ笑顔で、また別のタオルをたぐり寄せ、


   「たお!(タオル!)」

   「うん、もひとつあったねえ」


と、私がタオルを受け取ると、
また、きょろきょろと何かを探しはじめ、
何も見当たらないと気づくと、私を見て、


   「およ(おはよ)」

   「うん、おはよう!」

   「えへ……」

   「ん???」


どうやら、あかちゃんは、
私がいないと思って泣いてはみたけれど、
すぐ隣にいたので、照れくさくなってしまったようだ。

こんなちっちゃなあかちゃんでも、その胸の中には、
とっても複雑な感情があふれている。

その言葉を追いかけるだけでは、
本当の気持ちにはけっしてたどり着けない。

行間を読む能力というか、観察して推理する力が必要だ。
ドラマの探偵か刑事さんみたいだな。

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2010年4月17日 (土)

四月に雪景色?

四月だというのに東京は夜からみぞれが……。


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お昼には分厚い雲が割れて、
透き通るようなきれいな青空がのぞきました。

モンテディオ山形の試合がある
NDソフトスタジアム山形、通称「んだスタ」では、
ボランティアのみなさんと雪かきしたそうです。
おつかれさまです!

試合は、VS横浜F・マリノス戦。
負けちゃったか~!

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2010年4月16日 (金)

夫婦レベル10

あかちゃんとのんびりテレビを見ていたら主人が声をかけてきた。


   主人「ねえ美和さん」

   生田「はい?」

   主人「おじゃる丸ってなんで、

      ゴキブリ連れてるの?


  生田「あなた!

      それは、蛍のでんボ君です!


まったく、蛍をゴキブリ扱いするとは!
あんまりです!

そして、数日後――。


   主人「髪も切ったし、ひげ剃りもしっかりやっとくか」

   生田「泥棒ヒゲも良いんですけどねえ~。剃っちゃいます?」

   主人「おお、剃る剃る。スッキリしてくるぞ」


と、主人を見送ってしばらくすると、洗面所から悲鳴が上がりました。


   主人「たいへんだ、美和さん!」

   生田「どうしました!?」

   主人「まゆげ、剃っちゃった!


そこには、平安時代のように、おじゃる眉になった主人が……。

あなた!

スッキリするにも程度というものが!


   生田「来週は人に会うんですよ!?」


   主人「どうして、

      やっちゃったんだろ~?

      おじゃる丸の呪い?


違います!

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2010年4月11日 (日)

緑の枕とちいさなオアシス

大好きな横浜! 帰ってきたよー!


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ちょくちょく帰っているというのに、
帰るたびに、うれしくなってしまいます。

山下公園は休日をのんびり過ごすご人々でいっぱいでした。
爽やかな海風が、ゆったりとした気持ちにさせてくれます。
ベンチから海を眺めているカップルも、
買い物帰りらしいご婦人方も、みんなのんびりしていて、
中華街の活気あふれる空間とは対照的です。

芝生の上でベビーカーの小さな日陰に
猫のように丸くなって眠るお母さんがいました。
少しでも疲れがとれると良いなあ、と思うと同時に、
私もがんばろう!、と元気づけられました。

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2010年4月10日 (土)

さいごの勝負!

もう桜も終わりです。

桜の下をそぞろ歩けば、行き当たる
限定スイーツ、屋台の焼きそば、リンゴ飴――。

でも、幼い子供を連れては大荷物での移動で、
思うように食べ歩きもできません。

さよなら、お団子。またいつか、お好み焼き。

しかし、今日は。
じゃーん!

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見よ、この桜ソフトクリームを!

おそらく今年さいごの花見。
さいごのさいごに、やっと一勝!

あかちゃんを見ててくれた主人とおばあちゃんに感謝!
おいしかったです! ごちそうさまでした!

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2010年4月 9日 (金)

花吹雪あびて

あの町にも行きたい、こっちの町も行きたい――。
色んな町を旅するうちに、自然と桜の名所データも蓄積され、
行きたい場所が増えてしまいました。


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写真は、善福寺川緑地です。
みごととしか言いようのない素晴らしい風景が広がります。

私たちが散歩した時間帯もあるのでしょうが、
酔っ払ってどんちゃん騒ぎ、という感じではなく、
ご近所のお友達同士で誘い合ってお弁当をとか
ご夫婦でジョギングしながらとか、穏やかな雰囲気でした。

見渡す限りの花吹雪は、ため息がこぼれるほどです。
子供たちと一緒に、舞い散る花びらを追いかけて遊びました。

桜が咲いてて、他にはなんにもなくて。
それなのに、なんて贅沢なんだろう。

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2010年4月 8日 (木)

胃袋にもお花見

花見の時期は、桜色の綺麗なスイーツがいっぱい出てきます。


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写真は、今年私の中で一番の桜スイーツ、
桜餡のサンドイッチです!
とーってもおいしいのです!

あまりのおいしさに、はしゃいでいると……

  主人「そういえば美和さん、
     小倉サンドというものの存在を聞いて、

     なにソレ?
     なんで生クリームと
     あんことパンなんて
     ナイスなものが
     三つどもえしてるの!?

     って、いてもたってもいられなくなって、
     あちこち探しに付き合わされたもんねえ」

そんな、小倉サンドクエストの話はまたの機会にでも……。
それにしてもおいしかったです。

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2010年4月 3日 (土)

季節限定魔法

弘明寺の夜桜を見てきました。


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雨がぱらついていましたが、多くの人が夜桜を楽しんでいました。
あかちゃんをだっこして川沿いをのんびり歩いていると、

「せっかくの夜桜なのにねえ。寒いでしょう?」

「かわいいねえ、何歳?」

と、ちょくちょく声をかけていただきました。
雨のせいで混雑する喫茶店では、
みなさんで席を譲り合っていたりと、
肌寒い中にも、人の温かさを感じる楽しいお花見でした。

いろんなものが溢れてしまって、
みんながそれぞれの価値観に引き裂かれて
孤立しているこの世界で、
桜というひとつの存在を、みんなで「綺麗だね」なんて言って、
ビールを飲みながら見上げて、
同じ気持ちで寄り添っていられるのは、
この時期限定の魔法のようなものだと思います。
毎年、ありがとう桜さん。

それにしても大岡川の桜は見応えがありました。
藍色に沈む町の中に、ほんのりと浮かび上がる柔らかい桜色の輝きは幻想的です。

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2010年4月 1日 (木)

水色ライン

友人たちとお花見に行きました。


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だいぶ前から予定を入れていて、
雨の日続きでどうなることかと思っていたのに、
当日は、気持ちよい青空の広がるお天気になってくれました。

日頃の行いだねえ、なんて言いながら、
あかちゃんたちを連れて公園を練り歩いていると、
すぐ目の前に、ひらひらと舞い降りる木の葉のような影が――。

茶色い落ち葉のような羽が、ふわりと広がると、
羽の内側には、ほんのりと淡く紫がかった薄いブルーの一筋のラインが現れます。

そう、ルリタテハです!

ああ、ルリタテハが見られるなんて!
なんてラッキーな、いい日なんでしょうか!

驚きすぎて写真が撮れなかったのが残念なのですが、
とても綺麗でした。

写真は、風がくれた本日のお土産。
暴風にあおられ折れてしまった桜の小枝です。
しばらくは家の中でもお花見できそうです。

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